波羅夷空却の唄声に解脱させられた奴の末路『ヒプノシスマイク』※ネタバレあり
ゆずきです。
今回は、『ヒプノシスマイク』に対しての感想を上げていきます。
マイクを使い、言葉で死闘を繰り広げる作品がある。
『ヒプノシスマイク』というのだが。
生きているうちに触れる事はないだろう、と思っていた本作。
見ていない人に説明する場合、
「マイクを握りラップで戦い、領土拡大を行う作品」
となるだろうし、自分もその通りに説明を受けていたので当時は
「???」となっていたのだが。
実際、間違っていなかったので更に「???」となってしまった。
本当にマイクを握ってラップで攻撃をしていた。
なぜ、自分が『ヒプノシスマイク』に触れたのか。
その切っ掛けとなった動画を紹介するので、とりあえず聴いて欲しい。
初めて聞いた時、良い曲過ぎて驚いた。
いや、もちろん本作のように、一般的に嫌煙されがちな印象を持っている(と私的に思っている)作品を馬鹿にしているわけではないのだが。
まさかこんなに美しくカッコイイ女性たちが歌っていたのか、と正直驚く。
なおかつ「男はどこいった男は」と戸惑ってしまい、もしかして『ヒプノシスマイク』は人気が低迷した結果、格好いい女性に対して財布の股を簡単に開くヲタクを標的にし始めたのか、と背筋が凍ってしまった。
まさに自分が標的にされているのだ。銃口を突き付けられている気がした。
何より、
作詞:Reol 作曲:Reol・Giga 編曲:Giga
という点に驚いた。
有名なラッパーを起用して、楽曲を提供しているというのも微かに聞いていたが、まさかReolさんまで参加しているとは露知らず、それもGigaさんとタッグを組んでいるというのは、もはやヲタクにとって凶器なのではないだろうか。
その筋のヲタクなら自分と同じく動物園の猿のように、好物の餌を与えられ、鼓膜がはちきれんばかりの叫びをあげるに違いない。
と、ここまでは自分が最初に触れた曲を紹介した、というだけである。
それだけで『ヒプノシスマイク』にはまっている、というのは|先遣部隊ファン》に対してもしかしたら失礼な行為かもしれない。
なので、この記事では私が更に本作に溺れてしまっている要因となった物語を軸に自分の気持ちに整理をつけたいと思う。
自分が『ヒプノシスマイク』という「物語」を最初に触れたのは、この『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-side D.H&B.a.T』だ。
これは本編を語るのではなく、登場人物のサイドストーリー、各エピソードが収録されており、それぞれが本編に辿り着いた過去を描いている。
本当は、上記で紹介した「中王区」と言われるグループの話を漫画で読みたかったのだが、そうではなく「Bad Ass Temple」という作中に出てくるグループに触れたい気持ちが強かったので、今回紹介した漫画を読んだ。
そしてこの記事を書いている訳だが。
まあ、何というか。
「マイクを握ってラップで戦う」なんていう世界観なのに。
なんて残酷な世界を描いているんだこいつら? という気持ちである。
■Bad Ass Templeとは ➀
「Bad Ass Temple」というのは、『ヒプノシスマイク』に出てくるナゴヤを代表するMCグループなのだが、この言葉だけだと何を言っているのか分からないと思うので、もう少し細分化する必要がある。
『ヒプノシスマイク』は前提知識として、
・女性が覇権を握るようになったH歴というのが本編の時間となる
・男性を完全排除させた区画:中王区が存在する
・前内閣総理大臣をラップで倒し、現政権を担う言の葉党が存在する
・それにより、女尊男卑的世界観を構築している
・それ以外の区画(ナゴヤ、シブヤなど)に男性が生息している
というのが前提の設定として存在していて、
何より重要なのは、
「人の感神経・副交感神経等に作用し、様々な状態にする力を持つマイク」
ヒプノシスマイク
というのがある事だ。
このマイクのせいで、総理大臣は負けてしまったのだ。
(どういうことなんだよ)
このマイクを使って、中王区以外に住む男たちは、領土拡大の為にラップバトルを繰り広げる、というものが『ヒプノシスマイク』の基本的な世界観であり、物語だと思っている。
自分の理解としては、戦国武将たちがラップを覚えた世界観と認識していると理解が速いのだが、間違っていないだろうか。
豊臣秀吉と織田信長もラップバトルをしていると思いながら、『ヒプノシスマイク』を視ている。
織田信長は、自分の政権が崩壊していく中でお経を唱えていたに違いない。
話を戻すと、
