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トリノスサーカス⑧『たどりついて個展』
今年は月に1作品、連作短編でやっていこうと思っています。
絵描きの中川貴雄さんのイラストです。
https://www.instagram.com/ekakino_nakagawa/
https://twitter.com/nakagawatakao
○舞台設定○
場所は白百合町。
いろんな動物たちがニンゲンのように暮らす平和な町。
そんな町の中央広場にあるのが、みんなに人気のトリノスサーカス。
トリノスサーカスを舞台に、いろんな動物たちのいろんな物語。
前回まで
前回までのあらすじ
トリノスサーカス団員のリッチは、
ひょんなことから賭けポーカーにハマり、
3匹のギャンブラーにカモにされしまう。
このままではダメだとやめよとするも、
なぜか上手く眠れない、という状態になっていまい、
仕事で失敗を重ねてしまう。
そこにとつじょ現れた謎のヒゲ面の男。
薬屋だという彼の薬のおかげで睡眠問題は解決。
しかし、ヒゲ面との約束を守らず、
解決した睡眠問題は再びぶり返し、
もっと非道い状態に。
そこで苦情を言ったリッチは、
ヒゲ面からある提案を出される。
登場キャラクター
ファルゴ……イタチ。トリノスサーカスの美術班
ドララ ……ニンゲン。トリノスサーカス道具係。
ヒゲ面 ……ニンゲン。謎の男。
⑦ 『たどりついて個展』
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渋い顔でした。
イタチのファルゴは1匹、何をするでもなし、イスに座っていました。
もともと彼の渋い顔が、どこまでも渋くなっています。
部屋の壁には数十枚の絵がかざられていました。
商店街の空き店舗、時おり通る者もいますが誰も入ってくる気配はありません。
そこは、ファルゴの個展会場でした。
1週間の展示期間に、おとづれたお客さんは職場の者――彼はトリノスサーカスの美術係です――や知り合いばかりでした。
ほんの数匹、ひょいと入ってきてくれた者もいました。
それも片手で数えられるほどで、さっと見て、去っていった者ばかりでした。
どんよりとした気分は、時間がたつにつれどんどん増していきます。
心踊る期待からの絶望、絶望からのやるせなさ、やるせなさからの――
「どうも」
とつじょドアが開き、ニンゲンの男が入ってきました。
帽子も上着も、騎兵隊のズボンもくたびれていて、手にはボロくさい袋をもっていて、ヒゲ面で笑みを浮かべていました。
「いい、空気にまみれてるじゃないか。遠くからでもよくわかる」
ヒゲ面は訳のわからないことを言い、「見せてもらっていいかな?」っとファルゴの絵を見はじめました。
ヒゲ面は、1枚1枚、ゆっくりじっくり、たまに「ほぉう」などと言いながら見ていきました。
「あんまり売れてないんだねぇ」
ファルゴはピクリと頭に血が上ります。
売れたのは小さく安い絵が数枚で、とうぜん買ってくれたのは同僚たちです。
とても売れたという実感はありませんでした。
ヒゲ面はそんなファルゴに気づいていないのか、にやけ顔でファルゴを見ます。
「いいねぇ、いいよ」
そう、言いました。
「なにが?」
ファルゴはぶっきらぼうにそう聞きます。
「お前さんの絵には、お前さんの一生がつまってる」
そう言われ、いっしゅん胸がはげしく波打つのを感じました。
「あんた……」
「知りたいねぇ」
「……」
「もっとお前さんのことを知りたいねぇ」
ヒゲ面は大きな口をいやらしくひしゃまげます。
その目は、笑っているようには見えませんでした。
そして、その目から視線をなぜか外せませんでした。
全てを吸い込むような目。
黒目がどこまでも大きい。
「ボクは――
――ファルゴは裕福な家に生まれました。
代々続く名家の3男坊、それがファルゴだったのです。
親は子供たちが小さなころから多くの習い事をさせました。
ピアノに書道に外国語。水泳。体操に塾通いといろいろです。友達と遊ぶヒマもないほどでした。
その中でも、ファルゴがとくに好きだったのが絵画教室でした。
