Dance on the Mars
カーテンから覗く星が火星だということを知ったのは大人になってからで、それまでずっと昔死んだ猫が星になったのだと信じていた。父はそう言ったし、わたしはその言葉を疑いもしなかったのだ。
あの星は猫やわたしが生まれるずっと前からあって、大昔には火星人がいたのかもしれないなんてことを知っても、わたしにとってはあの赤い星は可愛がっていた猫の生まれ変わりだった。猫の声も毛並みの柔らかさももうあんまり思い出せないけれど、彼女がつけていたのは赤い首輪だったから赤い星になったのだ。そう、父は言った。
その父も、今はもうどこにいるのかわからない。
生きているのか死んでいるのかも知らないから、わたしは勝手に父を火星に送ってしまった。父と猫は仲があまり良くなかったから(猫が一方的に父を嫌っていたのだけれど)、お互い気まずいかもしれないけれどところ変われば心も変わるかもしれない。
わたしはベッドに入って、眠くなるまでの少しの間、いつも赤い星を眺めてそんなことを考えた。
火星の最奥には悲しみの泉があって、だから普段火星人は泣いてばかりいるのだと何かの本で読んだ。本のタイトルは忘れてしまったけれど、わたしは赤い星でいつまでも泣いてばかりいる火星人の姿を思って可哀想に思う。わたしの大切な星は悲しみの星なのか。わたしの大事な友達の化身は悲しみの象徴なのか。
あの星にいるわたしの父も泣いているのだろうかと考えた。
わたしは、お父さんが泣くところなんて生まれてからずっと見たことがなかったから想像がつかない。忘れてしまっただけかもしれないけれど。
わたしは今日もベッドの中で、眠りに落ちるまで赤い星のことを考える。頭の中楽しい曲を再生して、すすり泣く音なんて掻き消してしまって、自分も火星に立つ想像をする。
すすり泣く火星人たちはみんなわたしによく似ている。本当に悲しそうに泣く彼女たちに、わたしは笑って手を伸ばす。
「もう悲しいことなんて何にもないでしょう」
火星人には言葉が通じない。
だからわたしは彼女たちの手を取って、音楽に合わせてステップを踏む。重力の少ない星で、身体は軽やかに動く。見上げた空はどこまでも暗い闇が続いている。
火星は砂漠みたいな赤い砂の土地だった。
わたしが猫の毛並みを覚えていれば、もう少しここは柔らかい場所だったのかなと、そんなことを考える。火星人たちは悲しみを忘れたように、忘れようとするように踊る。
視界のどこかに父の姿が映らないかと思うけれど、わたしと似た顔しか見つからない。わたしの想像の中だからわたしの好きにさせてくれたら良いのに。でも、まあ、自分の感情も記憶も自分の好きなようにできたことなんてないのだから、そんなものなのかもしれない。
音楽が鳴る。
一心不乱にわたしたちは、自分の奥にある悲しみの泉を揺らがせて、せめてその底に眠る記憶を掬い上げるように、踊る。