日記2025年1月①

1月1日
上の子が幼稚園で正座して両手をついて「あけましておめでとうございます」と言うのを教わってきて、年末にはよくそのことをしゃべっていたのだけれど、今日になったら一切やらなかった。マリオパーティーをやっていた。
おせちを食べた。そんなに高くないものを買った。まあまあのお味であった。子供も少しは食べたけどあまり好きではなさそうだった。
赤子が泣くので妻が連れて外出した。私は居眠りをしたり子供のゲームに付き合ったりした。年末に妻が子供に「どうして最近お父さんと仲良くないの」と聞いたら子供は「だっておとうさんはやさしく言ってくれない、ぼくはまだこどもだからできないのに」と言っていたということを妻から聞いた。私も年末はあまりコンディションがよくなくて、子供への注意が多かったところがあり、少なくとも言い方はもっと優しくしようと思った。年末には妻に共感的な言葉がないことを注意されたので、今年の努力ポイントは共感と優しい言葉である。しかし今日もよくできたとは言い難い。なんとなくぱっとしなくて何かしなければと焦るから、ゆっくり子供に付き合うことができない。うまくいかない。とりあえずお雑煮用の出汁を作ったがあまり満足感がなかった。
妻と赤子が帰ってきてお雑煮を食べた。子供にはスライス餅を入れた。一口はかじってくれた。赤子はずっと寝ていた。おいしいと妻は言ってくれた。
ずっと家にいてぱっとしない感じが続くので、日が落ちてから赤子を連れて出かけた。ひんやりとして気持ちがよかったが、ぐるぐると考え事をしてしまってあまり年始の空気を感じられず、意識して静けさや交差点の車の少なさなどに目を向けた。お店はどこも閉まっていて、ベビーカーで入りやすそうだったのが唯一駅の中のミスドだったので入ってカスタードクリーム(子供の頃こればかり食べていた、ミスドで一番お腹に貯まらない)とロイヤルミルクティを頼んだ。一応本を一冊持ってきたのだが読む気にならず、パソコンを開いて本の原稿を進めようかと思ったけれどツイッターばかり見てしまった。年末から精神科医のネットでの振る舞いにイライラすることが続いていて、ついそんなことに頭を使ってしまう。そうこうしているうちに赤子がもぞもぞと起き始めたのでミルクをあげた。今は缶の液体ミルクがあるので出先でも比較的楽に授乳ができる。左手でベビーカーの赤子に哺乳瓶をふくませて不自由になったらようやく原稿を進める気になって、右手でポチポチ次の段落の内容を書き出し始めた。30文字くらい書いた。わずかでも進捗は進捗である。
ミスドが今日は早く閉まるので退店し、帰った。道中で何がこんなに心を落ち着かなくさせているんだろうと考えて、そういえば年末に立てた目標が手つかずだったことに思い至った。レポートの下書きを作ることにしたのだが嫌だから先延ばしにしていたのだった。自分で年内に一本レポートを作ると目標を立てたことでそれを守れなかった罪悪感と焦りでやられていたのだった。私が何かやらなければならないことに手をつけられないでいるときにはたいてい目標が大きくなってしまっている。だから作業を細分化してごく小さなステップだけまずやるように設定して、あとはがんばれがんばれやれぼできる、やればきっと楽しいのだと自分をめちゃめちゃ励ます。帰りの電車の中で赤子の顔を見ながらそんなことを考えて自分を鼓舞した。
プレッシャーに負けているときには超ちっちゃいことだけやって安心感を得る、という自分なりのパターンを最近ようやくできるようになった。
家の近所で子連れのお母さんがうちの赤子を見てかわいいと言い、お父さんがんばってくださいねと言ってくれて嬉しかった。
帰ってとりあえずWordファイルを立ち上げてレポートのもとになるデータを貼り付けて終了にした。
お雑煮の出汁が残っていたので、ご飯にかけて雑炊のようにした。なんだかんだで餅よりこっちのほうが美味いかもしれない。
年末年始は自分の現状とこれからのことを意識させられ、人によっては親との関係なども関わってよくないことも考えがちである。まあ今回は自分なりに対処の方法を考えられたからよかったと言えるだろうか。やるべきことが多くて今年の抱負とかいう場合ではない。