他の習い事の先生は、間違いや失敗を正したり怒ったりしたのです。
それが絵画教室の先生だけは、上手く描けなくても、決まっていい所をみつけてはほめてくれたのです。
はじめは先生が好きで、続けていくうちに絵の描き方をおぼえてくると、絵を描くこと自体が好きになり、時間があれば絵ばかり描いていました。
おさない頃から町や国の絵画賞を多く受賞しました。
そんなある日のこと、学校で借りた本を読んでいる時でした。
その本は、少年が仲間を集めて冒険し、悪いドラゴンを倒す、っという物語でした。
ファルゴはその本に心を奪われたのです。
その心を奪ったのはお話の内容ではありません。
1枚の挿絵でした。
少年達が果敢にドラゴンに戦いを挑んでいる、そんな挿絵でした。
ファルゴはそれまで描いてきたのは、風景画、静止画、肖像画で、すべて実在する、目に見えるモノばかり描いてきました。
存在しない生き物など描いたことなかったのです。
そういうモノを描こうという考えすらありませんでした。
存在しない生き物が実在し描き写したような絵に、彼は心を奪われたのです。
ファルゴはその絵を、ずっとずっと、毎日毎日ながめ、マネしたりしました。
やがてドラゴンを見ないで描けるようになると、別の挿絵を探しては描き、探しては描き続けました。
しかしそれを誰かに見せるようなことはありませんでした。
兄のせいです。
「こんな絵なんか描いてなんの意味があるんだ」
自分なりに、上手く描けたと思ったドラゴンの絵だったのにもかかわらず、バカにされたからです。
事実、意味がなかったのです。
ファルゴが賞を取った絵画コンテストは、風景画や肖像画でなければいけなかったからです。
本の挿絵などはレベルの低い絵、っと言われていたのでした。
それは兄や父、絵画教室の先生ですらそう言っていたのです。
ファルゴはみなが言う、レベルの低い絵に心ひかれる自分に、劣等感を抱いたこともありました。
成長し、ファルゴも高校、大学と進学しました。
絵の学校に通いたかったものの、父がそれを許しませんでした。
それでも絵は描き続けました。
「どうしても言うのなら、出て行くといい」
父は言いました。
父の書斎で立派なイスに座り、ファルゴに背を向けたままでした。
普段の会話と変わりない口調で、なんの感情もこもってはいませんでした。
それはファルゴがそろそろ大学を卒業する、っというころでした。
卒業後は父親の会社に入ることになっていました。
2匹の兄達も、父の会社に入っていました。
いや、父も、祖父も、その会社に入り一族経営でつないできたのです。
彼の進みべき道は、産まれる前から決まっていたのです。
絵の道に進む――ファルゴの一生にはその道は存在していなかったのです。
「お前の好きにすればいい」
「……」
「本当に出て行くと言うのなら、そんな息子はいらん」
ファルゴは静かに部屋を出て行き、そのままわずかな画材道具と心奪われた本を一冊だけ持って、家を出て行きました。
これ以来、父とは会っていません。
小さなアパートで1匹暮らしはじめたファルゴは、まず出版社に売り込みをかけました。
彼の1番やりたかったのは、心奪われた挿絵の仕事だったのです。
なんと言われるか、不安でドキドキしながら編集者に絵を見せました。
「いいですね」
おどろきで、ファルゴは言葉がでませんでした。
その場ですぐに絵の依頼をされました。
2つ返事で答えます。
幸先は最高でした。
父に落とされた絶望から、天国まで一気に登った気持ちです。
描上げた絵も気に入ってもらえ、編集者はベタホメしてくれました。
しかし、仕事はその1件だけでとだえました。
理由は分かりません。
編集者は違ったみたいに「もう、君に回す仕事はないよ」っと冷たく言って終わりです。
では、っと他の出版社に行ってみても、箸にも棒にもかからない引っかかりませんでした。
適当なアルバイトを見つけ、絵は描き続けました。
運命の歯車は悪い方に回ってしまっていたのでしょうか、それとも賞金目当てだったのが悪かったのでしょうか、子供のころから何回も、何十回もとった絵画賞も、何度応募しても第1選考すら通りませんでした。
毎月毎月家賃に生活費、あとは画材を買うだけでアルバイト代は消えました。
