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♯37 託宣を遠ざける精神/サムエル記下第5章【京都大学聖書研究会の記録37】
【2024年10月22日開催】
今回は、サムエル記下第5章を読みました。ダビデ王の誕生とエルサレムという町の征服、それにペリシテ人との戦争が語られた箇所で、何ともつかみどころがない。突っ込みどころは結構あるのですが、それはあくまで部分の話なので、全体として何が語られているのかを把握するのにあまり貢献しない。部分的な興味を推し進めていくと、思いのほか聖書的なメッセージが浮かび上がってくる。こういうことが聖書、とりわけ旧約聖書を読むことの醍醐味の一つですが、今回はそれがなかなか難しいという印象でした。聖研の話し合いの終わりまで来ても、全体として「?」という空気で、その空気のまま散会してしまったという感じです。
ここでは私自身の関心に引き寄せて報告してみたいと思います。
内容
はじめにサムエル記下第5章の内容を簡単にまとめておきます。
古代イスラエル民族が、サウル王家とダビデ王家に分かれて争っているという時代の話です。サウル王家はサウル王もその息子ヨナタンもペリシテ戦で戦死し(サムエル記上第31章)、その後王家の実権を掌握した軍人アブネルも暗殺され、サウル王家には勢いがない。前回読んだ第4章には、新たに王となったイシュ・ボシェト(サウル王の息子)までも暗殺され、暗殺者がその首をダビデに届けるという血腥い話が記されていました。
古代イスラエル民族全体がサウル王家とダビデ王家に分かれていて、サウル王家の統治していた領域がイスラエル、ダビデ王家の統治していた領域がユダとよばれています。大まかに言うと、イスラエルは北方、ユダは南方に位置していました。イスラエル(つまりサウル王家)の王イシュ・ボシェトが死んだので、イスラエルの人民が南にやってきて、ダビデ王に忠誠を誓う。これが最初のセクション(1-5節)の内容です。イスラエルの長老たちがダビデに油を注いだと記されています。これで北のイスラエルと南のユダを統一して治める王が誕生したことになります。
続く6-12節は、ダビデによるエルサレム征服についての記事です。突然障害者に関する言及が出て来たりして、何だか不可解な話になっています。13-16節では、ダビデの子どもたちの名前が挙げられています。サムエル記を読み進めてきた者は、ダビデの妻の名前としてアヒノアムとアビガイルを知っています(上27:3)。サウルの娘ミカルも一時ダビデの妻でした(上18:17)。この3人以外にもダビデは多くの妻、側女をもっていたことが、下3:2-5の記事でわかります。そこには彼女たちの生んだ子どもの名前も記されています。今回の記事によれば、ダビデには、さらに子どもがたくさんいたようです。今回は、煩雑になるのを避けたのか、妻や側女の名前は記されていません。それが相当の数に上ることは容易に想像ができます。ダビデというと、私たちは「血色がよく、目は美しく、姿も立派」と語られた青年ダビデを想像しますが、この場面では、数多くの妻、側女、子どもに囲まれた王の姿を思い描いた方がよさそうです。続く17-25節では、エルサレム周辺で行われた宿敵ペリシテとの戦いの様子が描かれます。
補足1
「油を注ぐ」というのは純粋に宗教的な行為という印象があります。「油注がれた者」といえば、狭義にはメシアすなわちキリストのことです。実際、サウルもダビデも預言者サムエルによって油を注がれ、宗教的な権威を身に帯びたわけです。ただ今回の箇所では少し様子がちがう。「長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした」(3節)とあります。油を注ぐという行為が、まったく世俗的な行為になっているように見えます。人民が王の権威の保証人となるという制度が前提されている感じです。これと同様のことが、ユダの民とダビデに関しても行われていました(サムエル記下2:4)。
不可解な記述
先ほど6-12節に不可解な話が記されていると書きました。以下ではこの話について考えてみたいと思います。
こんな話です。ダビデは居住の場所をヘブロンからエルサレムに移そうとした。ところがこの町はすでに1000年近い歴史を持つ町で、エブス人が住んでいた。要害の地で、容易に敵を寄せつけない。エブス人たちは、ダビデに自分たちを征服なんかはできないと踏んだ。そこで「目の見えない者、足の不自由な者でも、お前を追い払うことは容易だ」とダビデに言った。この地に住むわれわれならお前たちを追っ払うことなんて簡単。目が見えなくても足が不自由でも楽勝。このように述べて、ダビデを小馬鹿にし、挑発したわけです。ところが武人ダビデは、水汲み用のトンネルを使うという奇襲に出て、この要害の地を攻略した。その際、「ダビデの命を憎むという足の不自由な者、目の見えない者を討て」と命じたという。この事件をきっかけにして、「目や足の不自由な者は神殿に入ってはならない」と言われるようになった。
