ケータイショップ
これはだいぶ前から感じていたことで、ケータイショップの雰囲気と、市役所の中のそれとはどこか似ている。
なにか窓口の人はピリピリしていて、来店客、といっても一定の世代より上あの人たちは、怒鳴り散らし、何かごもっともらしい主張をしている。対応に追われ、疲れ果て、それでも何とかそういう来店客の落とし所を探ろうとする若い女性の店員さん。
今、目の前にある光景としては、はげ上がった頭をした男性が、足を組みふんぞり返りとにかく大声での主張。怯える来店している子ども。あきれ果てる他の客。不快そうにそれを見る同世代の男性。怒鳴りが終われば、シーンと聞こえるのは自動音声のみ。そしてまた怒鳴る。
心の中で、店員さんには何もできずに申し訳ないと思う。その頭をテカテカさせたおじさんに、「およしなさい」のひと言でも、私にいう勇気があれば。
これは現代の言葉でを拝借するならば、カスタマーハラスメントを通り越した暴力行為になっている。
とにかく、私の手続きもまだ終わらないけれど、カーキのロングティーシャツと黒ズボン、いかにも高級そうな自分の財布をカウンターに投げ出しているおじさん、早く立ち去ってくださいよ。
私は悲しくて。
その女性の店員さんが悪いわけではないでしょう。これだから一定の世代異常の人間の言動は、「老害」などと言われてしまうのだから。
私は団塊世代の子ども世代として、とても心苦しい思いをしている。
昭和にして100年、戦後80年を迎えるわが国日本にとって、世界単位でそろそろ転機のような変化が現れるだろうが、団塊世代や二次ベビーブームの心意気や精神を次世代に受け継ぐことなく、ただ葬り去るだけしか、私たちはできないのだろうか。