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3月16日 日記

返信が遅い、というのは2024年を生きる我々にとって些か損な事だと思う。

御多分に漏れず僕も相当遅い。

バイト先の新任店長から届いた挨拶メールを5日間放置した挙句、追い討ちをかけるように不足シフトの連絡が来たので、そこからさらに2日のインターバルを挟んで「田代です、よろしくお願いします!不足分ですが厳しいです…」と返信を打った。初っ端悪印象に違いない。

返信を考えているうちに、タイミングを逃してしまう。他人と連絡を取るために割く体力の量が、人と比べて大きいと思う。

ここで言ってるタイミングやら体力というのは、要は心情のことで、もう少し落ち着いている時に文面を考えようだとか、この人に返信したからこれ以上はキツイな、的なる何かしらの心のストッパーが働いてしまう。

そんなことを思っていたらtwitterで「うつ病になると1日が1ターン制になる」という言説が流れてきた。勘弁してほしい。

世の中がタイムパフォーマンスを重視するようになって、隙間バイトやら副業、倍速視聴やながら〇〇が大流行している中、こんなことで取り残されるとは思わなかった。

情報の流通量が脳みそのキャパの淵をガンガン叩いてくる感覚。現代病の一種だと思う。

返信という事柄だけに話を戻すと、早ければ早いだけ好印象に捉えられ、遅ければ遅いほど悪印象になってしまうのも辛いところである。

やる気や興味関心と情報の早さが結びつけられるのは、間違いなく行動力に所以すると思うが、行動力が後ろめたさに変換されるのが僕の場合なので、もう救いようが無い。

難しいのは、親しければ親しいほどに「早さ」を求められる部分で、これを怠った例が過去に何度もありその都度痛い目に遭っている。学ぶ学ばない以前に性根が腐っているのかもしれない。


しかしながら、このことを話すと友人Aは可笑しそうに「まだだね~」と笑ってみせた。

若干腹立ちながら話を聞くと、Aにとって「早さ」とは他人の山から顔見知りの谷に向かって降りていく下り坂の早さであり、その先にある友達の山に登るまでにその早さは徐々に遅くなるという。

「遅さ」に紐づけられた信頼度ら許容範囲は、それこそ僕があれほど嫌がっていた親しさに直結していた。

なんだかすごく、羨ましいな、と思った。

その後友人Aからは特に最近返信が遅かったことを謝罪され、そこから30分間だけは爆速で返信が返ってくるようになり、その後普段通りのスピードに戻った。

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