小説|ジャニス・ジョプリンと見た夢【第3章】
※※※この物語はフィクションです※※※
悲しき未来
2016年。22歳の冷たい冬。
私は駅でうずくまり、しばらくそこから立てなくなっていた。
仕事もうまくいかない、お金もない、彼氏もいない。
ないないだらけの自分に嫌気がさし、ついに壊れてしまったのだ。
大声で泣きたい衝動を抱え、目についたカラオケボックスへ。ここならきっと、好きなだけ泣いても良いだろう。
思いっ切り泣き晴らした後に、部屋の角にあるマイクが目に入った。カラオケ店でたまに見かける、ヘッドの大きなガイコツマイク。
なんだかむしょうに歌って叫びたい衝動に駆られた。しかし、こんなときは一体何を歌ったら良いんだろう。
思い当たる曲がなかったため、カラオケの履歴の一番上にある曲を歌おうと思った。
あいみょんやOfficial髭男dismなどを想像していたが、履歴に表示されたのは意外にも異国の人物。
────
Janis Joplin
「Ball and Chain」
────
ジャニス・ジョプリン?洋楽?
誰がこんな歌を…。
私にとってまったく知らない人だったが、こんなときこそ歌詞の意味がわからない方が良いだろうと思い、曲を入れる。
〜♪
「Ball and Chain」
なんだろうこの曲。
昔から私を慰めてくれていたような、そんな安心感がある。
ブルースの嘆きと同時に、ロックの激しさが込み上げてくる。
正しい歌詞の意味なんてわからない。けれど今の私の心情に合っているような気がしてならない。
余計に悲しくなった。
悲しみに閉じ込められた気がした。
このカラオケボックス、いや、この街全体が悲しみに包まれてしまったようだった。
ここに在るのは私と音楽だけ。
音楽だけが私の支えだ。
往年のスーパースターたちはなぜ早くこの世を去ってしまうのだろうか。
「27クラブ」なんて言うけれど、もっと生きて今も音楽をしていたかったはずだ。
彼らの苦しみは一体どれくらいだったのだろう。
海一杯分の涙を流し、その海から名曲がたくさん生まれてきたんだろうな。
泣きすぎて悲しみの対象がわからなくなった頃、すでに始発の電車が動き始めていた。
──
ロッキン目前。私たちはほぼ毎週いつものバーに集まっては共に時間を過ごしていた。
ジャニスはパフォーマンスの練習に集中するより、毎日を楽しんでいる様子だった。
演奏できる喜び、歌う楽しみ、それが全身に溢れているようだった。ジャニス自身がバー全体の音楽を引き連れている、そんな印象だった。
きっと、ロッキンのステージでもきっと同じなんだろうな。私はロッキンで歌うジャニスの姿が楽しみで仕方なかった。
そんな中、私はジェイクに呼び出された。
「こんなところまで呼び出して、どうしたの?」
ジェイクの表情は暗かった。そして重い口を開く。
「実は、ジャニスについてもうひとつ話しておかなければならないことがある」
「なに?」
「ジャニスは27歳で死ぬ」
「えっ?」
「詳しいことは現代でも未だ解明されていないが、ドラッグの過剰摂取により1970年10月にこの世を去る」
「う…嘘でしょ…」
「ほんとだ」
「えっと、つまり、ジャニスが前の時代に戻ってしまったら、ジャニスは死んでしまうってこと?」
「そうだ」
「嘘……。いやよ!そんなこと!だったらこの時代に居続ければ良いんじゃないの?そしたら、私がいつだってジャニスのそばに居るから!」
「だめだ」
「歴史を変えてしまうことはならん。これ以上この時代に居続けてしまうと、きっと奴もジャニスのことを忘れてしまう」
私はもしかして、と思った。
「もしかして、南半球にいるあの人⁇」
ジェイクは深く頷いた。
「ジャニスは奴のことを誰よりも愛していた。けど、一緒に居られなくなってしまったんじゃよ。奴はジャニスの居ない場所へ消えてしまったんだ」
「そんな…そんな人知らないわよ!ジャニスはここに居れば良いの!そしたら悪いことは起きないから!!」
私はつい声を荒げてしまう。
「良いのか?ジャニスのステージ、伝説、すべてなくなってしまうんだぞ?1960年代のジャニスがこの世から居なくなってしまうことは、ジャニスの存在自体なくなってしまうことなんだぞ」
「そんな…」
私はそんなあり得ない事態に頭が混乱した。ジャニスが1960年代に戻ったら死んでしまう?そんな悲しいことある?けど、このまま歴史を変えてしまったらジャニスの存在自体も消えてしまう。そんなの嫌だ!!!
それより、ジャニスはこの先どうしたいんだろう。ジャニスはもちろんどっちの未来も知らないし、どちらも望んではいないはず。。
一体どうすれば…。
暗い気持ちを抱えたまま、ロッキン出演当日を迎えた。
この時代に生まれて
尋常じゃない暑さで幕を開けたロッキン当日。
お天気の神さまが音楽を祝福してくれているの?