本作は女尊男卑的世界観でありながらも、男たちは「ヒプノシスマイク」を使って、各区画の代表MCたちは領土拡大のためにリリックを産み出す
というのが『ヒプノシスマイク』であり、 その中でも好きになったのがナゴヤ・ディビジョンを代表する「Bad Ass Temple」というチーム、という話だ。
■Bad Ass Templeとは ➁
前項目で述べたのは、
自分が好きになった「Bad Ass Temple」に関する事を語る前に、そもそもこの世界における前提知識などを踏まえたものになる。
なので、ここからが「Bad Ass Temple」に関する事を語る項目になる。
そもそも、なぜ「Bad Ass Temple」を愛してしまったのかについて語る必要があるだろう。 恋をした原因というのは、盲目になる前に確認する必要があるからだ。
自分が最初に「Bad Ass Temple」に触れたのはこの曲だった。
聞いてもらえれば、最高な曲なのがわかるだろうか。
もちろん、好みはあるだろうが、私はこの曲の出だしではまってしまった。
という出だしだけで、心の中で私は「ハイッ!」と同意をしてしまった訳である。 従順な子犬と同類だ。なさけない。
とにかく、好きになった・愛してしまったのにはそんなに小難しい理由なんてないわけで。純粋に、この曲に出会って、この曲が格好良すぎたために愛してしまったという話なだけだ。
大層な文章を醸し出しているが、ただ愛を叫んでいるので、こうしてみると夜中に喚く犬のようにうるさいものだな、と自分でも思ってしまうわけだ。なさけない。
つまり、でらすげぇって話。
何より、この曲で格好いいなと感じたのは波羅夷空却を演じる葉山翔太さんの歌い方だ。
波羅夷空却とは、「Bad Ass Temple」におけるリーダーであり、他にも二名でこのグループは構成されている。
|四十物十四《あいものじゅうし》(ヴィジュアル系ミュージシャン)
天国獄(リーゼント弁護士)
の2名が在籍している。
名前が読めないのはご愛敬らしく、天国に関しては、「てんごくごく」なんて読んでしまった事もあり、のどごしが良さそうにしか思えなかった。
天国を飲み物にするな。
記事タイトルにもある通り、自分が惚れ込んでいるのは、波羅夷空却という人物となる。
その見た目、キャラの属性、そして歌い方にはインパクトがある。
……インパクトがないキャラも本作ではいないと言えるのだが。
(自分が惚れ込んだ要因としてのインパクトとして受け止めて欲しい)
波羅夷空却の唄声に解脱させられた、とタイトルに書いているが、ここまで読むと俗世に染まりすぎて本当に解脱されているのか、はなはだ怪しいものだ。
曲を聴いてもらえるとわかるが、フロウとライムが気持ちがいい。
マイクリレー形式の曲であり、
それぞれのメンバーが代わる代わる歌っていく曲になっている。
その中でも再度、出だしを歌詞から引用するのだが。
と言う部分。
「拙僧」というのは、波羅夷空却の一人称となる。
つまりここで、
「俺とテンション上げて行こうぜ。面倒ごとは抜きで騒ごうぜ」
って波羅夷空却が私たちに言っているんですが、もちろん心の中で「ハイッ!」と私は言ったわけで。
果たして結束がここにあるのかは問いたところである。
なさけない。
他にも素晴らしい部分というのはあるのだが、この出だしの波羅夷空却で沼る人はいるんじゃないか、と自分には思ってしまう。
自分がそうだったから理解できる。
詳しい私的な魅力に関しては、別項目で述べるとするが、
波羅夷空却のヒプノシスマイクに自分たちはやられているという訳である。
■波羅夷空却の私的魅力について
波羅夷空却の魅力というのは色々あると思うが。
自分が一番に好感をもっているのは、「少年らしさ」だと思っている。
波羅夷空却は「不良僧侶(少年)」でありながら、自分の中で明確な「正義」を持っていて、「悪」を許さないような性格の持主だ。
そのせいで人と衝突してしまう事が多い人物なのだが、
「悪」を倒すような少年漫画の主人公の立ち位置みたいなキャラかな、と思いながら漫画を読んでいき、曲を聞いて好きになった、というのが愛の経緯である。
冒頭で紹介した漫画は、「Bad Ass Temple」というグループが結成する以前の話となっており、その物語では波羅夷空却が同級生の虐めを助けた話や、悩んでいる人物の師匠になっている話などが収録されている。
(もちろん、それだけではなく、他のグループの過去話も収録されているのだが、ここでは「Bad Ass Temple」をメインとした話をさせてもらう)
そんな彼だが、僧侶でありながらも服装がスカジャン、耳にはピアス、爪には黒色のネイルを塗っている不良型僧侶でありながらも、小粋な感じもちゃんと出している少年なのだ。
