見出し画像

その直方体はバスではなくて『長い一日』です

最近赤子の語彙の爆発が著しい。ものには名前がある、ということに自覚的だなと感じるようになってから2ヶ月ほど経って、話す言葉の数が増えたというだけでなく親の言葉を真似する頻度や範囲が広がっていて、昨日は栗原康さんの『サボる哲学』を弄んでいたから「それは『サボる哲学』だよ」と教えたら、「さぼる!」とはっきり言っていて頼もしかった。

ものには種類がある、分類できる、という認識もあって、くるまはブーブーなのだが、救急車は「ぎゅうぎゅっしゃ」、バスは「ばーちゅ」と言い、形によってはバスでなくとも「ばーちゅ」と言う。

初め、街で走るくるまを見て親が「ブーブーだよ」と言う。そのうち、親の言葉を繰り返して「ブーブー」と言うだけだった赤子が、走っているくるまを見て自分から「ブーブー」と言うようになり、やがてミニカーも「ブーブー」と呼ぶようになる。さらに、絵本の中に車輪が出てくると指をさして「ブーブー」と言うようになる。ここに明確な飛躍があって、親の真似から脱し、丸い車輪が回るという共通点を抽出して「ブーブー」という概念になったわけである。

街を走る自動車とテレビに映る自動車、絵本の自動車、さらにはミニカーが「同じ」ものとして発見される瞬間は、リアルタイムで体験するとなかなか感動的で、「ぶーん、ぶーん」と言いながらミニカーを押している姿を見ると、こうして蓄積された世界の似姿が赤子の頭の中にミニチュア世界を作っているのだなと感じて眩しい。

概念化はグループ化で、グループには要素があって、要素は並べることができる。家にあるミニカーだけでなく、新幹線、トトロの猫バス、プルバック式で走る飛行機やポニーなど、車輪のあるものを一箇所に集めて一列に並べるようになった。積み木やぬいぐるみは決してその列には加えない。世界に秩序がある。

概念は拡張するとともに細分化もされる。特別なブーブーが現れる。家の外から「パーパー」という音が聞こえる。あっ、と思うと、親がその音を「ぎゅうぎゅっしゃ」と呼ぶ。街でその音を出すブーブーを目撃する。あっ、と言うとやはり親が「ぎゅうぎゅっしゃ」と言う。救急車の発見。世界のミニチュアが更新されて、ぎゅうぎゅっしゃを再現するには特別な音が必要となる。「ぱーぱー、ぱーぱー」と口で言う。

大きくて角ばったものは「バス」と呼ばれている。「ばーちゅ」。しかしこれはぎゅうぎゅっしゃまさよりも多そうだ。ブーブーで外出すると何度も出会う。あれも「バス」、これも「バス」。バスの発見。今度はまた拡張だ。これもバスだったのか。

滝口悠生さんの『長い一日』を読みながら昼寝をして、布団の上に置きっぱなしにしていた。夕方赤子が保育園から帰ってきて、布団の上でくるまを並べて、その勢いのまま枕もとの『長い一日』を手に取った。カバーや帯がちぎられたら嫌だなと思って「返してくれい」と声をかけたが、そのまま本をひったくって、くるまの列に加えた。本を指さして「ばーちゅ」と言った。

バスなのかこれは。たしかに『長い一日』はクリーム色でやや背が低く、それなりに厚さもあって、ころっとしたかわいらしい感じでバスっぽくもある。びっくりした。文脈の誕生だ。くるまたちの列の中では、『長い一日』は「大きな」「直方体」であり、それはバスだ。車輪など要らない。規則、法則、それよりも、今この世界で何が起きているか、それは私の世界でありそれを決めるのは私だ。そのバスをよこせ。「ばーちゅ」。ここに並べろ。「ここ」。世界の反転だ。その直方体はバスではなくて『長い一日』だよ。いやいやいや。赤子は首を振る。その大きな直方体はバスだ。ばーちゅ。バスを並べろ。話はそれからだ。

いいなと思ったら応援しよう!