日記2023年2月①

しまじろうコンサートの地方巡業を三歳になる子供がずっと楽しみにしていて、直前の一週間は毎晩しまじろうのことをしゃべっていたのだけれど、いざ当日会場に行ってみると、人が大勢いる物々しい雰囲気と、ざわつく子供を圧倒する大音量でかかる音響を怖がってしまって、開演前にがおがおさん(ライオンのおじさん)が前説を始めたところでこわいこわいと大泣きしてしまい、結局退席してロビーのモニターで舞台を見た。楽しみにしていたということは自分でもよくわかっていて、それなのに楽しめなかったということは少なからずショックだったみたいで、その後は気丈に振る舞いつつも変なハイテンションでいつもとちょっと違った。親としても切なくて、悲しかった。私自身、小さいときから大きな音が苦手で、花火大会とか、風船の破裂音とかを怖がってしまうところがあった。緊張を煽る雰囲気が苦手で、ディズニーランドのホーンテッドマンションで乗り物に乗る前に泣いて退場したことがある。自分のままならない感情でせっかくのイベントを台無しにしてしまうことがたくさんあって、そういうときは親も巻き込んで悲しい顔にしてしまうからやりきれない気持ちになる。会場にはイヤーマフを着けている子もいて、もしかしたらそれがいいかもしれないと思った。

教官からメールの返信。やはり6月頃から研究に戻っておいたほうがいいのではないかとの由。自分でもそう思っていたので驚きはしないのだが、少し返信を迷っている。メールには他にも内容があって、卒業自体は以前に投稿した別の小さな臨床研究の成果だけでもできるかもしれないからその線も考えて教授に相談してみてはどうか、ということと、余談として卒後も研究に携わる意志があるかということを訊ねられた。これには虚を衝かれたというか、大事なことだったが十分に考えていなかった。自分では大学院の卒業に関して気持ちを割り切ったつもりでいて、きちんと正しく研究をするということよりも作業としての論文作成を優先することにして、高邁なものから距離をとったつもりだったのだけれど、いざ教官から、途中になっていた研究を完成させることを一旦諦めて卒業に専念したらどうかと選択肢を提示されたときに、それで納得いくだろうか、それでいいのだろうか、よくないのではないか、と正しく立派な大学院生像とのギャップに戸惑い、すぐにその選択肢に手を伸ばせないことに気がついた。これは少しショックで、混乱して、一日悩んでいた。すぐに頭が抽象的な思考へと飛躍してしまって、そもそもうつ病とは、とか、そんなことを考えてしまってうまく悩めない。妻からは悩むのが下手だと言われた。一日悩んで夜7時に中華を食べながら、とりあえず、メールにどう返信するかという手続き的な問題に縮減してなんとかするのがいいのではないかというところにたどり着いた。まずやりたいようにやってみて、ダメだったらすでにある業績だけで卒業することを考える、という保険をかけるような内容で教官に返信する。政治的に振る舞う。とりあえずで動く。悩みは悩みで別に考えていく。

4月から通う幼稚園では毎月何度か入園前の子供の集まりがある。入園も近いのでなるべく行くようにしている。他の子が遊んでいるのを後ろから見ていたり、他の子が来たた固まってしまったり、なかなか打ち解けないから、入園後も苦労するんだろうなあと思う。自分も入園直後はよく泣いていた。これくらいの年齢になってくると、親も同じ頃の記憶が結構残っているようになってきて、子供を見る目がより重層的になってくる。自分の経験に照らして子供のこれからの苦労を思ったりしつつ、しかしそれもこの子の人生だしなあと見守る。おおらかな幼稚園を選んだのはよかった。

年配の人と話すと、死後の世界で先に亡くなった配偶者やパートナー、ペットが待っていてくれる、という話を聞くことがある。ふと、死ぬときのお迎えとか、あの世で待ってくれているのは死んだ人たちだけなのだろうか、と思った。私が死ぬときにまだ生きている人も、私が死んだら死後の世界で待っていてくれる可能性がないだろうか。生きている時間と死後の時間はたぶん別のものだから、私が死ぬときに生きている人が未来に死んで、死後の世界で私を待っていてくれることがあってもいいのではないだろうか。というのも、私が今死んだとして、その後の世界があるとしたらそこには実家の猫たちが待っていてくれるような気がしているのだけれど、その場合に、その中に今はまだ生きているみいちゃんがいないわけがないという気がする。もっと言えば、子供や妻もいないわけがないという気がする。最初は驚くかもしれないけれど、すぐああそうかと納得する。死後のことを話してくれる老人にこんな屁理屈めいたことをふっかけはしないけれど、こんなことを考えながら聞くとなにかがよくわかったような気がする。

医者をしていると、患者さんが自分より立派だなあと思うことがよくあり、精神科医としてそれを適切に伝えることが重要なのだけれど、そのときに、自分なんかよりずっと立派ですよ、と医者との比較において伝えてはだめで、そうではなく、患者さん自身の生活において内在的に価値があることを伝えなくてはならない。自分はそんなに立派な者ではございませんので、などという小さな自分の殻に逃げ込むことを許されない。医者としては居心地が悪いのだけれど、それをどうにかしないといけない。ちゃんと「医者」にならないといけない。これは、医者が患者さんを内側から深く理解しているというよりも、空っぽになって患者さんの話が入ってくるに任せている感じに近い。主体の座を明け渡しているというか。そのときは私というよりも、患者さんの医者としてそこにいる。

なんかオカルトっぽい話になってしまったけれど、私も普通に生きている身の上なので医学の外側、医療の外側を考えることがある。

教授にメールをした。夏頃から復帰準備を始めて秋に本格復帰し、中断していた研究を論文化して学位審査申請をするという流れで、もしだめならすでに受理された研究のみで学位審査の申請をするという二段構えでどうでしょうという相談。物言いがつかないといいが。とにかくメールした。裁判のように一歩づつ進む。そんなメールを打っていたらちょうど、去年受理された論文が発行されたという知らせを受け取った。なかなか苦労した論文で、あまり自信はないのだけれど、ちゃんと紙面になってみると立派に見えた。

教授からメールが返ってきた。論文がひとつあれば単位が足りているなら卒業できるからがんばれということだった。がんばれとは書いてなかったが。これでやっと本当に学務へ書類を出すだけになった。週明けに学務へ行って書類をもらい、教授のハンコをもらうように計らうことになる。少し腰が重いが、やったら日記を書く。

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