限局性激痛とDries Van Noten
今すぐできることと言ったら書くこと(寝そべりながら)だけだ。何かを出力するのってものすごくエネルギーをつかう。
写真はアートの中でも最も好きな表現技法の一つだった。
原美術館Sophie Calleの「限局性激痛」にギリギリ半分間に合う。Dries Van Noten主催の展示をみにいったら、2階にまだあった。
Sophie Calleの失恋の痛みと、色々な人の喪失にまつわるサッドストーリーを交互に、写真と刺繍された日本語で表現されたもの。
すごくドロドロで人間み溢れていた。フランス映画の女性キャラクターそのままみたいな。恋愛に対する(負の)感情的な部分、さらけ出しがちだしそれも過剰に。この別れた恋人は、どういう気持ちでこれを受け取るのだろう。果たして、受け止められたのでしょうか。東の彼方で自分への気持ちがこのように表現されたことを。
とても好きな人がいて、私はその人のために本を1冊書いたりした。美しい男で、ことあるごとに私のことを不安にさせた。若くて二人ともいつも不安で何かを悲しんでいて、二人でいると平気な時も、お互い以外の全員が嫌いな時も、そしてお互いのことを嫌いな時もあった。離れている間に考えた自分のこと、お互いのことを書いてたら、ノートが1冊埋まった。それをまとめて、別れるときにお互いの本を交換した。その数年後、また再会して、また一緒に時間を過ごして、この前別れる時に、お互いの本を返した。あれは何処にいったんだろう。最初の別れの時、もう一生会えないかと思ってたのに、お互いに地球の周りをぐるぐるすることが増えて、その後こんなに何度も会えるとは思ってなかった。
自分にも(Sophie Calleのような)そういう面があったことを懐かしみつつ、今の私にはそんな気持ち、1ミリもないよね!私には(仕事以外に対する)感情があるのだろうかと心配になったりした。
撮影不可の2階ではそんなSophie Calleの作品を、ただただみんなが黙って目で追ってた。文章は長くて、とても時間がかかった。
そして1階では、2階で撮れなかった分も取り返すかのように凄まじく、スマホで撮影大会。盗撮問題は解決されることはないのだろうけど、いつの日か日本でもデフォルトが消音カメラになりますようにって祈らずにはいられない。遠くから近くから、音を立ててそれはもう、すごかった。
絵は何だか、よくわからなかった。ここに集められた日本のアーティストのラインナップは、(勝手に)思ってたDries Van Notenのイメージとは違っていて、何の目的でこれらが集められたのか(趣旨は書いてあったけど)脈絡がなく感じて本当に意味がわからなかった。でも、まあいいや。Sophie Calleの展示がギリギリ見れたから。
原美術館はいつもおしゃれ偏差値が高めだけど、Dries Van Notenのおかげか、めちゃくちゃオシャンな方がたくさんいました。ちゃんとDriesの靴やMARNIの靴履いてたり、若いのにMartin Margielaのニットを着てたり、衣服にお金をかけていそうな客層。普段何処にいるんだ。たった3日間の展示なのに、ちゃんとこういう客層が見に来ててDries Van Notenすごい。昨年公開された映画のお陰かもしれない。世の中にはちゃんと洋服を買ってる人間もいるんだとわかって安心しました。