エブス人がダビデ軍を挑発するのに、身体障害者に言及するのもよくわかりませんが、まったく不可解なのは、ダビデが征服後、目や足の不自由な人々を討てと命じていることです。本文の記載はそこまでなので、あとは想像ですが、きっとこの人たちはダビデ軍の暴力にさらされ、殺されたのだろうと思います。暴力集団にとってはこの程度の仕事は何ともない。何しろ相手は無力なのですから。なぜダビデは、このような人たちを討てと命じたのか。彼らは何の関係もない人ではないか。エブス人に馬鹿にされ、頭に相当血が上っていたことは容易に想像がつきます。その感情に任せて無関係な人たちを巻き込んだのかもしれない。論理も何もありません、めちゃくちゃです。ダビデともあろう人がなぜこんな合理性の欠片もないことにコミットしたのか。解せない。
エブス人が挑発したというのは、実際は、目や足の不自由な人々が城壁の上からダビデを嘲弄したのだ、だから復讐されたのだ、とする理解もあるようですが(『旧約聖書Ⅱ歴史書』岩波書店、2005年、283頁)、少し考えにくい。ここではダビデ軍が無力な非戦闘員を力任せに殺害したと考えておきます。
ともかく殺される側からすれば、たまったものではない。何の理由もなく戦闘員でもないのに殺されてしまうわけですから。理不尽そのものです。この理不尽な行為の首謀者はダビデ。サムエル記下全体の主役です。となると、いったいなぜこうした記述を聖書本文に入れているのかという疑問も出てきます。何かダビデについて本質的なことを語っているのか。障害者が祭司職につけないという慣行の原因譚を記したのだ、ということかもしれませんが、そのためだけにこの事件に言及するのは、不自然であるような気もします。
つまりダビデの所業にフォーカスしても、聖書本文の編集という観点からも、不可解なのが今回の箇所ということになります。
補足2
ソロモンの時代にエルサレムに神殿が建造されるわけですが、今回の箇所でのダビデの発言を理由に、「目や足の不自由な者」はその神殿に入れない(祭司職に就けない)と言われるようになったとのこと。身体に障害を持つ人は祭司職に就けないという決まりがレビ記に記されています(レビ記21:17-21)。この決まりの背景は、障害=穢れという文脈です。今回読んだ箇所とレビ記のこの規定との先後関係はよくわかりませんが、ともかく結果として、ダビデが障害者締め出しに加担したということになります。
ナバルへの報復
さて問題は、ダビデの不可解な行動です。この不可解さの理解にある程度の見通しが立てば、本文編集の問題も片付きそうです。
以前ダビデの不可解な行動に言及したことがありました。それはサムエル記上25章に記されているナバルへの報復の件でした(「ダビデ、キレる」https://note.com/ytaka1419/n/n5370ceecc05b)。この件がヒントになりそうです。内容を思い出しておきます。ナバルの仕事を手伝ったダビデたちは、ナバルに食料の提供を求めた。ところがナバルは食料を与えるどころか、ダビデたちをまったく相手にしない。素性の知れぬ者に物はやれない。この物言いにダビデはキレた。自分たちを侮辱したナバル一族を皆殺しにするつもりで、兵400人を率いて出かけた、と書いてあります。結局このときは皆殺しの実行には至りませんでしたが、ここに至るまでの賢明なダビデを知る者には、ここに描出されるダビデは驚きでした。先方の些細な言葉に対する、異様な、すさまじいまでの憤怒という反応。こんなダビデは見たことがない。挙句皆殺しの企図にまで進んでしまう。皆殺しを企てるとなると、こちらの理解をはるかに超えます。
上25章のダビデの異様な怒りと行動の理由については、上記記事の中で推測を述べました。ダビデはナバル事件の少し前にサウルと対面しており、そこで王サウルから「いまわたしは悟った。お前〔ダビデ〕は必ず王となり、イスラエル王国はお前の手によって確立される」と言われた。王として仰ぐサウルから次期王として認められた。サウルから認められることにより、ダビデの自尊心はこれまでなかったくらいに膨らんでしまったのではないか。その膨らんだ自尊心をナバルに破裂させられたものだから、ダビデは異様に怒った。これがそのときに述べた解釈でした。このことを思い出しながら、今回のケースに戻ってみます。
ヘブロンへの移住
ナバルの件では、ダビデの肥大した自尊心およびそれの毀損が、「皆殺し」という判断の中心にありました。今回のケースでも同じようなことが言えるのではないか。
サムエル記下第5章にはエルサレムを征服した顛末が書かれていますが、ダビデがなぜエルサレムを選んだのかはよくわからない。聖書本文にはエルサレム選択をめぐる記述はありません。この町はその後ダビデの町とよばれるようになり、いうまでもなく、この後の古代イスラエルの歴史にとってこの上なく重要な町なのですが、その最初の選択の理由がよくわからない。ダビデは重要な決定をするときには、ヤハウェに託宣を求めるのが常です。すぐ後で確認するように、ヘブロンに移住するときにもそうでした。ところがエルサレム攻略にあたっては、ヤハウェは登場しない。