それにしても暑すぎる。
しかしジャニスは「心地良い!良い気持ち」とテンションがあがっているよう。太陽をも味方にしてしまう、暑さが似合う女の子だ。
“ROCK IN JAPAN FESTIVAL”は、毎年8月に行われる日本最大級の野外イベントで、日本を代表するアーティストたちが多数集う。
客席に居るたくさんの音楽ファンは、アーティストの登場を今か今かと待ち侘びている。
そんな一大イベントに、デビューもしていない、海外の無名のアーティストが出演するのは異例のことだった。
しかしジャニスも言わばフェス経験者だ。しかもその先駆け。
その人物がこのステージに立つなんて、こんな不思議な奇跡はこの先きっとないだろう。
けど悲しい。このステージが終わる頃、例のあの人もジャニスのことを忘れてしまうのかもしれない。
偉業を成し遂げると言うのに、待っているのは悲しき未来。私は一体どうしたら良いのだろうか。
ところで、ジャニスはなんでこのイベントに出ることになったんだっけ⁇
「あぁ〜!最高の気分よ!!」
「ちょっとジャニス飲み過ぎじゃ…」
「モントレー・ポップ・フェスティバルも最高だったけど、日本のフェスも熱気がすごいわね!みんな最高よ~」
ジャニスの出番は午後イチ。私たちはジャニスの出番になるまで思い思いにフェスを満喫した。
するとそこに意外な人物が現れた。
「よっ!」
「えっ?なんでここに?」
あのジャニスのライブ以来。まさか再び会うとは…。そこに居たのは元彼だった。
「なんでって、ジャニスのステージを見に来たんだよ。何を言おう、俺のおかげでこのステージに立てたんだからな!」
「えっ?そうなの!??」
「そうだよ!お前、ジャニスから聞いてないのか?あの日、俺ほんとうに感動して…。なんていうか、純粋にこの人の歌を世間に届けなければいけない、と思って上司説得させる前に思い切ってここの主催者に提案しちゃったんだよね」
意外だった。付き合ってる頃は意見のぶつかり合いばかりの人だったのに、まさかジャニスの歌声に共感するだなんて。
「そうだったんだ。。そう!!すごいでしょ!ジャニスの歌声!!そう、ジャニスは…ジャニスはすごいんだから。。」
「おい!おい!お前どうした??」
私は嬉しかったのと同時に涙が溢れた。
この先の未来、ジャニスが死んでしまうかもしれないと考えると…悲し過ぎて涙が止まらなかった。
「なんでもない…」
「本当に大丈夫か?」
こんな話信じてもらえないだろうし、話したところで私にどうすることもできない。どうしよう。。
「…あと、お前の記事読んだよ。すごく良かった。お前の文章は風景が見えるし、音が聴こえた。だから、これからも応援してる!今日のことも絶対記事にしろよな!」
彼の言葉にハッとした。
そうだ。私には書く力がある。
人に伝えるべきストーリーがある。
ジャニスの伝説を後世に残さなければならない、そう強く思えば思うほど力が湧いてきた。
「そうだよね。記事にしないと」
くよくよしてたってどうにもならない。
私は私の使命を全うするんだ。
そしていよいよジャニスのステージの番となった。
「じゃあ、行ってくるね!あんたなんか元気ないようだけど、私の歌、しっかり聴いておくのよ~?」
「当たり前じゃない!」
ジャニスはステージへ向かった。
自分の使命を誓ったばかりだけど、なんだかジャニスが遠くに行ってしまいそうですごくすごく寂しくなった。
ステージに向かったと思ったジャニスが、駆け足で私のもとに帰って来た。
ジャニスは私に抱き付き、こう言った。
「それと、ありがとう。私をこんな大舞台まで連れてってくれて。感謝してる」
私は涙をぐっとこらえた。
今、泣いてはいけない。まだ夢はこれからなのだから。
「ジャニス、楽しんで!」
ジェイクが見せてくれたあの映像。ジャニスの魂のステージが目の前で再び実現される。こんな奇跡はこの先絶対ない。
私はこの日のジャニスを、後世に伝えなければならない。私と同じく音楽を必要としている人たちに届けるために。
伝説のステージ
〜♪
「Me and bobby mcgee」
「Summertime」
・・・
ジャニスは歌いきった。
はじめはざわついていた観客たちが、気付けば皆ジャニスの歌声の虜になっていた。
そして、観客は皆モントレー・ポップ・フェスティバルの会場にいた当時の観客とまったく同じ表情をしていた。
時代は変わっても、音楽には変わらない〝確固たる強さ〟がある。そんなことが感じ取れた。
人は、魂を叩き起こさなければ生きてはいけない。
ジャニスは音楽を通じて私たちの心をノックしてくれる、魂に触れてくれるアーティストだ。いつだって私たちの味方でいてくれる、最強のアーティストなのだ。
「どう…だった?」
ジャニスは私に問う。
私は何も言えなかった。
ただただジャニスに抱き付きたかった。
ジャニスの背中に歓声が湧いている。
私は感じた。
ジャニスはこの時代に居てはならない。
1960年代の人たちも、きっとジャニスを必要としているに違いない。つらいけど、それが現実。
いろんな感情を押し殺しながら、素直な想いが溢れ出した。
「ジャニス、あなたは偉大なロックミュージシャンよ。とにかくすごいんだから!!!だからこれからも、この先も、私がそれを伝え続けるから、だから。だからどうか…」
「なに?どうしたの⁇」
私は唇を食いしばった。
「あなたの夢を…夢を諦めないで!!!!」
私はジャニスの夢を願った。
一番近くで見ていたから分かるんだ。
「何?何?わかったわよ。私は一生歌い続けるわよ!その代わりあんたも自分らしく生きるのよ?誰のものでもない、自分だけの人生を」
私は大きく頷いた。ジャニスの音楽が、どうかこの先もずっと、ずっと生き続けますように。
「じゃあ私ちょっとあっちの方で踊ってくるわね」
ジャニスはロッキンの人混みに消えてった。
それから私は二度とジャニスに会うことはなかった。
(続く)