日記2025年2月③

2月7日
昨夜、寝るときに上の子が泣く赤子に大きな声で話しかけていたのを「しずかにしなさい」と言ってしまい、上の子が泣いてしまった。これはだいぶ私が悪かった。上の子は赤子をあやそうとしていたのだ。謝った。そのせいで夜は寝ぼけて暴れていた。朝起きたらすっきりしていた。私は罪悪感で落ち込んでいた。
朝、上の子に引っ越し先のお家のことを話した。引っ越し前に見たいか聞くと、みたいと言うので、引き渡し前でも見せてもらえるか問い合わせようと思う。
仕事。午後のちょっとした時間に先輩とよい精神科医の能力について話す。ベタな話題だがまじめにこういうことを検討するのはおもしろい。当然ひとつの答えはないのだが、いろんなパターンを考えるのが大事である。先輩は小説を読んだ経験が活きたと感じたことがあるらしく、実は私は小説が臨床に役立ったと思ったことがない(書いているのに)ので、そこは不思議だったし、その先輩は小説を情緒豊かに語るタイプでは全くないのでそれもまたおもしろかった。
医局の秘書さんに唐突に学生の教育担当のポストをやればいいのにと言われた。前に他の教官の先生からも言われたことがあり、そのときも私は教育係に向いてないと宣言したくらい私は苦手感をもっているのだが、その後も私は教育熱心だからと言われることが多く、周りから見たらそうなのかもしれない。たぶんこの齟齬は、私は現在にしろ将来にしろ現れる患者さんの治療をよくしようということしか考えてなくて、しかしそれを側から見ると後輩を熱心に教えているように見えるという食い違いなのかもしれない。いやしかしそれこそが教育熱心だということなのかもしれないが、そんなことをいっていると永遠になんとでも言えてしまう。まあ教育担当のポストもやれと言われればやるかもしれないが、とりあえず大学病院は事務作業の量がバカみたいに多いのでそれが嫌だなとは思う。
夕方のカンファが盛り上がって長引いた。診断や評価の難しい例が2例あり、私一人だと整理が難しかったから上の先生がいてくれて助かった。診断基準になっている観察可能な事象とその下部に想定されているメカニズムや心理的体験の2つから、表と裏の両面から症候を確かめるようにするといいよ、という話をした。カンファが終わっても質問や相談をしてくれた。患者さんのことを考えるのは楽しい。
今夜は次の職場で一緒になる先輩とご飯を食べて相談に乗ってもらう予定だった。カンファが長引いたので開始を遅らせてもらった。私が初期研修医をした病院の精神科にいた先生で、その頃からの付き合いだからもう10年になる。とても熱心で患者さん思いで優しい。仕事の細かさが私なんかからするとすごいなと思う。専門医試験のことや次の職場のことを相談した。実は諦めかけていたのだが、とりあえず今できるところまでがんばりましょうということになった。共感的に聞いてくれてとても安心した。さすが精神科医である。先日病院に挨拶に行ったときに私はなんだか縮こまってしまってのびのびできなかったのだが、今日は好きに話せて、こんなこと言ったら変に思われるかなとかそういう不安なく安心して話せた。先生のおかげなのだが、同時に自分もこうやって好きな話ができるのだなと発見できた。事務仕事がポンコツであり専門医試験の申請が不安であることを伝えたのだが、そうなんだ、と受け止めてもらえて嬉しかった。しめ鯖やマグロメンチカツなどを食べた。23時までと買いてあったが22時でラストオーダーで、どんどん帰ってほしいムードが漂い出したので22時過ぎに解散した。帰ったらもうみんな寝ていた。

