Exit This Earth's Atomosphere
空が青かったということを、忘れずにいようと思う。
自分が生きているうちにこの星がダメになるなんて正直思っていなかった。まああと百年くらいはいけるんじゃあないのと思っていたのだけれど、タイムリミットは案外早く、そして突然にやってきた。
実感など伴わないまま、引っ越しの準備を進めている。
段ボールだらけの部屋でベッドに寝転がり、わたしはカレンダーに視線をやる。この星のこの国で夏を終える前に、住民は各々指定された星に引っ越しをすることになった。わたしの転居先は寒い場所だ。冷たい海がある。それだけしか知らない。
わたしは起き上がって部屋のカーテンを開けた。強い太陽光が目に差し込み、外からは微かに蝉の鳴く声が聞こえる。空は青く、大きな入道雲が浮かんでいる。絵に描いたような夏空だった。
今年以降一生、わたしは夏を体験することはないだろう。そんなことを思うと何だかそうめんが食べたくなった。キッチンに向かい冷蔵庫を開ける。めんつゆが切れていたし、そもそも肝心のそうめんがない。クーラーの効いた部屋から出るのは億劫だったが、湿気で分厚く膨れあがった夏の空気に包まれるのもこれが最後だぞと、思いきって外に出た。
漂白するような光が、わたしの影を地面に黒く焼き付ける。少しサイズの大きいサンダルを鳴らすようにして歩いていると、セーラー服を着た少女たちとすれ違う。
「夏休みが明けたら向こうの学校かあ。やだなー」
気だるげな声が聞こえて、そういえば今日は七月二十日かと思い至る。世間の学校は今日修了式を迎えたはずだ。
「地球で過ごす最後の夏休みとか」
「大体引っ越しの準備で終わるじゃん」
「あんたらどこになった?」
「月」
「火星」
「ええー、近所。いいな。わたしパンドラ」
「どこだっけ、それ」
「土星の衛星」
ウワー、遠いねー、とひとりが笑う。わたしは足を止め、遠ざかっていく彼女たちを一度振り返る。
「来週、海行こうよ」
「やだよ。焼けるじゃん」
「水着着れる体型じゃない」
「いやでも夏だしさあ」
もうすぐこの星が終わる、そんなこと別に大した問題じゃないとでも言うように、十代の女の子たちは楽しそうに笑っている。わたしは踵を返して自分の進行方向に歩き出した。蝉が変則的な飛び方をしている。わたしは小さい頃からこの虫が本当に苦手だったと思い出す。
土星の衛星は遠い。
わたしが行くのも土星の衛星だ。寒い。海がある。名前は、エンケラドゥス。
どんな場所なのか想像もつかない。海の色が青ければいいのだけれど、そんなこともないのかもしれない。その場所でわたしは、今と同じわたしでいるんだろうか。この星が終わって、わたしの中の何かも一緒に終わってしまうような気がする。そんなのは杞憂なんだろうか。
とりとめのない思考と、自分ひとり分の重さをつれてわたしは歩いて行く。そうめんとめんつゆを買うために。ついでにアイスクリームも買ってしまおうと思っている。
夏の気温はわたしの体温より高いから、自分とこの世界の境界線が曖昧になる。町に降り注ぐ夏は眩しく、この星の内側でゆっくりと全てが壊れていっているなんて想像もつかないほど穏やかだ。数ヶ月後には世界が終わる。わたしを包み込んで、わたしと世界を一緒くたにするこの分厚い大気からわたしは出て行く。
生きていくために。
ふと足を止めて、空を見上げた。
どんなに目を凝らしても星のひとつも見えない。ただ青い。空が青いのは、地球の大気と太陽の光のせいだ。だから――、
「夏は嫌いだな」
口に出して、少し笑った。
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