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煩悩2022

オレンジがかった空、原付のハンドルを握る。最近エンジンのかかりが悪い。ろくに手入れもしていないからだろう、そのまま6年も経ってしまった。
バイクを買った頃はまだ大学生だった。人間が生身でこんなにも早く動けるのかと感心したことを覚えている。
散ってしまった桜の木の下を走り抜けると、
少し古い僕の家が見えて来る。
桜を今年はもう見られないのは残念だが、そのなんとも言えぬ寂しさみたいな物も含めて桜なのだろう。

僕は今、優越感と背徳感、そして少しばかりの期待と後悔が混じり合った感情の中にいる。
僕は弱い。
またアメリカンドッグを買ってしまった。
人々はいつも選択を迫られる。コンビニも例外ではなく、一周し自分が欲しい物を一通りカゴに放り込んだ後、よしと意気込んで向かうレジの手前にいつもいるのだ。
そして僕はその選択に負ける。
そもそもあのシステムは誰が考えたのだろうか。賢すぎる。もしホットスナックのコーナーがセルフで、尚且つレジから遠い所に設置されていたのならば僕のレジ袋にアメリカンドッグが放り込まれることはそうそうないだろう。
人間のことを熟知した人間があの恐ろしい機械をあの場所に設置したのである。こうなることを知っていて。
レジ前に置くことによって急に現れる選択肢。それが人の判断を鈍らせる。
少しでも食べたいと思ってしまえばもう手遅れである。
お会計を打ち終わるまでの時間の制約と手の出しやすい110円という価格。つい焦って口にしてしまう。
アメリカンドッグ1本頂いてもいいですか?

僕は未だあの食べ物を110円で食べられると言うことが信じられない。
あのボリューム、素朴さ、最後のカリカリでの味変。人を最後まで飽きさせないのだ。
ありがとうございます。
そして味もしつこくないからまた食べようと思わせられてしまう。
僕はあれが倍の220円でもきっと買うだろう。いや、買わない。それは高い。
アメリカンドッグが110円じゃなくなった時、その時が僕がコンビニに行かなくなる時だろう。

おそらく僕の知りうる限り、110円で得られる快楽の中ではアメリカンドッグはダントツで1番である。
だが最近はその誘惑にも6割ほど勝てるようになってきた。まだ4割ほどは負けてしまうが、昔はほぼ100%で頼んでいたからそれに比べればまだマシになった方だ。
その選択に負け、反省を繰り返してきっと人間は少しずつ強くなっていくのだろう。
これはアメリカンドッグが悪い、と言うことではなくむしろ素晴らしいという話である。
勘違いはしないでおいてもらいたい。
酔った勢いで一気に書き上げた為僕自身何を書いているのか分かっていないが、おそらくそういうことだ(?)

今日もいつものようにコンビニに寄る。
この時点で負けはほぼ確定しているのだろうが、今の僕は強い。アメリカンドッグなんかには負けない。いつものようにカゴに商品を放り込み、レジに向かう。ホットスナックには見向きもしない。勝った。完全勝利である。
優越感に浸りながら慣れた手つきで商品をレジに通す店員さんを見る。何か物足りない。やはり買いたい……
だが僕はこんなところでつまずいている暇は無い。よし。



すいません、このお団子1つ頂けますか?



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