なんの贅沢もできませんでした。
それでも絵を描き続けました。
毎年とはいきませんでしたが、絵描き仲間とグループ展をやったりもしました。
売れた絵はわずかで、誰かに認められることもありませんでした。
ひょんなことから、住み込みの仕事を見つけ、トリノスサーカスの美術班に入ったのです。
サーカスの連中など、ひとクセもふたクセのあるような連中ばかり、だとファルゴは思っていました。
ファルゴは自分もクセのある性格であると自覚していました。
おたがいクセのある者どうし、ちょっと変なことを言ってもやっても気にしないのです。
なにより連中はファルゴの絵をたまにほめてくれたのです。
そんな連中達との職場は、妙に居心地がよかったのです。
居心地のいい職場で20年以上働き続け、気がつけば、立派な中年になっていました。
そして絵は――
――描き続けてきたよ」
ファルゴは、今さっきあったばかりの、素性どころか名前すらも知らない男に、なぜこんな話をしているのか自分でもわかりませんでした。
その理由を探すことより、しゃべることの方が重要、な気がして仕方が無いのです。
まるで、熱に浮かされているような感覚です。
「悲しいねぇ、悲しいよぉ」
ヒゲ面は言葉とはあべこべに、笑みを絶やしていません。
「なにがだ……?」
「知らないと言うことがだよ」
「知らない? ……なにを?」
ヒゲ面は深いため息をつき、目をつむって首を振ります。
「お前さん、さっき絵描き仲間がいたって言ったな?」
「……それが?」
「そいつらは、あんたの絵を認めてくれたかい?」
「……」
ファルゴは『はい』とも『いいえ』とも言えまず、ただ黙り込んでしまいました。
町に1件の画材屋さん。
そこに通っている内に、募集展示に参加したりしているうちに、なんとなく知り合った者達が絵描き仲間でした。
誘われ、数名でグループ展をやったのです。
しかしファルゴの絵はその仲間内でも認められませんでした。
『あんたの絵はレベルが低いよ』
今も鮮明に思い出せます。
サルの、傲慢な男でした。
『あんたの絵は子供だましじゃないか。だって子供しかいいって言ってなかったよな』
その時、怒りで体が震え、何も言い返せませんでした。
昔から何も変わっていないのです。
風景画や肖像画は高貴な絵で、挿絵のような絵は子供だましの絵だというのです。
ファルゴはなによりも悔しかったのは、そのサルの絵は売れて、ファルゴの絵は売れなかったという事実です。
「なんで、そんなに認められないと思う?」
「……」
「レベルが違う?」
「……」
「下手だからか?」
「……」
「魅力がないか?」
「……」
「その全部か?」
そう聞いて、ヒゲ面はまた深いため息をつきます。
「違うな」
「……なに?」
「貴い絵、卑しい絵、なんてモノが存在すると思うか?」
「それは……」
「じゃあ、なんでお前さんの絵は誰からも認められないんだ?」
答えが見つからず、ファルゴはただヒゲ面に耳を貸すしかありませんでした。
「知りたいか?」
ヒゲ面はまた奇妙な目でファルゴに問いかけてきます。
「知りたいのなら、教えてやるよ。オレはよそ者んだ。変なしがらみもねぇしな」
ファルゴはヒゲ面が言ったことの意味も考えず、静かにうなづきます。
「他の力が働いていたのさ」
「……どう……いう……なんのことだ?」
ヒゲ面は1歩ファルゴに近づき、
「あんたの親父さんだよ」
耳元でささやきました。
「父……さん……?」
「挿絵の仕事はなんで断られた?」
「……」
「他にはなんで箸にも棒にもかからなかった?」
「……」
「お前さんの心を折ろうとしてきたんだよ」
「父さん、が?」
「他に誰がいる?」
視野が真ん中に向かってせばまっていきます。
「お前さんが筆を折って、家に帰ってきたらバンバンザイじゃねぇか」
ヒゲ面は甘い声でささやき続けます。
「わからんか? みんなお前さんの親父さんから金をもらってその手助けをしていたんだよ」
視線が赤みかかっていきます。
「お前さんがガンバリ続ければそれだけ金になるんだ、サーカス連中はゆかいでたまらんだろうなぁ」
ヒゲ面の息が耳にかかります。
「たまにほめたらやめないんだから」
完全に視界が真っ赤に染まりました。
