「職人」の話し。
「職人なんてのはな、腕っぷしがありゃ年齢なんて関係ないんだよ。」
むかーし、始めたての頃にずっと上の年配の職人に言われた一言です。
でも、そうはいかないんですよねぇ…。
ものつくりをする人のことを職人と呼びますが、自分ら建設作業従事者も自らのことを職人と呼びます。
なんていうか、自分の仕事に自信を持ってるのはいいことだと思うんですけど、柔軟な発想に欠けてる人が多くて結構困る場面があるんですよね。作業をしていると。
ここ最近はそういう人とは仕事してはいないんですけど、昔はよくいましたね。
18歳で関東に出てきた頃は、末端の足場鳶の会社に勤めていたので日々が応援現場、いろいろな会社に応援で出向いて作業をしていました。
本来は、安全で早くて綺麗な作業方法を考えて作業するのが一流だと思うんですけど、
時々、高所でサーカスのような危険な作業をしているので、自分が危ない目にあいたくなかったり、もっと効率のいい違うやり方を提案すると、「いつもこうやってる」や「これが一番速いんだよ」など…
挙げ句の果てに「ビビってんのか?」「できねーなら帰れよ」
などと言われる事もありました。
年齢がどうこうの問題ではないのかもしれませんが、こう言われてしまったらやる以外何もなくなってしまいますよね。
根性比べや力自慢の延長でこの業務についているのかと錯覚してしまう場面もあります。
その辺が嫌になったり、身体的にこの先も続けていくのが不安になり、溶接などの鍛冶工事を覚えるきっかけになりました。
足場工事や、重量物搬入据付工事などは
職人が10人居れば、10通りあるような、その人の色が濃く出る作業です。
ですが、溶接やガス切断、製缶作業の仮組などは、確実な正解があります。
「溶接が上手ければ」「後の溶接工の事を考えた仮組が出来るか」など確実性があるので、いくら年齢が若くても認められることが多いと思います。
そういったモノ的な要因ではなく、ヒト的な要因で仕事が出来るとか出来ないとか言われるとたまらなく嫌になりますね。
昨日の職長と今日の職長、言ってることが正反対って言うこともざらにあります。
結論的に何が言いたいかと言うと、人の機嫌と顔色を見て作業はしたくないなーとふと思い書いてみました。
それでは、また次回。
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