2月8日
赤子のお食い初めをした。上の子もやったお店である。上の子のときはコロナ禍だったので100日でできず、11ヶ月でやった。離乳食開始前の乳児のお食い初めは初めてだった。立派な鯛の尾頭付きが出た。精進料理のお店だが、特別なときにはこうして鯛を出してくれる。蕪のすりながしが出た。ふきのとうが出た。冬から春に橋をかけるような食材の流れだった。ご飯や鯛などを順番に赤子の口にちょんちょんとつけていく。ニコニコとしていたが、お吸い物が口についたときは舌まで到達みたいでミルクと違う味に驚いていた。私の祖父母の代から行っていたお店なので、女将さんと祖母の話もした。祖母から見れば曾孫まで同じお店で同じようなものを食べている。私の母はだからこの店への思い入れが強く、私と私の子供たちがいかにこのお店が好きかということを押し付けてくるのだが、まあそれはいいだろう。上の子も鯛や煮物などをがんばって食べていた。

2月9日
赤子が早朝から起きてすごいしゃべっていた。上の子よりもおしゃべりだと思う。人を見ると必ず笑う。人が好き、おしゃべりが好きみたいである。
金曜日のカンファで後輩と話したケースについて、論文を添えて考えたことのまとめをメールで送った。迷惑だったかもしれないが、困っているようだったのでできるアドバイスはしたほうがいいかと思った。ASDとOCDの鑑別や併存についての検討で、それをどう見分けて治療に繋げていくかということで、昔から難しい問題として有名ではあるのだが、実臨床ではさらに色々な要素が絡んでくるのでとにかく問題の整理の仕方が難しいのである。
wwfes2025に行った。なかなか時間が取れず短時間しかいられなかったが、日比野桃子さんの踊りをみられて、蟻鱒鳶ルのトークを聞けた。日比野桃子さんの踊りは身体の日常性や動作の習慣・癖のようなものを静かに取り出し、拡張してまた身体に戻すような、曖昧と明確、文節と総合、弛緩と緊張を振動するような印象をもった。優しい感性を感じた。蟻鱒鳶ルのトークは岡啓輔さんがビルの建設に携わった人たちを紹介していく内容であった。蟻鱒鳶ルはたぶん色々な見方のできる物でもあり出来事でもあると思うのだが、結果的に今回のトークではアナーキズム的な出来事としての側面が目立ったように思う。様々な人が出入りしながら互助的に連携していく。しかし一方で同時に、蟻鱒鳶ルというプロジェクトの存在感もまた強く際立つことになる。ボトムアップの運動がトップダウンの設計図によって一つの方向を持つ。そのような確固たるプロジェクトとしての蟻鱒鳶ルの特異性が影絵として現れていた。そのようにしてできた蟻鱒鳶ルという物の建築物としての価値が、トークの中でもさりげなく強調されていた。最高レベルの質のコンクリートを使っていること、200年もつであろうこと、曲線的に加工されたガラス、個性的な雨樋など。それらは最新の技術によってここに導入できたものだということ。現在の情報化された資本主義社会で完成した建築物であり建築プロジェクトであるということ。
子供もいたので長くいられず、駅でさっと蕎麦を食べて帰った。

