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創業550年の駿河屋の伝統と革新的変化を積極的に取り入れられている株式会社大阪の駿河屋の常務取締役、岡本千寿さん

創業550年の伝統ある「駿河屋」の看板を持ちながら、イノベーションを起こして新しい「駿河屋」を切り拓いていく岡本千寿さんにお話しをお伺いしました。

岡本千寿(おかもとちず)さん
慶応義塾大学卒業後、キッコーマンで勤務。
結婚後、株式会社大阪の駿河屋 常務取締役として活躍中。

記者 岡本さんが大阪の駿河屋さんに関わるようになったきっかけを教えてください。
岡本千寿さん(後、岡本) そうですね。嫁いだ先が大阪の駿河屋の代表だったので、それがきっかけで関わるようになりました。血の違う私が入る事で駿河屋がもっと発展していくんじゃないかと思ったんです。盛り上げてみたいと思いました。
総本家からみたら創業500年、大阪の駿河屋の分家からみたら200年。もし廃業したら駿河屋の時代が終わってしまうんです。だから継続して伝統を守っていくことが重要だと思っています。今は廃業されていますが、堺にある与謝野晶子さんのご実家がうちの別家で駿河屋をやっていたこともあったんですよ。

記者 500年以上続く伝統を守り続けることは簡単ではないですよね。今は老舗の発展のためにどんな取り組みをされていますか?

岡本 今、色々変えているんです。老舗って今の時代、どこも大変で、特に和菓子よりも洋菓子って言われているんです。実は資金面でも大変で、原材料も高騰しているんですね。でも、しんどい今を乗り越えて頑張れば、その先は明るくなると思っています。お金はかかるけど、新しく変えることで社員にも頑張ってって言えるんです。駿河屋の色んな文献を見てたら、江戸時代の飢饉、2回の大きな戦争も全部乗り越えてきているんですね。本当にご先祖様が偉いと思います。戦後、自分の着物を闇市で売って砂糖買って和菓子を作ってたこともあったんです。

先日、100年前のお菓子手帳をもとに、新しく包装紙、紙袋、パンフレットをつくったんです。温故知新ですね。古きを見直して新しくを知る。
今まで伝統という安心感で売れていたけど、今の若い子は「駿河屋」を知らないので、大きい生どらを商品化して面白いことを取り入れたり、鉄紺色のコーポレートカラーで紙袋、箱、包装紙をリンクさせたりしています。そうすることで70代のお客様の層が、徐々に40代に変わっていくんです。今は毎日が試練で、老舗ののれんにあぐらかいてたらいけなくて、常に走っていくことだと思っています。世界各国に店舗つくるみたいに大きくしなくてもいいんだけど、着実に、愚直に、後世に残り続ける会社にしていきたいと思います。

記者 社内の人間関係で大変だったことはありますか?

岡本 そうですね、求人募集しても人が入ってこない時代で、特に製造業はなかなか来ないですね。モチベーション維持と、販売員の気持ちを上げるために制服を変えたり、あとは常に困ってることがないか聞いていますね。

記者 これまでにやめようと思ったことはありますか?

岡本 ありますね。クレームや、子育てとの両立の難しさでやめようと思ったことはあります。こんなにまでして働いて、何のためになるんだろうって思うときがありました。朝からお弁当4つ作って、晩御飯の支度をして、洗濯物をして、子どもたちも手伝ってくれますが、百貨店の催事などもあって休日も不定期、休日も1日ゆっくり寝てられないんですね。子どもたちを送り出さないといけないから。起きてから夜寝るまでが大変。子どもたちはずっと鍵っ子で小さいころはいつも習い事をさせてました。得意先との商談で商品をつくるための見積もりを取ったり、1日中走り回っています。いつも周りの人に助けられていますね。

記者 日常で心がけていることはありますか?

岡本 上から目線でものを言わないようにしています。一緒に働く人と同じ目線で働くようにしています。常に忙しい作業場を手伝いに行くようにしていて、一体感がありますね。あとは、私たちが売りたい商品に顧客が合わせるのではなく、お客様目線の商品をつくって、お客様目線で商品をつくるようにしています。

記者 これからAIの時代になっていきますが、どのような会社にしていきたいですか?

岡本 お互い様ってありますよね? 社員がお互いの作業を助け合ったり、体調悪い時にかわってあげたり、お互い様の精神がすごく大事。あとは、商談などで老舗の信頼関係で話が進みやすいのは本当に有難いですが、だからこそ嘘はつけないといつも思っています。愚直にコツコツとやっています。ゆくゆくはもっと社会貢献できる会社にしていきたいですね。熊本地震のときに羊羹を配ったらすごく喜んでもらえたことがありました。災害時の避難所に甘いものってあまりないんですよね。

記者 どんな美しい時代をつくっていきたいですか?

岡本 相手を思いやれる社会をつくりたい。今住んでるマンションが縦長屋みたいに、私の子どもが小さい頃にいろんなお母さんに助けられたんです。子どもがまだ小さいとき、私が商談の電話が入って急遽出かけてる最中に雨が降ってきたことがあったんです。子どもの友達のお母さんが、布団干してあるのを取り込んでおいたよってわざわざ電話をくれたんです。そのお礼に駿河屋のどら焼きをあげたり、本当に昔から周りにすごく助けてもらっているんです。今、社会的に人との関わりがものすごく減っていて、心の病が沢山増えてますよね。相談相手がいなくて、自分の考えの転換ができない人が多いと思います。ありがとうっていう言葉もなかなか出てこない人が多い。人の機微を読み取れるような社会をつくっていきたいと思います。

記者 ありがとうございました。伝統と革新をバランスを持ったお仕事をされていて、そしてお母さんでもあり、常にパワフルで元気な岡本さんにいつもお会いするたび、エネルギーをいただいています。本日は年末の忙しいなかお時間をいただいてありがとうございました。これからも老舗550年の駿河屋さんのご発展を祈願しております。

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岡本千寿さんの情報はコチラ↓↓

大阪の駿河屋 http://www.o-surugaya.com/

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《編集後記》

今回インタビューを担当した泊です。いつも岡本さんを見るたび、プロの大阪の商売人のような、パワフルさとアグレッシブさと温かさを感じています。人とのつながりでお仕事と子育てをうまく両立されていらっしゃるお話がとても印象的でした。今後、益々のご発展を心からお祈りしております。ありがとうございました。


この記事は、リライズ・ニュースマガジン"美しい時代を創る人達”にも掲載されています。