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人生のコト・前編〜おもろい街、大阪で育って〜

はじめに

どうも、りんごより梨派の林雄です!!GWはみなさん楽しみましたか?
僕は父島で観光業をしているので大忙しでした。(なぜ父島にいるかは後編の最後で)

少し休んでリラックスできたので投稿しようかなと。

今回の記事は、タイトル通り僕の人生を前編と後編に分けて書いていこうと思います。
でもなぜこんなことを書くのか?

講座など何でもそうですけど、前で話している人がどんな人なのか、ひととなりを知っているか知っていないかでは親近感に差が出てしまいます。

noteは人前ではないですが、僕の書く記事と見てくださっている皆さんとの距離を少しでも縮められたらなと。

前回の記事ですっごいざっくりのプロフィールは書きましたが、今回の記事ではまず前編ということで、生誕〜高校卒業までを書いていきたいと思います。

ん?21歳だよね?高校卒業までって18歳までってことだよね?じゃあ後編は3年しかないってこと?

って思った人いるかいないかは知りませんが、ぶっちゃけ小学校卒業まではあんまり記憶ないし、何より高校を卒業してからの濃さが半端ないのでこういった分け方になっています。

さて、前置きが長くなりましたが林雄の人生前編始まり始まり〜。

生誕〜小学校卒業まで

大阪生まれ枚方育ち、ひらぱー行ったことあるやつ大体友達。

ということで大阪市内の病院に生まれ枚方市で生まれ育ちました。

韓国人(といっても3世なので親父も大阪生まれ大阪育ち)の親父と
日本人の母親の元にうまれました。そうなんです。僕

日本人と韓国人のハーフです。このことについてはまた別の記事で詳しく話そうと思います。

姉(5個上と7個上)が2人いるので末っ子長男として今まで生きてきました。

家族、親戚、友達に恵まれすくすく育った僕はそのまま地元の小学校に入学します。

小学2年生になったばかりのある日、今では親友である双子に誘われサッカーを始めることに。

最初は体験として行きましたが、特に魅力を感じたわけでもないのに家に帰って親に「サッカーやりたい」と伝えました。なぜやりたいと思ったのかは今だにわかりません。

なので正直小学校の頃はサッカーがあまり好きではありませんでした。
結構なんとなくやっていたが、小6になり、勝つことに価値やゴールを決めた時の嬉しさを感じ始め、

中学生になったら、部活ではなくもっとレベれるの高いクラブチームに入ろうと思い、家から少し離れたところにグランドがあるクラブチームに入ることを決め、無事に小学校を卒業しました。

中学時代

中学も地元の中学に入学しました。同じ小学校だった友達もいれば、違う小学校からくるやつももちろんいる。

まあビックリするくらいに沢山の友達がすぐにできましたが、自然と隣中学の友達と絡むように。(上の写真の黒シャツ2人は隣中学の友達。)

バカなことしたり、バイクに憧れたり、腰パンしたり、襟足伸ばしたり、練習がない日はコンビニやゲーセンにたまる日々。

とにかく中学時代は家族や全く知らない他人に迷惑ばっかかけていました。恥ずかしい過去だけど、この時は後先も何も考えてなくてただただ楽しかったです。

ところが中学2年の終わり頃でした。ずっと連んでいた友達の自分以外全員がここでは書けないことに手をつけ始めました。

サッカーだけは真面目にやっていた僕は迷います。このまま自分も手をつけて連んで行くのか、サッカーに尽くすのか。

ただ、クラブチームでは指導者やチームメイトに恵まれ、サッカーが本当に楽しくて仕方なかったんです。そこで僕が出した答えは

サッカーでした。

ずっと連んでいた友達とは縁を切ることはなく、遊ぶことを辞め、練習がない日も自主練に励み、1人のサッカー選手としてスキルの向上、チームとして大会での成績を追い求めました。

ずっと遊んでいた友達はもちろん応援してくれたし、学校内ではよく一緒にいました。

サッカーに集中し、励んだおかげで5つの強豪高校からスポーツ推薦をいただき、その5校の中から選んだのは「関西大学北陽高校」でした。
(選ばれたのは綾鷹でしたみたいな感じですね。いや、違います。)

なぜその高校を選んだのか、理由は大きく2つあります。

①5校のなかで一番自分のことを欲してくれていた
②サッカー以外のことも学びたかった

この2つですね。2つ目なんですがサッカー以外というのは人間性や道徳的なこと。
文武両道を掲げ、挨拶、礼儀、ピッチの中と同等にピッチの外での立ち振る舞いを重んじるサッカー部だったので、そういった部分を学ぶためにこの高校へ進学を決めました。

高校時代

高校は家から1時間半くらいのところにあったので毎日6時に家を出て電車で通っていました。

「関西大学北陽高校」

この校名を見てわかると思いますが、関西大学との提携校です。

クラス分類は特進コース、文理コース、スポーツコースの3つに分けられ、もちろん僕はスポーツクラスに。
スポーツコース以外の2つのコースはレベルの高い入試を受け、入学します。

しかし、まさかのスポーツコースも同じ入試問題。僕はリアルに全教科あわせて10点くらいだったと思います。
周りのスポーツコースのやつらもそんなもんだと思います。

とにかくサッカー漬けの毎日でした。部員全員で全国一をめざす日々。

走り過ぎてぶっ倒れたこともありました。それでもプロになりたくて、全国優勝がしたくて練習し、走り続けました。でもそんなに甘くはありませんでした。

高3になり、プロサッカー選手を諦めたと同時に進路を考えました。そこでぼくはふと、

(どうせならいろんな世界を見てみたい。)

こう思い、サッカー部の先輩が乗船したピースボートを思い出し学校帰りにケータイで調べたことを今でもはっきりと覚えています。

ただ、残り1年、高校サッカーはやり遂げたかったので最後の最後まで全力で取り組みましたが結局3年間全国出場は叶わず。秋に高校サッカーを引退し、それからはピースボートで世界一周をするためにバイト三昧の日常を送り、

2016年2月20日 関西大学北陽高校を無事卒業しました。

もっっっっっっっのすごくざっくりと書いてきましたが高校生活は本当に濃いものでした。一つ一つ書けばキリがないので本当に簡潔に書きました。

さて、前編はこれで終わりです。後編では高校を卒業してからピースボートに乗船するまで、そして乗船してから今に至るまでを書いていこうと思います。

さあさあここからガラッと変わって濃くなって行きます。お楽しみに。

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