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コロナ禍のインターハイ

 私は高校時代、登山競技というものをやっていました。といってもどんな競技かわからないと思うので概要はこんな感じ。

審査項目
体力(タイム制)だいたい4hコースを16キロ~24キロの荷物で競う
体力点の補足 1位のチームに遅れるごと減点
歩行 スリップや、走る、4人パーティの間隔が悪いと減点
読図 2万5000分の1の地図を利用し、ポイントの正確さを競う
気象 気象事項に関するペーパーテスト。天気図の作成
知識 大会にかかわる山域、医療、植生の知識を問う
記録 記録書を各自作成し、各ポイントで書き込む
計画 計画書の適切さを判断
設営 10分以内に既定のルールを満たしたテント設営
炊事 1時間以内に炊事を完成させ、安全・衛生面を競う
装備 個人装備・団体装備の点検
マナー 山道でのマナーや就寝時間の監視、ごみの処理等

 これで100点満点の計算。この競技はマイナーで知られていないものの国体競技になったことからインターハイも実施され始めました。トライアスロンの山&チーム対抗戦に似たところがある、過酷な競技です。

 高校2年のときは、静岡県予選・東海大会準優勝という結果で終わり、悔しさから、当時一緒に出ていた同級生と全国出場をずっと目指していました。当時最強と言われていた男子の先輩方のチームはライバル校に惜敗してしまい、その涙を同じ会場で見ていた身としては、来年こそ男女でアベック優勝するんだと意気込んでいました。

 その矢先、コロナで練習ができなくなり、テントの中は3密を避けられないため静岡県予選も中止になってしまいまいました。女子はみんなで話し合いを重ねて分担や踏査に行きつつ、計画書を書き始めていたし、男子は今年こそはと10万近くかけてザックを新調したばかりでした。

 今となっては過去の話。でもこのメンバーなら全国大会の尾瀬に行けるだろうと信じていました。だから今でもたまに、全国に行こうと誓った子たちと泣きながらLINEしたし、応援してくれた、両親も何も言わずに見守ってくれていた去年の5月が思い出されます。引退の日は、絶対泣かないエースだった男子の涙を見て結局全員もらい泣きしてしまった、悔しい苦い記憶があります。(今思うと去年の5月に涙使い切るほど泣いてた)

結局、果たせなかった目標は、後輩たちに置いてきました。

 それが伝わっていたのかずっとわからず、卒業式の後の宴会も出来ずじまいで、高校を出ました。宮城に来てから、顧問の先生の相談に乗ったり、LINEで後輩と話をしたりはしたもののそれが役に立っていたかどうかはわかりませんでした。

 昨日の夜(静岡予選の前日)、仲良くしていた後輩から「もう大会前日になってしまいました。絶対に勝って、いい報告しますね。」さらに普段あまり感情を口に出さない子からも意気込みが送られてきて、しっかりと自分たちの思いも引き継がれていたんだなとうれしかったです😊 伝統ではなくて、気持ちを次いでくれた子たちがいることが誇らしいです。(ちょっと重いけど、それだけ部活好きだったんだよな(笑))

 みんなにとって、愛鷹山がいい山になりますように。

 みんなの健闘を祈っています。🍀

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