2月10日
子供を送ったあと大学で作業。専門医申請のための症例の確認である。電カル情報管理の部署に聞いて候補になる症例を検索し、適するものをリストアップした。これができるかどうかが大きな懸念であったので、情報管理の人が親切に対応してくれてありがたかった。とりあえずまだ作っていなかったレポートのうち一つはいけそうである。かなり安心した。残るはもう1ヶ所の病院で2つ症例をピックアップできればあとはまとめるだけである。かなり進んだ。
妻と赤子とお昼を食べた。グラタンがおいしかった。
上の子の迎えに行った。英会話教室で「I want to be a soccer player.」などのフレーズを覚えていた。体を動かしながらゲームっぽくフレーズを言わせるのがノウハウみたいだった。年少さんから年長さんまで一緒にやっていて、年少さんはまだ難しいみたいだったが、年中さんの子がその子によく話しかけて一緒にやっていてよかった。その子にとってはそうしながら英語のレッスンを受けるのが自然なのだ。
今日はレポート作りの作業を進めたわけだが、私は自分の進捗を自分で評価することが苦手であり、今日はよくやったぞとか今日はもう合格だとか、そういう満足や安心を得ることができなくて、調子のいいうちにもっとやっておこうと考え、疲れるまでやってやっと安心するようなところがあり、そうすると結果的に大変な重労働だったという記憶になって次また再開する心理的ハードルが上がってしまい進捗を出しにくくなるという悪い循環がある。今日はここまででいいのだと何度も言い聞かせて、ご褒美のしるしにハーゲンダッツ抹茶を食べたりしたが、それでもなかなかピンとこない。感覚的にノリにくいことは頭で補うしかなく、何度も「今日はこれでよし」と意識する癖をつけるしかない。
『ラテンアメリカ五人集』のリョサ「子犬たち」を読んでいる。数人(5人くらいか?)の男の子の仲間の成長を追っていくのだが、語り手がその中の誰か、もしくは最後まで名前の出ない誰かなのかわかりにくい書き方をしていて、ストーリーの焦点はクエリャルという少年であり、会話や発話が引用符で括られておらず地の文にそのまま連続するかたちで溶け込んでいる。考えも発話も一緒くた、あいつもおれも一緒くた、混ざり合ってもみくちゃになる少年時代の集団の様子が文体に表れている。題名の「子犬たち」というのが的確で、たくさんの子犬たちが跳ね回って一見どれがどの子なのかわからなくなるような、そういう子供の集団のエネルギーを表している。物語は青年期以降まで続くが、物語を貫くのはやはり「子犬たち」である。物語は小さい頃に犬にペニスを食いちぎられてしまった少年の、欠落のコンプレックスを主題に進んでいく。ある意味でよくある主題を露骨なモチーフで書いていてむしろここまで捻らずに書けることがすごいのかもしれないが、そこに先ほど述べたような叙述上の特徴が合わさることで完成した作品になっている。

2月11日
大学に来た。昨日リストアップした中から適当と思われる数例をピックアップして情報を集めた。これで本文を書く準備が整った。昨日もう1ヶ所の病院の先生に連絡して、そこでの症例をリストアップできるようにしておいてもらうようにお願いしたので、来週はそれをやる。今週は今作れるレポート作りに専念する。とりあえず今日やることはこれでオッケー。やりすぎないようにする。情報さえあれば書き切るのは1日あればできる。
しかし昔の自分の診療をみると、不十分なところが色々と見つかるし、意外とよくできているところも見つかりおもしろい。振り返って検討しながらブラッシュアップするのは臨床の醍醐味のひとつである。
妻と子供が自転車を買いに行っていたのでそこに合流した。なんかファンシーな自転車を買ったらしい。ショッピングモールの屋上で子供たちがたくさん走り回っていて、日陰だったから寒かったが、子供は元気だった。
午前に根を詰めて作業したせいかかなり疲れてしまい、頭痛も出てきた。妻が何かおいしいものを食べて自分へのご褒美として体を休めたほうがいいと言うので帰りに焼肉を食べた。おいしかった。リラクゼーション用にアロマオイル入りのスプレーを買い、コンビニで蒸気でホットアイマスクを買った。

2月12日
仕事。外来の合間に昨日買ったアロマスプレーをティッシュに噴射してみた。香りそのものがリラックスさせるというよりも、香りが一旦力を抜く合図になる気がした。子供のお迎えをして蒸気でホットアイマスクをつけてみたら1時間ぐっすり寝てしまった。
不動産屋の担当の人から電話があり、話が進んだのと確認事項があるので会えますかと言うので、夕方不動産屋へ行った。物件を買うとなるとやはり初期費用がけっこうかかる。うつ病の精神科医の大学院あがりがそんなに貯金を持っているわけなく、かなりカツカツである。お金のプレッシャーを感じながら細かい話をたくさん聞いていたらかなり疲弊した。
夜に父親からのメールがあり、少し金銭的な援助をしてくれると話があったが、それもまた疲弊したというか、これはなんか鬱になった。
今日はレポートに手をつけなかった。
豚肉とタマネギの炒め物、厚揚げと野菜の味噌炒めを作って食べた。上の子がめずらしく私と風呂に入りたいと言ったのだが、鬱っぽかったので帰ってすぐシャワーを浴びてしまっていて、せっかくだったが妻にお願いした。

