個人時代での一般論とものさし
冒頭から個人的な志向の話になりますが、僕は「べき論」が好きじゃないです。
この「べき論」の1つに「一般論」があると思っています。
戦後、「所得倍増計画」などのスローガンのもと日本は高度経済成長してきました。
この高度経済成長には、国民一致団結がとても効果的だったのだと過去の結果をみると思います。
一致団結のため、会社は家族のように、同属性を持ち、同質性を重要視し、チーム一丸で戦ってきました。
これが成功し日本が世界で経済大国となったのだと思います。
この時点の一般論は「同質性」に基づいていると思います。
ところが、時代が個性重視に変わっていき、多様性を認める社会へ変わっていくフェーズになっています。
このフェーズに入るまでに、バブルが崩壊し、失われた20年、30年と続き、なかなか抜け出せないのが今の日本です。
世界で戦うために、同質性では通用せず、多様性であることが重要なのだと思います。
多様性の国であるアメリカが世界を牽引してきたのは、この背景かなと思います。
一方、アメリカが進めてきた多様性、多元性のある民主主義とは反対に、ここ数年は、大衆の考えを政治に反映するという「ポピュリズム」という思想が受け入れられていく国も出てきました。
21年の現時点では、ポピュリズムが世の中を席巻するような状態にはなっていないです。
このようにみると、「一般論」というのは時代の流れや背景でどんどん変わります。
そうした場合、「べき論」はやはりどの時点の「べき」なのか、発言する人の考えはどの背景に基づく「べき」なのか、そのあたりは受け取る側でも分かりかねます。
多様性の中では、それぞれ個人の価値観で生きていくわけで、そうした場合の「一般論」「べき論」というのは、何も軸がなく、結局個人の意見でしかないのかもなと思ったりします。
一時期迎合したとしても、時代や背景が変わると乗り換える。そんな状態です。
多様性の時代、今後何をよりどころ「ものさし」にヒトは進んでいくのか。
これは考えても僕にはわからないです。
ただ、僕が一番好きな考えは「生命の尊厳」という手塚治虫先生がされていた考え方です。
時代が変わろうと「生命の尊厳」という根本は続くのだろうと自身は考え、好きな考え方です。
まとまりない文章ですが終わります。