「お前さんに、個展をやれって言ったのは誰だ?」
「それは……ドララ……」
それを聞いてヒゲ面は声を出して笑います。
ドララはトリノスサーカスの道具係のニンゲンです。
あたりが強く、気難しいと団員たちから思われているファルゴとも上手くやっていました。
「アイツはここに来てからだいぶたってる、って言ってもしょせんはよそ者だろ? そんなヤツにまでお前さんは金の種にされてんだよ」
ファルゴの中で何かがすっかり壊れる音がしました。
個展をやるのに、ファルゴは、最初はヤル気がありませんでした。
それが、ドララに何度も、何度も言われるたびにやる気が芽生え、今日にいたったのです。
『あなたの絵を誰にも見せずに自分だけでとどめて置くのはもったいないですよ』
その言葉を信じた――信じてしまった。
「わかる。わかるよ。オレにはわかるよ」
ヒゲ面はファルゴの肩を抱きます。
「お前さんの気持ちがオレにはよくわかるよ」
ファルゴは体を震わせ、目には涙がたまっていました。
「お前さんは来世でしか絵描きにはなれないんだよ」
「ふざけるな!」
ファルゴは震える声で怒鳴ります。
「そうだ、その気持ちだ」
「クソっ! クソっ! クソっ!」
「オレが手伝ってやるよ」
ヒゲ面はそう言って、手に持っていた袋に手を入れました。
「お前さんにやるよ」
そういって、袋から小さな箱を出してきてファルゴに手渡します。
「そいつは魔法の絵の具だ」
ファルゴはフタを開けてみると、中身は12色入りの絵の具でした。
なんの変哲も無い絵の具に見えます。
「そいつで絵を描いてみな、お前さんが思った通りのモノになってくれるぜ」
「思った……通り?」
「お前さんの一生は壊されたんだ」
「……」
「だったら壊してやんな。お前さんにはその権利がある。そうだろ?」
ヒゲ面はポンっとファルゴの肩を叩き、離れました。
「楽しみにしてるぜ」
それだけ言って、ヒゲ面はひとりゆかいそうに笑いながら出て行きました。
*
それから少ししてからの出来事でした。
1匹のブタが町を歩いていました。
トリノスサーカス団員ジャグラーのリッチです。
必死の形相で、大事そうに4角い黒いカバンを胸に抱え歩いていました。
歩く速度は徐々に速くなっていきます。
息を切らせ、約束の場所まで急ぎます。
かどをがまり、そこに人がいるのを見ると、もっと速度をあげました。
「もってきたぞ!」
リッチはヒゲ面に持っていたカバンを差し出します。
「ごくろうだったねぇ」
「はやくくれ!」
「そう、急ぎなさんな」
ヒゲ面はリッチに我関せず、カバンを開き、中をながめます。
「いいかげ……ん……」
ヒゲ面は笑っています。
一瞬、その口が耳のはしまで裂けているように見え、リッチは言葉を飲みました。
「ほぉぅらぁよ、イイ夢みな」
パタンとカバンを閉じると、ヒゲ面は上着のポッケから小瓶を取り出しリッチに投げてよこしました。
そして、リッチをそこに残し、ひとり去っていきました。
『お前さんにひとつ頼みたいことがあるだけさ』
『なぁに、簡単な仕事さ』
『お前さんのところに、ドララって野郎がいるだろ?』
『そいつがいつも持ってるカバンと、こいつを入れ替えてくるだけでいいんだ』
『まあ、ちょっとしたいたずらみたいなもんさ』
『イヤならいいんだぜ、別にクッックククク』
その後ろ姿を見ていて、リッチはなんだかとんでもないことをしてしまったんじゃないのだろうか? っとぼんやりと思いました。
背中にまとわりついた、薄ら寒い何かが取れません。
ヒゲ面からもらった小瓶を手に、リッチはとぼとぼ歩き出しました。
今は何も、考えたくはありませんでした。
しょぼくれて、下を向いて歩きます。
ドン! っと何かにぶつかり、リッチは尻もちをつきました。
「あっ……あああわあ」
何かを見たリッチは悲鳴を上げます。
全身ミドリ色の肌、トラのパンツをはき、頭には角が生えています。
金棒を片肩にかつぎ、恐ろしい形相でリッチをニラみ、見下ろしてきます。
鬼でした。
「むぎゅぅぅ……」
リッチは鬼と目が合った、それだけで気を失ってしましました。
鬼はリッチに気もとめず、
「フン!」
っと金棒で近くにあったテレフォンボックスを破壊しました――
――続く