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どう思われたいかでなく、どうありたいか

私には夢はこれ!というものもなく、岐路に立った時も選択肢の中から一番安心な選択をして通ってきた。ある程度は自分の希望も通って周りからも反対されないような選択だ。進路だって仕事だってそうだった。

そんな私がある時ふと思ったのが「私はいったい何になりたいの?」という疑問。こうなりたいからこうするっていう生き方をしてこなかったので、改めて何になれたら嬉しいのか、我が事ながらピンとくるものがなかった。想像する未来も現実味がない。

だけどひとつだけ絶対はずせないものがあった。それは「お母さんになる」という事。今まで将来をを思い描いて自分が結婚していない未来を想像した事は一度もなかった。結婚して育児をしている自分。家庭を持ち、仕事をしている自分。それだけはそうなるのが当たり前かのように思っていた。「そうか私、お母さんになりたかったんだ」と妙にしっくりきたのを覚えている。

お陰様で現在は結婚して3人の子宝にも恵まれ夢は叶った。そう夢は叶ったのだ。嬉しい!とてもとても嬉しい。だけど・・・おかしいな。こんなこともしてあげたい、やりたいって思ってたはずなのにな。あれ?なんだか私、全然お母さんじゃない。あれ?もっとこんな感じでこんなじゃない?お母さんって。

そんな疑問を感じながら育児に追われていたある日、美容院で差し出された雑誌を眺めていると石原さとみさんのインタビュー記事が目に留まった。先輩から「人にどう思われたいかではなく、自分がどうありたいかが大事」と助言されたのをきっかけに転機が訪れた、といった内容だった。

私は夢といえば何かの職業についたり、何者かになりたいという具体的なものだと思っていた。「何になりたいの?」という漠然とした疑問を自分に投げかけ、「お母さんになりたい」と思った。その答えに間違いはない。ただ、「どうありたいか」と考えた事はなかった。なるほどと何か腑に落ちるものを感じた。それを意識するだけで不思議と自分自身のブレがなくなり「お母さん」でいられる気がしたのだ。母親としてどうありたいか、人ととしてどうありたいか、この目標こそが私の夢なんだ。それ以来時々この言葉を思い出して意識するようにしている。

あれやこれやと理想像に近づく努力はもちろん大切だと思う。だけどその理想の姿に捕らわれ過ぎると、欲張って気持ちや身体がパンクしてしまう。その前に自分にとってはずせないポイントを押さえられたら、多少抜けていても自分の足で立っている実感がする。考えてみれば私の中の「お母さん」は優しく、落ちた雰囲気で、芯があって、何でも教えてくれて、オシャレで、エプロンをつけている、いわばスーパーウーマンだった。今、そんな人なかなかいないよと、苦笑いする私がいるのだ。




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