【日記】ノスタルジーについて
結局のところ,自分が青春時代を共にしたものを人は愛するのだ。30代が迫ってきたからか,そう実感するようになった。多感な時期に得た感動はいつまでも瑞々しくその味わいを残していて,昨日の昼に何を食べたかは忘れる。そういうものだ。多分。
某所で,ノスタルジーという感情の脆弱性を中心に据えた音楽レビューを書いた(恐らくまだ公開されていないけど,公開されたらここにリンクを貼ります。覚えていれば)。人は自身が経験した懐かしいあれこれはもちろん,経験していないはずのものまでなぜか懐かしく感じるようになってしまうことが多々あると思う。
『ALWAYS 三丁目の夕日』の映画が公開されたのが2005年だから,インチキノスタルジー(そう言って差し支えなかろう)が幅を利かせ始めてから15年くらい経つのだろうか。原恵一が『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』で警告したにも関わらず,僕たちは懐かしい匂いに簡単に敗北している。
最近は西武園ゆうえんちが昭和の街並みを大プッシュしており,個人的には鳥肌が立ってしょうがない。なぜなら,『オトナ帝国』で20世紀博の中につくられたフェイクの20世紀そのものだからだ。
僕は平成生まれなので,高度経済成長期の昭和の熱気みたいなものは微塵も経験したことがなのだが,それでもこういう「昭和の夕焼け」に,ああ懐かしい雰囲気だねという印象を受けてしまう。これは全く主体的な感情ではなく,物心ついたのちに学習した結果なのだが,それを忘れそうになるときもある。個人的にはこれは怖い話だと思う。
ところで,僕はクレヨンしんちゃんの映画で何が好きか聞かれたとき,どうしても『オトナ帝国』か,『ブタのヒヅメ』を挙げてしまう。原恵一が好きなのと,やはりリアルタイムで視聴していた時期の作品がどうしても1番にきてしまう。そして,「いや~,最近のクレしん映画はちょっとねえ」とか余計なことを言う。大して真剣に観てもいないくせにこの言い草はよくない。これは『オトナ帝国』でひろしやみさえがしんちゃんたちに対して取っていた態度と全く同じ(自分が子供の頃のヒーローをしんのすけに見せて「アクション仮面より絶対面白いって」と言うひろし)で,当たり前だが言われた方は(それがいまのコンテンツを支持している層なら)普通にムカつく。『オトナ帝国』に抵抗していた僕らの世代が,今は帝国側になってしまったという悲しい話だ。
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