はじめの一歩は残せない
卒論の提出日があと1ヶ月後に迫った今。
毎日、毎日Wordファイルに向き合って、英文を書き重ねる日々。
1文、1文の積み重ねが、30Pにも及ぶ卒業論文を作り上げるのだと信じている。
「はーじーめーの一歩」「のーこした!」
小さい頃、だるまさんがころんだの一番最初は、いつもこの掛け声だった。
どうして、はじめの一歩を残すのかわからないまま、
友達に混じって、これから始まる鬼の背中に向けたかけっこに
どうにかして勝ちたいと、思索を巡らせていた。
はじめの一歩を残すのは、最後に鬼からより遠くまで逃げるためだと気づいたのは、2年くらい経った時だった。
卒論は、これから始まるかもしれない私の研究者としてのキャリアのはじめの一歩のような気がしている。
「卒論なんて、書けばいいんだよ。」
そう思っている大学生が少なくないことも知っている。
でも、私は。
いつか、研究の道に進むのかもしれない、
いつか、海外の大学院に行きたい、
いつか、自分の興味のある事をとことん学んでみたい…
そんな思いを捨てきれないでいた。
就職先が決まった今でも。
だから、卒論に手を抜くわけにはいかない。
次に書く修士論文のためにも。
いつか書くかもしれない博士論文のためにも。
卒論は、これからのキャリアの試金石なのだ。
卒論に手を抜くことはできない。
今できる最善を。そう思いながら書いている。
毎日、英文の波にのまれて、
終わるか不安で、やめてしまいたくなる。
「あぁ、作家ってこんな感じなんだ」
小さい頃から憧れていた職業の辛く苦しい部分の一端を
経験することができている。
もしも、作家として書き続ける人生を選ぶなら、
この締切に追われて死にたくなる感覚が、
人生のほとんどを占めることになる。
そりゃ、芥川龍之介も太宰治も死を選ぶ。
本当に、「死んだ方が楽」なんだから。
卒論で苦しんだ経験は、これからの私のキャリアの
「はじめの一歩」なのかもしれない。
これから幾度この経験を思い出し、自分のことを励ますのだろう。
研究に行き詰った夜、進まない原稿に絶望して目覚める朝、
この経験を思い出して、自分自身を鼓舞できるような
そんな経験にできるよう、今日も書く。
明日も書く。
主語と述語を組み合わせ、退屈な英文にならないよう書き続ける。
ゴールテープはまだ見えない。
一番乗りじゃなくてもいいから、最善のものを。
そう思って今日もWord ファイルを開く、そんな朝。