1月2日
赤子が早い時間から泣いていたので起きてミルクをあげ、オムツを替え、離れると泣くので近くで横になったり抱っこしたりしていた。妻と上の子はよく寝ていて、9時を過ぎたところで私は赤子を連れて外に出かけてしまおうかなと思ったのだが、着替えはじめた矢先に上の子が起きてきて、ほどなく妻も起きてきた。
明日が上の子の誕生日だが、明日はディズニーランドに行くので今日のうちにプレゼントを渡して予約していたケーキを受け取りに行く予定にしていた。誕生日プレゼントは親が贈りたいものを贈ることにしていて、今年は簡易的な電子ドラムにした。ゴム製のマットにドラムセットの各ドラムのボタンが配置されていて、バチで叩くとそれぞれ音が鳴る。妻と今年は音楽関係がいいかもねと話してこれにしたのだった。本当の電子ドラムセットも見たが場所的に置けなくて断念した。値段も10倍になるのでちとキツい。
上の子は最近悪態をついたりわざと親が嫌がることを言ったりする。今日もプレゼントを渡したら「ぜんぜんほしくなかった」と言って親を悲しませた。
妻が事前に買っておいたHAPPY BIRTHDAYをかたどったバルーンと5(5歳なので)のバルーンを一生懸命膨らませて壁に飾った。その前で子供の写真を撮った。喜んでくれた。気づいたら電子ドラムもバカスカ叩いて楽しんでくれていた。けっこう上手だった。
私は赤子を連れてケーキを受け取りに行った。赤子がよく寝ていたので昼頃まで喫茶店で休んだ。うつ病の原稿を書き進めた。時間になってケーキを受け取り、ついでに小さなケーキを追加で買った。メロンのといちごのとみかんのもの。
帰ってケーキを食べようかと思ったが子供が公園に行きたがった。最初は「おとうさんはひとりで家でまってて」と言われたのだが妻の説得で私も行けることになった。公園ではストライダーに乗ったりマリオの凧を揚げたりした。子供でも凧揚げができてよかった。
明日のディズニーランドの件で実家とメールのやりとりをしていた流れでついついスマホを見てしまっていて、妻から「できたら子供を見てあげて、喜ぶと思うから」と言われた。本当にその通りである。子供といるときにもつい他のことに気を取られて、それこそうつ病の原稿のこととかを考えていたりして、そういうときには話しかけられると煩わしくなることもあって、子供からしたらすごく嫌だし不安だろうなと思った。反省してスマホをしまって一緒にブランコをしたりした。マリオの話をした。もう少し子供をただ見る時間を増やそうと思った。
帰って筍を炒めて作り置きのおかずで夕飯にした。上の子は「おとうさんのつくったのぜんぜんおいしくない」と言って妻に怒られていた。私も悲しかったが、何も言わずに聞いた。
食後にケーキを食べた。上の子は果物部分を全部ひとりで食べた。
明日はディズニーランドに行くので早く風呂に入り寝る支度をした。明日は赤子を連れて一日出かけることになるので物の準備をきちんとしておいた。上の子は張り切って手伝ってくれて、リュックに詰めておく赤子の着替えをタンスから出して持ってきてくれた。
子供が寝てからうつ病の原稿を仕上げて編集の方に送った。一生懸命書いているのだがまだ自分でもどういう内容になるか掴みきれておらず、こんなこと書いても誰にも響かないのではないかとか役に立たないのではないかとか私に何かを語る資格があるのだろうかとかネガティブなことばかり考えてしまう。
先日書いた小説と詩の冊子を読んでくれた方が感想を送ってくださり、大変嬉しかった。しかしそれでも自分の書くものへの怯えというか、こんなにつまらないものや下手なものしか書けないことへの恐怖があり、私は何をやってもダメだなあと思ってしまう。最近夜になるとどうも鬱々とする。理由はよくわからない。この日記もだらだら書いているばかりで人に読ませるようなレベルのものではないと思うのだが、なぜか書いていて、そしてこうして自己否定の糧になっている。こうやって公開なんかしなくていいじゃんと思わなくもないというかそう言われることを想定問答しているのだが、なんとなく人目に触れるところにひっそりと公開することが自分にとっては大事なような気もしている。このへんははっきりしない。はっきりしないのだけれど、私がこの世界を生きていくには必要な作業で、こうしないとこの世についていけない感覚がある。

