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My ALL TIME BEST ③「MAD MAX 怒りのデス・ロード」
神話とはなにか?
私たちの文化は、ある一部の敬虔...じゃなくて、狂信的な信者を除くと神に触れることが少ない、圧倒的に。
もし私たちの文化にも聖書のようなものがあって、それこそ毎週末教会に足繁く通い信仰しなければならない習慣があれば別だったのだろう、、、と安堵することも多々あった。
そんな私が2015年6月27日
スクリーンの中で起きるフィクションの中に、完璧な聖典を見つけてしまった。
荒廃した砂漠の中で、燃え盛る炎と道なき道を生き抜くためにDriveするその姿は、私にとっての神話そのものだった。
この映画が私の頭の片隅からぽっかりと消えてしまわない限り、私はきっとどんなに道を踏み外してしまったとしても、元に戻れる場所を見つけた気がする。
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【神話】
① 現実の生活とそれをとりまく世界の事物の起源や存在論的な意味を象徴的に説く説話。神をはじめとする超自然的存在や文化英雄による原初の創造的な出来事・行為によって展開され、社会の価値・規範とそれとの葛藤を主題とする。
②比喩的に、根拠もないのに、絶対的なものと信じられている事柄。
調べれば頭を抱えてしまうほどのいろんな解釈があって、各国に存在する神の存在の分だけ存在するかもしれない神話の数々。
もし私がどこぞの神にドップリと浸かって、金ピカの壺に◯百万円の大金をはたき、教祖様のありがたい神話をかき集め、その全てを丸暗記するような敬虔...狂信的な善良な信者なら話は別だが、あいにく私はその手の人物ではなかった。
そのおかげかどうかは知らないけれど、私は毎回この作品を見るたびに、紛れもなくこれは神話だと一点の疑いもなく感じることができた。
この神話に触れるために必要な1,800円のお布施など微々たるものだ、今は2,000円だがな!(ちなみに6回に一回タダになるし、クーポン使えば1,500円)
今では集会が開かれることはほとんど無くなったけれど、御自宅でもこの神話は視聴可能なのでぜひ。
【Blu-ray】
【Amazon PrimeVideo】
【U-NEXT】
【Hulu】
My world is reduced to a single instinct: Survive
舞台は核兵器による大量殺戮戦争勃発後、石油や水などの資源が尽きかけた荒廃した砂漠の世界。
生存者は物資と資源を武力で奪い合うか、強き者からの施しに縋る奴隷のような扱われていた。
かつて愛する家族を守れなかったことを悔い、そのトラウマに囚われている元警官マックスが、独裁者イモータン・ジョーに反旗を翻した女戦士フュリオサの一団と出会う。
そして彼は、壮絶な逃走劇に巻き込まれていく。。。
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(リアルで同じこと言った政治家いたよね・・・)
この作品を神話と呼ぶ理由とは何か?
この作品は、私たちの生きる世界とは全くもって違うのだが、なぜか超自然的・形而上的に自分の中にある出来事のように感じるし、あるいは実人生のメタファーとしても受け取れる。
もっと大きいことを言ってしまえば、これは人間の生きる尊厳、生きていくということの真意と完全に一致してしまうのだ。
理由は分からない。分からないけど、魂がそう感じてしまうのだからしょうがない。
ジョージ・ミラー監督はものすごい質量を考え、考えに考え尽くした「生きる尊厳」というテーマやメッセージをあえて極限までそぎ落とし、シンプルかつパワフルな物語に置き換えている。
一部、本作を「行って帰ってくるだけの映画」と揶揄する不届者がいたが、彼らはおそらく水中毒のせいで「よく死ぬ」ことができない、ヴァルハラには行けない類の人間なので無視しても良い。
例えば、本作の主人公がトム・ハーディ演じるマックスだということは火を見るより明らかだが、それと同じく、いやそれ以上にシャーリーズ・セロンが演じる女戦士フュリオサが目立っている。
(ちなみに2016年アカデミー賞主演女優賞にノミネートさえされていないことから、私のオスカーへの信頼は失墜したとさえ思っている)
並の監督なら、マックスが彼女たちと出会うことで、主体性を持って女性を助ける作品に仕上げてしまうだろう。
しかし、ジョージ・ミラー監督は
「(マックスが主体的に助けてしまうと)男が別の男から女を奪う話になってしまう。現代は男性が肉体的な女性に優位性を持てる時代ではない。
だから女戦士が男性社会の呪縛から女性を脱出させる物語、それにマックスが巻き込まれるという構造になった。なので、フェミニズムはストーリーの構造から生まれてきたものだ。」
と語っている。
つまり、フェミニズムや人種差別等のポリコレを、ちゃんとストーリーから必然的に発生するモノに落とし込んだストーリーを構築している。
「とりあえず主役を有色人種にしときゃイイ」という印象をガッツリ植え付けた挙句、「ポリコレに配慮し過ぎた」と言って、今までの俳優やキャラクターたちの顔に泥を塗るようなサッカーパンチをかますディズニーとは大違いだ。
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「Witness me」
「Remember me?」
「Max. My name is Max」
フェミニズム一つとってもこの水準で物語を語るジョージ・ミラー監督なのだから、作品の中にもあらゆるメッセージを組み込んでいる。
それでも頭でっかちで説教臭く感じないのは、圧倒的なビジュアル力だと思う。
一度観たら忘れることのできないほどの世界観構築、車と武器と景色と色と音とガジェットと言葉...映画における全ての要素が、ものすごく濃密に凝縮されている。
なので、本作を否定する一定の水中毒者が言う「行って帰ってくるだけでストーリーがない」と言う見解は完全に間違えている。
