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なぜクラリネット奏者が映像編集を仕事にしたのか

【近況報告】(かなり長くなります)
ウィーン帰国後から自分自身の事をあまり書いてこなかったので、時おり心配の声を頂いております。
なのでしっかり現状をお話しようと思いました!

【~約7年前~】



まずは留学時はサーティフィケートといって、1年で卒業認定がとれる学科にいました。
なので、

1年後に大学院に進学するか帰国するか

の選択を迫られました。

自分は父親を中2の頃に亡くし、そこから父の遺産で大学まで進学しました。
なので自分の中で「親の金を使う」という事に後ろめたさがあったのです。

もちろん返済不要の奨学金を使う方法などはありました!
ですがその時自分の心にあったのは「自分のお金で十分に稼ぎたい」という気持ちでした。

なので進学はせず帰国しフリーランスの音楽家としての道を選びました。
もちろん帰ってからすぐに稼げず、恥ずかしながら月の稼ぎが3万みたいな状況の時もありました。その時は祖父母の介護を手伝ったりもしてました。

その後ご縁を頂き、

東京の中野にある映像会社でアルバイト

をする事になります。
結婚式の記録映像の編集をやりました。
ちなみにそこで働いていたのが今の奥さんです。

筋が良かったのか根性があったのか、中々新人が続かない仕事を3年4年とこなすうちに評価され、社員になる誘いを受けました。

その時僕は人生の経験として、社員になる事を選びました。
誰にも相談せず報告せずの決断だったので、知らない人もたくさんいたと思います。
もちろん音楽の仕事も並行して行っていました。

社員になって1年

で、世間にコロナという病気が広がりました。
結婚式は軒並み延期になり、わが社は大打撃を受けました。
給料は3割カットになり、自宅勤務になり、そして今の妻となる女性と同棲を始めました。

そこから僕は独立することを決意し

お世話になった会社を辞め映像と音楽の二足の草鞋でフリーランスになりました。
「留学から帰ってきた時のように、仕事が無かったらどうしよう」そう不安に思っていましたが、そこから先は幸運の連続です。

僕より先に同会社を退職していた子に、数人で立ち上げたベンチャー会社の編集をやらないかと誘われ、フリーランスでの外部委託という形で受託しました。
そこでは慣れないYouTubeの編集をやり、最初は戸惑いながらも努力と根性でやり続けました。

次第に仕事が増えていき、妻の取引先からも信頼を得てフリーランスとしての地盤を固めていきました。
今では月に30本前後の動画を編集する月もあります。


そして、時を同じくして映像の仲間に

「YouTubeに演奏動画を投稿しないか」

と誘われ始めたのがあのチャンネルです。
実はかなり抵抗はありましたが、「仲間がいるなら」と投稿を始めました。

撮影・編集は同業のプロが片手間でやったものでしたが、界隈でトップレベルの映像クオリティとなりました。
そして同じく動画を投稿していた他の演奏者の方の目に留まり、「TYPE9」「Clarinet Guild Fantasia~幻奏~」という演奏企画に参加させて頂きました。

一時はこのまま音楽を続けていいか迷っていましたが、周りの仲間、そして妻の後押しもあり、また演奏活動を始めるキッカケをもらいました。

もちろん

「音楽家は専業でなければいけない」

そういった厳しい声もありますが、自分としては色んな経験を積んだことで自身の音楽に深みが出たような気がしております。
そして驚いたことに数年前より技術も進歩しております!

いい意味で力が抜けたというか、今は音楽を楽しみながら演奏ができています。
それも妻や周りの仲間たちの影響が大きいと思います。

以上、途轍もなく長くなりましたが、SNSに書いてこなかったありのままを書かせて頂きました。
読みづらい箇所もありますがご容赦ください。

以前は一人で抱え込み、周囲に相談せず物事を決めてしまう事の多い自分でした。
今後は皆さま方のお力をお借りしつつ、ご恩を返していけたらなと思います。

まだまだ未熟者ですが、今後ともよろしくお願いいたします!

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