2月13日
髪を切った。この数日暖かい。ダウンではなくカーディガンで出かけた。
お金のことと親のことを考えたらかなり鬱になってしまった。お金がなくてもうダメだと思ったり、お金がない自分の価値がないと思ったり、恥を感じたり、誰にもこのつらさを理解されないと思ったりする。こうなると妻もどうしようもないと思うので何も言わなくなり、余計にもうダメだと思うようになる。
とりあえず昼を食べようと言われて、食べたら少し回復した。

2月14日
仕事。会議などもあって疲れた。先輩に後輩からの評判がいいから来年度も金曜日のカンファだけ来てほしいくらいだと言われてデレデレしてしまった。みな精神科のいろいろな話をする場と人に飢えているようである。知識とか意見交換への渇望を呼び覚ますことができたのなら私の大学での1年間は成功だったのかもしれない。

2月15日
午前中は赤子を連れてタリーズに行き、レポートを書いた。
上の子のピアノ教室のお楽しみ会に行った。みんなで一曲ずつ弾いてからみんなで遊ぶという会である。同じ教室の小学生以下の子どもたちが集まって、初めて顔を合わせる子ばかりであったが、うちの子は全然緊張しないで一曲弾いて帰ってきた。ピアノの先生はめちゃめちゃデカい音でピアノを弾く人で、レッスンでもバッコンバッコン生徒の何倍もの音を出すので、生徒はみんな大きくいい音を出していた。当然緊張している子もいたのだろうけれど、みんなピアノを弾くのは楽しいことだという感じがして、弾き始めたらもうあまり緊張していないような、そんな発表会だった。他の子の弾いた曲の名前を当てるクイズをやりながら発表を聞いた。うちの子が最年少っぽかった。私の妻がこの先生の最初の生徒で、うちの子で二代目であることをみんなに言っていた。休憩時間に風船をたくさん作って、子どもたちがみんな風船で遊んでいた。小学校高学年の子たちはうちの子と比べるとかなり大人に見えていたのだが、風船一個で大騒ぎして遊んでいるのをみるとあれくらいでも子どもなんだなと思う。たしかに私も高校の卒業式の日に日が暮れるまでドロケイをしていたのでそりゃそうだなと思う。他の子と3人組を作ってクイズやゲームをしていたが、うちの子は初めての子とも全然壁なく楽しそうにしていて、妻と二人で私たちの子とは思えない社交性だと話していた。幼稚園も含めて自由を認められているというか、安心して遊んでいい場に恵まれている。子供は小学校低学年くらいのおにいちゃんと風船を2人で運ぶゲームを大爆笑しながらやっていた。楽しそうでなによりである。私も資格取得関係が落ち着いたら習ってみたいと思った。

2月16日
発表会のご褒美ということでLEGOの大きめのキットを買った。
赤子を連れてタリーズでレポートを書いた。
夜赤子を寝かせるとき、ミルクを咥えさせても泣いて飲まないので抱っこして一度落ち着かせて、あらためてミルクを飲ませると少し飲み、でもすぐ飲むのを止めて泣きそうになるのでこれはげっぷが出るのかなと思い、また抱っこして縦にしているとしばらくして長大なげっぷが出て、そうするとまた勢いよくミルクを飲み始め、満腹になったところで寝始めるのだが、そのあともぐずぐずと半分寝ながら泣くので、そこからはいちいち抱っこしないで、体に手を添えて声をかけてあやすと少しずつ落ち着いてきてしばらく続けると寝た。抱っことかげっぷとか、トラブルシューティングが必要になるたびに今は何をすればいいかが肌感覚でわかるようになってくる。泣きすぎていてミルクを飲むテンションじゃないんだなとか、もっと飲むはずなのに止まるのはげっぷでお腹が膨れているなとか、この顔はあやすだけで寝るなとか、そういうことが吟味しなくてもわかるようになる。赤ん坊の世話に必要な行動の選択肢というのは案外多くないから別にすごいことではないのだが、この子の泣き方やこの子の顔から今は何をすればいいかが確実にわかるのは親だけなのだろうと思う。

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