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「友達」であることの数学的証明

2024/11/28
自宅にて



けたたましいアラームとともに起きて、眠い目をこすりながら歯を磨き、白湯を入れてデスクにつく。

どこかで書いたかもしれないが、僕は今休学してモラトリアムを謳歌している最中で、その影響もあって休学期間中は奨学金と言う名の借金ができない。親には格好つけて「生活費は自分で払うから」と言ってしまった手前お金がなくて、リモートワークで2社インターンを掛け持ちしている。

毎日7:00-11:00の4時間は仕事をして、午後から勉強する。
そんなスケジュールで生活していると、たまに息抜きが欲しくなる。

それで、先日横浜に行ってきたのだけれど、本当にいい時間だった。
またいつか、まだ鮮明なうちにnoteに書きたい。



ふと勉強から力が抜けた先日、「友達」について考ていた。

大学に入って、関わる人の数はそんなに変わっていないはずなのに「友達」の数がめっぽう減ったような気がする。少し寂しい。

自分と他人を繋ぐ紐の数は変わっていないけれど、「友達」という色をした "紐" の数は極端に少ない。その代わりに、「先輩/後輩」「クラスが同じヤツ」「ゼミの同期」「学部が同じヤツ」という色の "紐" の数は増えている。

無条件に「友達」と呼べるような人たちが減ることはこんなに寂しいものかと、人間関係の希薄化を憂いている。



暗い気持ちになりそうになるから、シャーペンを持つことにした。
「大学生の微分積分」的な表紙のテキストを開いて進める。

ふと思った。「微分」って何?
高校の時に先生が教えてくれたのかもしれないけれど、基本的に別のことを考えていたので全く覚えていない。

なんでf(x)をf'(x)にするのか理由もわからず、通り魔さながらに隣を通る関数たちを微分していく。

ネットに落ちている「変化率」みたいな数学的な言葉を取っ払って、これまでの勉強での感覚をもとに、自分なりに頑張って理解した。
(少し理屈っぽくなるけど、頑張ってわかりやすく書くからちょっとだけ我慢して読んでほしい。)


結果、微分とは「抽象的なもの」から「特徴」を一つ引っ張り出して、抽象的なものを近似する手段」だと結論づけた。

「日本人」から「12歳」という特徴を一つ取り出して、それだけで人間を近似する。12歳という人たちだけを取り出し、それを日本人だと定義すれば、日本人はみんな小学6年生だと言える。

12歳という特徴を利用して日本人を近似すると、日本人はみんな小学6年生だと考えてもいいよね、みたいな話。

日本人を12歳で微分すれば、小学六年生になるのである。(伝われ)


何で突然この話をしたかっていうと、この「微分」で僕の悩みが解決されたからである。さっきのね。

「先輩/後輩」「クラスが同じヤツ」「ゼミの同期」「学部が同じヤツ」が増えて、友達が少なくなった感覚。これを紐解くキーワードは「微分」だ。

友達を様々な特徴で微分してゆく。

友達を
「年齢」で微分すれば「先輩/後輩」、
「クラス」で微分れば「クラスが同じヤツ」、
「ゼミ」で微分すれば「ゼミの同期」、
「学部」で微分すれば「学部が同じヤツ」なのだ。

だから、全部後ろに「〜の友達」とつけても不自然ではない。
「先輩/後輩」「クラスが同じヤツ」「ゼミの同期」「学部が同じヤツ」
全部の原始関数は「友達」だ。

年齢をともに言語化というか具体化というか、まあそんなもんが上手くなって大きな枠組みで見ることができていないだけだった。
友達が少なくなっているわけではなかった。安心した。



なんとなくカッコつけたくて、タイトルには「数学的証明」なんてパワーワードを入れたのだけれど、多分証明にはなってない。

いいんだよ、タイトルなんて響きだ。

そうは言っても、「この人誰?」って聞かれた時に無条件に「友達」って間髪入れずに言える人たちはどのくらいいるだろう。
逆に、自分のことをなんの利害関係も感じずに「友達」だと思ってくれている人たちは果たしてどのくらいいるんだろう。

そう考えると、やっぱり寂しい気持ちになるのも事実ではない。

小さい頃から「友達を大切にしなさい」とは口酸っぱく言われてきたけれど、本当にそうだなと思う。

なんだか、白湯が美味しい。



余談です
数学訳わかんね〜^^

僕と同じ気持ちの人、絶対たくさんいる。
絶対人類の過半数はそう。絶対そう!!

きちんと数学理解してる人、多分僕は間違えたこと言ってるけど甘めに見てネ。

今日は懐かしの一曲で。
天才編曲家、萩田光雄さんの編曲から。
太田裕美で、『木綿のハンカチーフ』

余談でした

↑YOASOBIのMV手掛けてる人がたまたま2年前に新MV作ってた!感動!こういうの好き!!


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