一重の目を受け入れた話
一重の目を持って生まれた私は、小学生の時に「目、小さいね」と(恐らく悪意なく)言われたのをきっかけに、自分の目元が嫌いになった。
中学生になって、
二重=かわいい
一重=かわいくない
という空気を読み取った私は、中学1年生にしてアイプチを購入した。
試行錯誤を繰り返して、防水性の高いアイプチにたどり着き、いかに大きな二重の目元になるかを研究し続けた。
アイプチは、使った人にしか分からないとは思うのだが、ジャバジャバの水にはすこぶる弱い。
防水を謳った商品でも、シャワーを浴びたり傘をささずに雨に当たれば、糊で止めていた瞼が解放されすっかり一重に戻ってしまうのだ。
また、目元をゴシゴシ擦るのは厳禁だし、ギュッと閉じることも出来ない。
それでも、一重の自分が気に入らなくてアイプチを毎日し続けた。
コロナ禍で外出する機会が少なくなった時、「アイプチする意味ってあるのか?」とふと思った。
それまで15年以上アイプチをし続けた私だが、本当にふとそう思ったのだ。
一重だと何でだめなんだろう?
二重にしなきゃいけない理由は?
一重の私は素敵じゃないのか?
そう自分に問いかけて、不思議と「一重でもいっか」と思えたのだ。
多分、ルッキズムに執着しないような考え方が令和になって浸透し始めた影響もきっとある。
一重でも素敵じゃん?と、時代に背中を押されている気がした。
そこからアイプチをつけるのをやめてみた。
その分アイシャドウを丁寧に塗ってみたり、マスカラの塗り方を工夫したりして、「一重でも映えるメイク」を研究した。
最初の頃は、やっぱり二重の方が可愛いかな?とか思ったりもしたけれど。
数年が経ち、今では「なんでアイプチにあんなに執着してたんだろう?」「二重じゃなくても全然生きられるじゃん」と、すっかり一重ライフを楽しんでしまっている。
アイプチを使っていた時は瞼に糊を塗ったその上からメイクをしなければならずアイシャドウを広げづらかったのが、一重であれば瞼に段差がなく、塗ったままのアイシャドウが瞼に現れるから、断然化粧映えすることに気がついた。
メイクについてとやかく言ってくる人が、この世の中には一定数いる。
そんな圧力なんて気にせず、自分がしたいと思ったメイクをするのが1番幸せなんだよなぁ