こんなにギャップを服装、性格から醸し出している存在をヲタクが好きにならない訳がないんじゃないか、とキングレコード様の首根っこを夢の中で掴みそうになる。
一人称の「拙僧」というのも良い。
「拙僧」というのは、僧侶が自身を謙遜していう言葉だ。
つまり波羅夷空却というこやつは、不良でありながら「悪」を倒す正義感の男でもあり、なおかつ仲間想いなのだが、その中でも謙遜する部分を忘れない小粋な男であることが理解できる。
歌う時もその熱さをもってマイクを握っているに違いない。
そう感じさせる構造は本当に。
『ヒプノシスマイク』は底の見えない沼だ。
■漫画の話 ※ネタバレあり
ここまで長い文章を書いてきたわけだが。
ここまで読んでいる方がいらっしゃれば、奇特な方か同様に毒されている方だけだとは思う。
こんなにくどい文章をよく読んでくれているな、と微かな思いはあるが、この項目ではやっと漫画の話に触れていく。
漫画は各項目でほんの少しずつ触れていると思うが、「Bad Ass Temple」が結成する以前の話が収録されている。
とはいえ、それ以外にも軸となる人物が存在しており、
「どついたれ本舗」の結成前の話も描かれている。
複数の物語が同時進行的に展開されるのが、この漫画であり、
今回は「Bad Ass Temple」に所属している
波羅夷空却
四十物十四
天国獄
に視点を定めた物語について触れていきたいと思う。
本編以前の「過去篇」となるのが漫画自体の内容になり、『ヒプノシスマイク』の本編内容を知らずとも楽しめるので、もし特定のキャラから好きになった方はこの漫画から入っても問題ないと思う。
「Bad Ass Temple」の物語は「虐めへの向き合い方」というのが軸となる物語だ。
|波羅夷空却《はらいくうこう》は、虐めを武力で解決する者として。
四十物十四は、虐めの渦中に巻き込まれる者として。
天国獄は、過去の虐めに向き合った結果、それを法律で解決する者として。
それぞれが「虐め」というモノに巻き込まれていく人物として描かれる。
自分の一推しは、波羅夷空却だが、
ここではまず四十物十四について触れていきたいと思う。
四十物十四は、学生時代に虐めを受けてしまう。
そうなってしまう原因はひとりの同級生によるのものだった。
その人物(仮にHとする)は十四と同様にV系が好きで、共にバンドをやる事が決定した。
そして女性ファンを獲得するという目的のため、クラスメイト同士でカラオケに行くというものをHが企画し、Hの歌唱力によって女性ファンを増やすというのが、H自身の作戦だったわけなのだが。
残念ながら主人公スペックを保有している四十物十四によって奪われてしまう、という王道的な展開に発展する。
四十物十四はコミュニケーション能力が他者よりも少しばかり劣っているものの、その分、歌唱力と言う点は誰にも負ける事はなく、カラオケでは人気者になったのはHではなく、十四自身だった。
そういう経緯があり、Hによって虐めを受けてしまうことになり、周囲もHを中心に彼を虐めるようになってしまう。
その虐めがヒートアップし、十四自身は限界を迎えてしまい、自殺まで追い込まれるが、
紆余曲折あり、限界を迎えた四十物十四を救うのが天国獄だった、
というエピソードが漫画では描かれる。
『ヒプノシスマイク』という作品は、外側だけを見ればシュールなのだが、物語自体をみていくと残酷によくできているな、と思う。
(というよりも、シュールさがあるから残酷さがある事で面白さが際立っているようにも感じる)
聞いた話によると、ボイスドラマと今の人物像がマッチしていなくて、先発で公開されたドラマCDコンテンツは批判が多いらしいのだが、
それが本当であれば、この漫画を読む事から物語に触れるのは正解かもしれないな、とも思う。
特に、ここでは四十物十四を取り上げたが、
彼の尊敬の対象である天国獄は、「Bad Ass Temple」を結成した大きな原因としてもみる事ができる。
天国獄は波羅夷空却も同様に救っているので、彼がいなければこの二つの繋がりはなく、功労者ともいえるだろう。
曲から「Bad Ass Temple」を好きになった自分と同類の人にはぜひ、漫画を手に取って欲しいという話となる。
■漫画を読んだら、「開眼」を聴け
度々申し訳ないが、とりあえず聴いてみたらどないやねん、
という事で「開眼」という曲を聞いてみたらどうだろうか。
この曲はラップグループ「MOROHA」のアフロさんが、歌詞を手掛けている。 なので、曲を聞けばわかるがアフロみが味わえる。
「Bad Ass Temple」のエピソードを知っているとよりこの曲に深みがでる。
というよりも、『ヒプノシスマイク』の楽しみ方の根柢はそこにあるかな、と思う。