1月3日
上の子の誕生日でディズニーランドに行った。私の母と姉も呼んだ。父は体調が悪いらしく来なかった。そもそも忘れていたらしく、リマインドしたときに怒り出したらしい。親も歳をとった。母は昔から膝と股関節が悪く、最近いよいよ杖を使いはじめ、今日は初めて車椅子を借りた。午前中は寒かった。上の子が私の姉とダンボに並んでいるあいだに昼のお正月パレードを見る場所取りをしていたが、予報に反して小雨が降り出したので急いでレインコートを買った。1人1800円也。パレードの時間直前に急に雨足が強まって、お正月パレードは中止になってしまった。子供とざんねんだったねと言い合った。赤子はずっと寝ていた。
ミニーと写真が撮れるところに行った。並んでいるあいだにすぐ雨が止んで日差しが出てきた。本当にパレード予定時刻の15分くらいしか降らなかったので惜しかった。ミニーのグリーティングはもともと各自スマホで写真を撮る(キャストさんに撮ってもらう)だけだったのだが、今日行ったらカメラマンが常駐するようになっていて、各自のスマホでの撮影に加えて希望者にはカメラマンが写真を撮り、あとで写真を台紙に入れて購入できるようになっていた。2100円也。収益化できる隙間にきちんとサービスを入れて金にしていて今のディズニーらしい。とはいえ今までこんなに普通に合理的なサービスが入っていなかったことがむしろ今になって驚きである。もともとはそれとは違う発想で運営されていたわけである。私はそっちのほうが尊いのではないかと思うが、とりあえず写真を撮ってもらい2枚注文した。ミニーは白いコートとマフラーを身につけた冬の装いで出迎えてくれた。大人4名、子供2名でそのうち車椅子1台、ベビーカー1台の大所帯だから並んで写真を撮るのもバタバタするのだが、ミニーが誰をどこに配置するかをテキパキと指示し、誕生日の上の子を真ん中にし、ベビーカーの赤子(ずっと寝ている)の背中と頭を妻がもたげるよう指示して顔が写るようにし、写真を撮った。すごいもてなしとリーダーシップであった。ギャルの姉御という感じだった。はずかしがりやの上の子もこれくらいがっちりリードしてくれると満足できて、ずいぶん長いことハグしてもらって嬉しそうだった。たしかにカメラマンに立ち位置とかを細かく指示されるとなんでそんな言われなきゃいかんのと思ってしまいそうだが、ミニーに仕切られればあれこれ言われても(無言だが)このためにここに来たんだなあと全く逆の感想になる。すごいマジックである。ちなみにディズニーキャラクターのグリーティングのオタクには「中の人」のおっかけというのがいるらしく、様々な痕跡的な情報から推しの「中の人」を同定し、シフトなども予想しておっかけをするらしい。うちの子にはまだ「中の人」という概念はなく、「雨だけど濡れないでここまで来られるかなあ」とかわいいことを言っていた。
ポップコーンを買い、中央広場のバスに乗り、お昼はショーレストランで食べた。これは1ヶ月前にアプリを連打して予約するのである。赤子がやっと目を開けたのでミルクを飲ませた。抱っこで大御所のような真顔でステージを見ていた。ここはキッコーマンが提供するレストランだから、母は「フルーツソースに醤油を使っている」と分析していた。昔からずっとそういうことを言う人であった。
子供が初めてスティッチの魅惑のチキルームに入った。最初はこわがっていたがスティッチや鳥が楽しく歌うのを見るものなので大丈夫であった。そのあとジャングルクルーズにも初めて乗った。毎回何かしら初めてのものを開拓していてえらいと思う。これから何年も来るたびに新しいアトラクションを発見する喜びがあるのは尊いことだ。ジャングルクルーズ的ユーモアの大まかな方向も昔から変わらなくてすごいと思う。好みではないが。