ダビデがユダに戻ってくる際にどこに居を定めるか未定だった。そのときダビデは託宣というかたちでヤハウェの意思を問います。ダビデはヤハウェに「どこかユダの町に上るべきか」と尋ね、「上れ」と言われて、「ではどこに」と再度尋ねます。そこで「ヘブロンへ」と言われ、ヘブロンに一族、部下たちを引連れて移り住みます。そこでダビデはユダの王となったのでした(下2:1-4a)。このときはダビデ一行は平和裡にヘブロンへ移住したようです。
もともとペリシテ人に与えられた町ツィクラグにダビデは住んでいました(上27:6)。ペリシテ人との戦争が抜き差しならないものになりつつあったので、ツィクラグを離れ、どこかユダ領域の町に住もう。そう思ったわけです。そこでヤハウェに託宣を求めた。いま上に述べたとおりです。おそらくダビデには不安があったのでしょう。いままでペリシテ人の土地に住んでいて、ペリシテ人の庇護を受けていた自分がユダに住む。そんなことが許されるだろうか。その種の不安です。ところがヤハウェの指示に従い、実際に移り住んでみると、平和裡にことが遂行された。のみならず、人々はユダの王としてダビデに油を注いだ。
不安と託宣
ダビデはこれまで託宣に拠りつつ生きてきました。今回読んだところでも、ペリシテ人との戦いの際に託宣を求めています。しかも一度ならず二度までも(19節、23節)。敵ペリシテ人が攻め上ってきたが、彼らと一戦交えるべきか、戦って勝てる相手なのか。こういう重大事項についてダビデは事前にヤハウェに尋ねています。その背景には大きな不安があったと考えるのが自然です。戦ってよいのか、ほんとうに勝てるのか。「戦え」「ペリシテ人をあなたの手に渡す」というヤハウェの命令と約束をもらう。二度目のときなど、戦術レベルの詳細な命令を与えられる。これらの命令と約束を後ろ盾にして、戦争を遂行するわけです。そして勝利する。
ヘブロン移住にあたっては、不安があったのではないかと先に書きました。それが託宣に頼るという結果を生む。ペリシテ人との戦いについても同じことが言えます。そしてそれが二度にわたって託宣を求めるふるまいへとつながる。
自信が託宣を遠ざける
他方、エルサレムの選択にあたっては、ヤハウェに尋ねるというプロセスを欠いていたのでした。託宣を求めていない。端から「エルサレム!」と決めている。ということは、この選択には不安はないということです。託宣を求めていないのだから、こう考えざるを得ません。「どこにしようか」とか「エルサレムでいいのか」といった不安はここにはない。何に根拠を置く自信かはわからないのですが、ダビデは最初から「エルサレムで行ける」と考えていたようです。このようにして自信が託宣を遠ざけます。ナバルの件でも、ダビデはヤハウェに尋ねてはいない。「皆殺し」は彼自身の判断でした。ここでも自信が彼を支えていたのでしょう。
おまけにダビデには武人としての自信が殊の外強い。エブス人相手なら何とかなる。エブス人の方はといえば、要害の地に住むわれわれをダビデの小さな部隊が攻め込めるはずがない、と考えていた。だからこそ、「目が見えない人間でも足の不自由な人間でも、ダビデよ、相手がお前たちなら追い払える」などと大言壮語したのでしょう。
託宣を遠ざける精神が暴力の爆発を生む
この言葉は自信に満ち満ちていたダビデには大層大きな刺激になった。ナバルの無礼が引き金を引いてしまったのと同じです。ここでも一気に頭に血が上ったにちがいない。自信があるからヤハウェに尋ねたりしない。つまりヤハウェに頼らない。自分が主役。だから馬鹿にされると烈火のごとく怒る。武人ダビデ率いる集団の戦闘能力は相当に高く、また戦術も卓抜だった。トンネルから攻め上り、一気に攻略。そのあと、何の罪もない目や足の不自由な人々を殺害するに至ったのでした。
託宣を遠ざけるのは、自己依拠の精神態度でした。自分の判断に自信があれば、託宣に頼るというアイディアは遠のく。ところがその自信は脆い。敵方の嘲弄の言葉なんかで簡単に動揺してしまう。今回の場合がそうでした。いったん自尊心が毀損されると、そこから来る怒りはすさまじい。今回はその怒りが目や足の不自由な人に向けられた。なぜ彼らか。彼らはダビデの自尊心の毀損に手を貸したわけではない。ただ嘲弄の言葉の中で言及されていたというだけのことです。だから彼らの殺害はどこから見ても正当化できない。「目や足が不自由である」ことだけが殺戮の理由ですから、これは一種のジェノサイドです。神を離れたダビデの怒りは、そんなところまで行ってしまったということになります。
このように考えると、神を離れた精神が行き着く先を示すこと、これがこの記事がここに記されている理由と言えそうです。