虚勢がじゃまくさい
コミュニケーションでたまに相手の話す前にすっ飛ばしてしまったりする時あるな、なんでだろう、と思って考えていたら、虚勢張ってるからだなというところに行きついた。
虚勢でコミュニケーションに失敗した!
誰かと合わせること。でも思わず虚勢を張ってしまいがちだ。それでコミュニケーションがうまくいかなくなってしまう。立ち止まりたい・・・。
テンポ、レスポンスがゆったりな人と話すと、相手が発言する前に話してしまって相手が話すことを途中でやめてしまったり、相手の話していることをくみとって「こういうこと」って言ってしまった”すっとばして”しまうことがある。というかまたやってしまった。
そうやっちゃうときって相手に合わせる、ないし向き合うことができていない時だ、で、なんでできていないかというと、おちついてない、落ち着いてないときって大体虚勢を張っているんだよな。
虚勢の勢いのほうがのほうが何となく盛り上がるみたいな、信仰が自分の中にまだある。
―――――――――――――――――――――――――――――――
昔の話―なんで虚勢を張る信仰ができたか
おっとり時代
その昔、自分は結構おっとりしている人間だった。話すのもそんなに早くはないし、運動も下手だし(跳び箱飛ぶのが下手すぎて先生に高い段を止められなことがあるくらい下手)あと、盛り上がるときに盛り上がりについていけないみたいな感じもあってそれが結構コンプレックスだったんだよな。
コンプレックスの爆発
で、時は流れて高校2年のころ、このコンプレックスに業を煮やしていた自分は、ちょうど環境が変わったことをいいことに、「脱おっとり計画」を始めた。シャキッと早く動くこと、早く話せることを目指していろいろ頑張っていた気がする。このころからこの素の「おっとり」に対して制御をして、早く動けるようになっていった気がする。
それのほうが、ノリにもついていけるし舐められないしいろいろいいだろという信念が強くあった。
虚勢のうまみ
実際そのあと、大学とかその辺ではこの乗りの良さとかテンポの良さで結構乗り越えられたこともあったし、広げられた世界があったように思えるので良かったっちゃよかったと思う。
虚勢を張ることで失ったもの
でもそうやって素のでなく演技した状態になっているとちょっと疲れるし、なにより「本来(素)なら合わせられそうな人」と合わせられなくなってしまったのにさみしさを感じていた。でもなんか残してしまっていたんだな。
―――――――――――――――――――――――――――――――
今は足かせ
今は虚勢を張ってまで合わせなきゃいけないような環境にはいないし、むしろそうじゃないコミュニケーションが多いので、持っていてももはやかえって足かせなんだな。
捨ててみようと思う
虚勢を張ることで相手に向き合うとかをすっ飛ばしてしまっていることを今回見つけられたし、さらにそのうらには虚勢張るほうが盛り上がるという信仰がまだ残っちゃってるみたいなので、どうにかそれを外していきたいなと思う。すぐにはできないかもしれないし、ほかにも引っかかってるものはあるかもしれないけど、とりあえずやってみよう~