ジャングルクルーズが終わって赤子をベビーカーに移したらそこからまたずっと寝ていた。オムツを替えた。課金してベイマックスのに乗った。
場所取りをして夕方のシンデレラ城のプロジェクションマッピングを待った。母に場所取りを任せて私は子供と買い物に行った。光るグッズを買った。2800円+1200円也。暗くなるショーのときに持っていると安心するらしい。プロジェクションマッピングのショーは花火の使い方がいい。ただ基本的に立ち見を想定されているものなので、子供はかなり見えづらくなり、子供に見せるには抱っこが必要になる。子連れにはつらい。今日から5歳の子供を20分抱っこするのはかなりの重労働であった。プロジェクションマッピングは色々な作品の映像と歌が流れるので、上の子は一つ一つこれは何と聞いてきて、もともと知っているものは嬉しそうに私に教えてくれる。
夜のエレクトリカルパレードも悪天候の可能性があるということで早々に中止になり、雨の日用の短いパレードに変更になった。晴れていたのだが。子供はパレードを楽しみにして来たので残念であった。
軽くハンバーガーを食べ、あとは買い物をゆっくりした。誕生日だから姉が大きなおもちゃを買ってくれるということで、上の子と妻と姉が3人で買いに出かけ、時間をかけて選んでいた。私は母と赤子と待っていた。花火の時間になったのでベビーカーと母の車椅子を花火の見える場所に移動させた。母は花火が好きである。「あれは1000万はかかっているから毎日やるのはすごい」と相変わらずのことを言っていた。上の子も別のところから花火を見ていたらしい。あとで「虹色の花火だった」と言っていた。最終的にトイストーリーマニアのモチーフのプラレールとディズニーランド40周年記念DVDを買って戻って来た。
私は最近上の子となかなか仲良くできずにいたのだが、この日はずっと楽しくいられた。仲良くする感覚を取り戻せたように思う。
駐車場から大通りまで出るのに1時間近くかかり、家に着いたのは23時半だった。赤子がようやく起きて、ミルクをあげて寝たのが2時だった。

1月4日
赤子が7時頃泣いたので起きてミルクをあげた。上の子は遅くまで寝ていて、9時に起きてきたときにまた怒っていて、自分より先に起きちゃダメだと行っていた。自分だけ寝ていたことが寂しかったのだとおもう。
昨日買ったディズニーランド40周年記念DVDを見た。20年前のミッキーの映像に上の子は「顔がすこしちがうね」と鋭いことを言っていた。
赤子がぐずるので私が連れて外出した。外に出ると寝るので喫茶店をはしごして過ごした。
子供の誕生日というのは、私にとってはふつうに子供が生まれた日なのだが、妻にとっては自分が子供を産んだ日である。そのことを昨夜の帰路の車中で聞いて衝撃を受けた。私と妻では出産ということの当事者性が全く異なりその差は絶対に埋められない。誕生日というのは生まれた者を主体として見るものだと信じて疑ったことがなかった。それは母親が主体の座から退くことで可能だった。そんなことにようやく気がつく。妻は上の子の5回目の誕生日でようやく「子供が生まれた日」だと思えるようになってきたらしい。
李良枝『石の聲』(講談社文芸文庫)を読み始めた。言葉の自生的な浮上に意識を向けることと日記を書くことについて語り手が語ることから始まる。語り手のおかれる状況を語りながら、言葉を書くことについて考えることが語りを進めていく。冒頭は「義しさ」(ただしさ)という言葉から始まる。書くことの「義しさ」を問いながら、どのように書くのかということを考えていく。舞台はソウル、語り手は留学中の在日韓国人である。辺縁的な位相で揺蕩うほど思考は自身の行為に向かう。半年前に別れた同じく在日韓国人で留学生の加奈と約束した長編詩を書いている。
夕方家に帰り、入れ替わりで妻は忍たま乱太郎の映画を見に行った。上の子とは昨日からだいぶ仲がよくなった。お互いに優しく話せる。よかった。赤子はずっと泣いていて、ミルクをあげたりしてなんとかあやした。

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