曲そのもののかっこよさもあるが、人物の過去や想いを曲からより深く汲み取っていく事で、曲とエピソードが繋がっている感覚。
もちろん、これは『ヒプノシスマイク』だけではないだろうが、こういうコンテンツの楽しみ方はそういうものだろう、と思える。
と、この「開眼」という曲だが。
「Bad Ass Temple」の面々がそれぞれの過去へ再度向き合う儀式であり、それを無かったことにするんじゃなく、血肉にするような曲
と自分は解釈していて。
そもそも曲のタイトルである、「開眼」とは調べればわかるが、仏教用語となっている。
といういくつかの意味がある。
この儀式を経て、個々が抱えている「暗闇(過去)」を捨てることなく進む、という意味での「開眼」なのだと思う。
こういう部分を「傷の舐め合い」ではなく、孤独に抱えて枯れることなく生きていくという強い歌だなと感じた。
過去に向き合うのは、とても難しい事で、ひとりでは中々真っすぐ向き合う事はできないものだと思っていて。
虐めもそうだけど、恥ずかしい想い出とか、他者からすればもしかしたらしょうもないと感じられたとしても、当の本人はそんな訳はなくて、逃げ出したいけど、逃げ出せなくて――みたいな螺旋の中で悲惨な過去を持っている人は生きていくと思うんですが。
そういう想いが彼らの中にも当然ある、と自分は解釈していて。
そういう気持ちがありながらも、その「過去」も自分自身と受け止めながら、三人で見つめて行こう、眼を開いて向き合っていこうという曲なのかな、とは感じている。
所々、エピソードに絡めた歌詞もあるのがまた良い。
■余談(「中王区」について)
『ヒプノシスマイク』でこんなに書く事あるのか、と自分が一番驚いているのだが、もう少しで終わるだろう。
ここでは余談として、最初に紹介した「中王区」という女性チームの話だ。
その中でも自分の最推しは、碧棺合歓だ。
彼女が歌っている曲も是非聞いて欲しい。
ここで彼女についての魅力を語ってしまうよコンテンツとして崩壊しそうなので、彼女の素晴らしさ体験して頂きたい。
そして最初に紹介したこの曲だが、
(あれ?長くなりそうだな、この話)
この曲も「でらすげぇ宴」同様に、マイクリレー形式で、「中王区(言の葉党)」の面々が代わる代わるに歌う曲なのだが、その中でもこのフレーズ。
勘解由小路無花果という女性が歌っているのだが、
もう名前が読めないとかそういう問題よりも、筆記試験とかで名前を書かせた時に大変な事になりそうだな、大丈夫か?というインパクトが前面に出ているのがずるい。心配が勝つ。
とはいえ、引用したフレーズの歌い方がとても素晴らしく、色気を醸し出しながら、カッコイイ女性らしさというものがそこには存在して、自分が惚れ込んだ歌い方、フレーズだ。
一番自分が公衆の面前で言いたいなって思うフレーズがあって、
という後半の碧棺合歓の歌い方。
これは「色気」とかではなく、可愛らしい女性の中に明確に鋭いものがある、そういう格好良さが感じられて自分の中で、碧棺合歓を愛してしまう要素のひとつとなった。
彼女が抱える過去の問題などは、wikiなどを読めばわかるのだが、
とても暗いものだと理解できる。
そんな中でも、彼女がどうしてこうやって歌えているのか、気になるな、という動因づくりが上手いなと感じてしまう。
(これ気になってしまうのは、一定数かもしれないが)
……余談とは一体なんだったのか。
■終わりに
はい。
本当に終わりです。
本当に、自分の中の感想に過ぎず、
読んでいて楽しいの自分だけじゃね?
としか思えないのですが、ここまで読んでいる人がいるならどうかしてるなって思いながら、感謝してます。
もし、『ヒプノシスマイク』の漫画(特に今回私が紹介したもの)を読んでいない方は、読んで欲しいなと思っての記事になります。
終わりで触れるのですが、「Bad Ass Temple」の中で、凄くない人物っていないと思うんですが、
その中でも四十物十四を演じる榊原優希さんが凄いなって思っていて。
四十物十四って、根本的に「弱い子」なんですよね。
それでも勇気を振り絞って友達を作ろうとしたり、自分を変えようと努力したりする人物なんだと思っていて。
そんな人物が歌う時に、時々「弱々しさ」が垣間見えるんですが、それでも自分の中に「殻」を被るようにして歌う――なんというか、理想を着飾って、その理想の為に足掻こうとしている様を演技しているのが凄く伝わってきていて(歌を聞いていると)。
四十物十四の独特のギャップは、彼の内面に触れる事でより深まるな、と思いました。
ここまで書いて思いますけど、
「ヒプノシスマイク」で精神攻撃を受けてるのって、私たちなんじゃないですか?