34歳、自分史を振り返ってみる #1
こんにちは、行政書士の辰巳です。
折角の機会なので自己紹介がてら人生を振り返ってみようと記事を書き始めたんです、が。あまりにも暗い話が多すぎて、一旦ボツにしました。南無。
というわけで仕切り直して各フェーズを短めに振り返っていきます!
誕生から小学校入学まで
生まれは鳥取県の真ん中あたり。温泉が出ることと海が近いこと以外何にもない超ド級の田舎町。
生まれて間もなく両親が離婚し、母方に引き取られ祖父母の家で幼少期を過ごす。父親の顔は全く覚えていないし、わけあって一緒に暮らしていた祖母とも血のつながりがないので、ちょっと特殊な環境ではあったと思う。
小さい頃は耳の病気で通院漬けだったけど、働きに出ていた母に代わって祖父母が面倒を見てくれたおかげで、それなりに不自由はなかった。お絵描きと手芸が好きな、ごく普通の内気な女児だった。
小学生時代
一言で言えば地味。よく言えば悪目立ちしない。友達が全くいなかったわけではないし、いじめられていたわけでもないけど、「2人組を組んでねー」と言われると必ず余って3人組になったり、同じく余った冴えない男子と組まされたりするようなやつだった。
小学校に入学してすぐ(確か1年生の5月だったと思う)母親が再婚して名字が変わったため、全ての持ち物の名前欄に二重線が引かれ、訂正まみれだったのがすごく嫌だった。再婚の時期はよく考えて欲しいものだ。
中学生時代
同じ町の中学校にそのまま小学校のメンバーがごっそり通うので、特に変わり映えもなく引き続き地味な毎日を送る。私立に行く離脱組もいなければ、中学デビューもないのだ。
死ぬほど運動が嫌いだったのに(成績は体育以外オール5の筋金入り)、全員運動部に所属しなければならないという田舎の謎ルールがあり、消去法で最もマシそうだった新体操部に入部。しかしこれが全ての間違いだった。
我々の代の入学と同時に新体操部の顧問に就任した女性教師が、なんと日体大で新体操をやっていたガチ勢。彼女の努力の甲斐あって(?)しごきにしごかれた私たちは驚きの展開で勝ち進み、最後の夏に全国大会への出場権を得る。学校始まって以来の快挙だったそうだ。
夏休みは2日だけ。育ち盛りでも体形は死守。体育館が使えない日は校庭で走り込み(これが一番辛かった)。仕舞いには謎のロシア人コーチまでやってきてロシア語で怒鳴られまくる始末。地獄の思い出ばかりだけど、体育会系メンタルは身に着いたのでまあ結果良かったのかもしれない。
高校生時代
やってきましたデビューの時代。脱地味を掲げて乗り込んだのは制服が絶妙にダサい県内の商業高校。イキってスカート折ってみたって、臙脂色のネクタイが可愛くないから困っちゃうね!
中学3年の時点で「大学には行かない」ことが決定していた私。当時は薬剤師になりたかったんだけど、授業で作った進路ロードマップ的なものを親に見せたら鼻で笑われましたよね。経済的余裕がないので高校卒業後は働いて貰わないと困る、ってことで。そんななので、就職には困らないように商業高校を選んだわけです。
するとなんということでしょう。本来であれば恐らく県下トップ校に入れるくらいの成績だったので、偏差値50ちょいの学校に適当に入学した結果、入学後最初の考査でまさかの学科1位。いい意味でだいぶ勘違いさせて貰いました。
こうして謎の自信がついた私は勉強に、部活に、バイトに励み、なかなかに充実した高校生活を送ります。今考えたらこの時期が人生で一番バイタリティに溢れてて、我ながら凄かった。平日は日中学校に行き、放課後は部活、18~22時までバイト(校則違反)。休日は午前中部活、13~17時までバイト①、18時~22時までバイト②(もちろん校則違反)、という思い返してみても相当無茶苦茶な生活。
20時以降のバイトがバレて停学になりかけたことも2度ほどあったけど、初級シスアド取ったり、漢検2級取ったり、全商簿記1級取ったり、なかなか成績が良かったもんで大人の都合でどうにかなった。調子に乗って髪の毛も染めてたけど、こちらも大人の都合で3年間どうにかなった。
高校生活を満喫し、就職先も無事大阪の上場企業に内定。当時の担任や進路指導の先生には就職を反対され、「短大はどうだ」とか「慶応の通信はどうだ」とか、あらゆる選択肢を提案してもらったんだけど、どれもNO。実家が貧乏だからってことも勿論あったけど、高卒の両親から勉強の大事さとか、学歴の重要性とかを一切学んでこなかった私には、奨学金を貰ってまで大学に行く意味が全く見いだせなかった。
今思えば、先生たち、本当にごめんなさい。笑
後編に向けて
というわけでここまでが生誕の地、鳥取で過ごした時代のお話。
あ、そうだひとつ書き忘れた自慢事が。高校では新体操の経験が活かせるかもと思って部活でバトントワリングをやってたんですが、「鳥取県合同チーム」として毎年出ていた大会があって。他校だったけど、実はその合同チームで女優の瀧本美織ちゃんと一緒でした。学年が私の2個下だったので1年しかご一緒しなかったけど、可愛くて練習も真面目に参加していて、とっても素敵な方でした。鬼太郎のアレンジ楽曲で一緒に踊ったんだよね(選曲のクセ)。
長くなってしまいそうなので後編はまた次回!
以下に続きます。