日記2024年7月⑤
7月15日
妻が当番で仕事に行っている間、祖母に会いたいと言うので東京まで出た。果物を食べ、早めに帰った。帰りの電車で寝て、起きたら機嫌が悪くて難儀した。最近いままでと違う乱暴な騒ぎ方をしてまとわりついてくるので大変である。体は4歳半のまま騒ぎ方だけ2歳の無軌道さになっているようで、赤ちゃん返りなのだと思う。これで実物の赤ちゃんが産まれてきたらどうなることやら。我に返るのか、もっと赤ちゃんになるのか。日々変わって両方ということもある。赤ちゃん返りの対応をする親がこんなにつらいとは思わなかった。なんだかつらい。際限ない渇望が口を開けていて、飲み込まれそうになる。
妻は妻でたまにすごく絶望的な顔になることがあり、後で聞くと強い孤独感を感じていたと言い、それは妊娠という自分と胎児だけの閉鎖関係の中で誰にも私のことは理解できないと感じる孤独だと言う。かといって抽象的なばかりではなく、妻が自分の居場所を作りたくて物置になっている書斎を片付け始めたときに私が眠そうにしていたとか、そういう具体的で瞬間的な欲望のすれ違いが妊娠という蒸留機の中でspiritualになる。私が全部悪いというわけではないが悪くないということもなく、こういうすれ違いがあってはならないというわけではないが少ないほうがよく、私がどうにかすればいいわけでもなくただ時間を持ち堪えるしかないことも多い。
今日はなんとなく夜が遅くなり、子供にだけは早めにご飯を食べさせ、親は後回しにして、風呂上がりに妻がカレーを作り始めた。長谷川あかりさんの出汁カレーのレシピで、最低限鶏ひき肉とネギがあればさっと作れるので優れている。作ってくれてありがたかった。これから作りたいレシピは写真に撮って2人で共有して、2人で作れるようにしようと話した。
詩を書き進めている。前回の講座で指摘されたことを頭の片隅に留めながら、少しずつイメージを辿りつつ言葉を引き寄せていく。今日はまとまりを入れ替えたりして全体の構成を動かした。詩をどう終わらせるかというのが難しい一方で後半に入っている感覚はあり、後半というのは当然前半があるからすでに文脈ができていて、文脈というのは書いている方にも制御しきれないものがあり、その奔流に乗りつつ流されず、簡単なほうへ行かずに緊張感を保って進めるのが非常に難しい。半月で後半まで進み、半月でその詩の固有の文脈を掴みながら仕上げるという感じになりそうである。偉そうに書いているが初心者の詩作である。でも真面目にやっている。
7月16日
曇り、時々雨。少しだけ涼しい。子供が早く迎えに来いと執拗に言ったが今日は無理である。上司が退院して明日から復帰するので上司の代診も今日が最後になった。だいぶ楽になる。
子供のお迎えをして帰りの車の中でもずっと大きな声でふざけていて、赤ちゃん返りというのはうるさいものだなあと思った。昨日からドーナツ屋さんに行きたいと言っていたので、ミスドに行った。雨が強くなって、ウィンドブレーカーを着て出たけど、蒸し暑くなったので着なくてもよかったと思った。
妻とパワハラについて話し合った。助けを求めることについて。
7月17日
子供がなかなか起きなくてずっと背中や腕や脚をさすったり揺すったりして、それでも起きず、しかし「起きないとスマホ見る時間なくなるよ」と声をかけたら「いやだ!」と言って怒りながら起きた。なさけなし。
ずっと入院していた上司が今日から復帰した。一応今日の新患は私が見て、病棟も一通り回り、上司に引き継いだ。上司は痩せていた。
7月18日
友達の家に遊びに行くのが楽しみで子供が朝5時に起きた。私はもともと休み、妻も休みをとり、みんな休みにした。長い朝をコメダ珈琲で過ごし、子供が眠そうで不機嫌になったので帰って一回寝た。13時に友達の家に着くように行った。そのうちの子と、もう一人、二人ともサッカー教室で一緒だった子である。うちの子にとっては初めてお友達の家に遊びに行った経験になった。子供達は初めは少しぎこちなく騒いだり別々にパズルをやったりしていたが、そのうちずっとみんなでワーキャーやっていた。私は恥ずかしげもなくよそのおうちの子と遊ぶことができ、よそのおうちの子から抱っこを求められ、よそのおうちの子を抱っこし、ソファに連れて行くように命令され、ゴロンするように命令され、一緒にテレビでポケモンを見たりした。あとで妻がよその子からあんなに下僕として信頼されているのが羨ましいと言った。親は座って駄弁っていた。保護者トークで楽しかったが、途中お母さんトークというか女性としての話になったりしたのはやや気まずかった。うちの子が友達と遊んでいるところを見る機会は案外少なく、みんなといるときはどういう感じなのだろうと気を揉んでいたが、蓋を開けてみれば、家の中とそんなに変わらず、むしろ家より大人っぽいくらいで、まあこんな感じだよなと思った。保護者もみんないい人たちで、とても楽しかった。子供達はいつまでも遊び終わらず、最後の最後まで走り回っていたが、誰も怒る親はいず、ぼちぼちと解散になった。車に乗ったらすぐ子供が寝た。5時起きだったのを思い出した。こんな書き方で伝わらないかもしれないが、子供たちにも保護者仲間にも囲まれ、人生で最高クラスに楽しかった。このために生きているのではないかと思った。また9月頃会いましょうかという連絡が入った。
7月19日
曇り。家の前でスポーツドリンクを買い、大学病院まで歩く間に全部飲んだ。昨日あんなに楽しかったのに、なぜかとても悲しい気持ちで起きた。なんだかそういう夢を見ていたようだった。いかにも元気がなさそうに肩を落としてトボトボと歩いた。
仕事はまたがんばった。大学病院ではいつも何か話している。外来診療や病棟の往診は当然であるが、外来の看護師さんとは今後の予定について話して、病棟では看護師さんや他科の先生と協議したり助言をしたりする。医局では誰かがおしゃべりをしているし、カンファでは質問やコメントをする。ずっと話していて、ずっと頭を使っている。帰り道ではカンファで言いそびれたことを考えている。
なんで大学病院だとそんなにがんばっちゃうのと妻に訊かれたが、よくわからない。若い先生ばかりだから、あれやこれや自分のわかることを精一杯伝えるときちんと受け取ってくれるからなのかもしれない。鬱陶しがられている可能性もおおいにあるが、まあ私もおじさんなのでしょうがないところはあり、高圧的になったり失礼になったりしないようにしながらやっていきたいと思う。
帰ったらどっと疲れた。久しぶりにテレビをつけてMステを見た。ジャニーズを辞めて滝沢秀明の会社に入った人たちが歌っていた。それは業界的にはすごい変化なのだろう。アラジンのホールニューワールドを日本のグループのボーカル男性2人が歌っていて、ハイトーンボイスのポップス歌唱で男性がディズニーの往年の名曲の女性パートを歌うのは、どう意図されたものかはわからないが、その85点くらいの出来(割と褒めてます)も含めてなんだかけっこうセクシーであった。
疲れていて日記も進みにくい。疲れた。疲れている。朝の鬱っぽさは不思議ととれた。でも疲れた。