イラク戦争で製作が進まなくなった間も含め10年以上の長い間練りに練ったメッセージ・テーマ・アイデア・物語を、ビジュアルとアクションで超超高密度に凝縮して極限まで絞り込んでシンプルにした作品なのだから、この作品が類を見ないほど素晴らしいのは言うまでもない。
また登場人物たちがそれぞれの生きる尊厳を取り返す瞬間が素晴らしい。
私の手癖として、貴種流離譚に限りなく近いストーリーは無条件にハートを送ってしまうのだが、その純度が非常に高い。
マックスは当初、言葉も使わずに自身の生存にのみ忠実な獣だったし、それこそウォーボーイズの輸血袋として扱われていた。しかし、自身の生きる尊厳のために脱出を試みる女性たちと出会うことで、自分がどんな人間で、その自分がどんな道を選択するべきなのかを問いかけるようになる。
そして、名前のない輸血袋から生きる残るべき誰かのために輸血をするマックスという名前を取り戻す、「Max. My name is Max」と。
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「Brothers in Arms」の劇半も素晴らしい
フュリオサは、主人公としての貴種流離譚を真っ直ぐ走り抜けていく。
表面的な女性の強さのシンボルとしてだけではなく、抑圧と搾取の世界から自身の信念をもって反旗を翻す姿は、あらゆる性別や人種を超えた強い人間の象徴のようだ。ジョージ・ミラー監督が本作に込めた様々な意図を体現する存在だからこそ、監督続投で2024年公開の「Furiosa: A Mad Max Saga」として前日譚が語られるのだろう。
(今年のBEST 1は断言しておきます、この作品です)
自身を抑圧し支配してきたことを忘れ、忠実な僕として支えさせていたジョーに、彼女はどんな思いを持ってそばにいたかを突きつける。「Remember me?」と。
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そして、白眉はニュークスだ。
イモータン・ジョーを崇拝し、彼のために命を捨てることでのみ生まれてきた尊厳・価値を手に入れられると信じてやまないウォーボーイズの一人。
彼は自分たちと同じ境遇の外側にいるマックスや女性たちと出会うことで、自分の生きる意味や尊厳・価値が、誰かを狂信的に崇拝し命を捧げることではないことを知るのだ。
そして、彼が巡り巡って何のために自分の命を捧げたか?
同じ境遇にいるウォーボーイズ達への
「俺の死に際を見てくれ!」という崇拝と利己的な命の散り際で使用されていた「Witness me」ではなく、助けたい人や未来のために命をかけ、その刹那で使われる「Witness me」は、真に利他的で英雄的な意味を持つ。
まさに生きる尊厳の体現を、命を使い捨てさせられてきたウォーボーイズのニュークスが行うことに強い意志を感じる。
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Black & chrome
この作品の濃密さは、映画を革新的な新次元に導いたと言っても過言ではない作品でありながら、ジョージ・ミラー監督御大は、セリフのない無声映画を常に敬愛していて、本作も昨今の劇映画の中でもかなりセリフが少ない。
極限までセリフを絞り込み無駄を排除し、ストーリーとビジュアルとアクションで語っている。
余談だが、知人に本作を勧めたところ、「何が起きているのかわからない」と返ってきて、心の底からびっくりしたことがある。
アニメやテレビドラマに顕著な、キャラクターの心情表現もすべてセリフにして、自分の頭で考えたり情報処理をしないでもいい作品が蔓延った影響のせいだなと感じた。
カラーリングについても同じことが言える。
バッキバキでコントラスト豊かな砂漠の美しい色遣いも素晴らしいが、本作の別バージョン「BLACK & CHROME Edition」は、さらに本作のとてつもなく考え抜かれた構造を浮き彫りにさせる内容になっている。
なお、カラー版はレイティングがR15+(15歳未満視聴禁止)なのだが、白黒作品になることでR指定が外れた。
なので、生まれてからすぐにでもこの作品を見ることができるようになったので、真っ当な人間に育てたい親御様は幼児期から「MAD MAX」の英才教育を施し、個を尊重し利他的で自立した英雄のような人間性を見せることができるのでオススメする。
また白黒作品verの存在は、本作の神話的な構図の物語にとって非常に意味がある。
それは、「2015年に作られた」という時代感はフラットになり、どの時代・どの世代・どの人種・どの人生が観ても、この作品はきっと永遠に語り継がれていきやすい形をも得ることができた。
つまり特定の人間だけではなく、より多くの
人間として、より良く生きて行こうとする探求者に「神話」として語り継がれていくことになるのだ。
Where must we go, we who wander this wasteland, in search of our better selves?
私はこの作品を、ジョージ・ミラー監督御大からの生きる尊厳についての挑戦状として捉えている。
英雄になる覚悟はあるのか?
探求者になる覚悟はあるのか?
私が創った神話を受け止め、自分の神話を創る覚悟はあるのか?
と。
もちろんその答えはYesしかない、Yesしかないだろう。
どんなに道を踏み外しても、死んで蘇ればいい。
おそらくこの作品を観た人ならば同じ感情を抱くはずだと信じて疑わない。
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(左から)ニコラス・ホルト(as ニュークス)、トム・ハーディ(asマックス)、
ジョージ・ミラー監督、シャーリーズ・セロン(as フュリオサ)
この作品を観ると、世界の景色が少し変わる。
そして、マックスのように、フュリオサのように、ニュークスのようにありたいと強く思うようになる。
自分が自由になることよりももっと強く、誰かに自由を与えられるような人間になれるように。
そのために、もっと自分を強く、もっと自由にならなくちゃいけない。
若い頃は自分が自分じゃなくなるのが怖かったし、それを払拭するためだけに生きてきた。
しかし、それよりももっと大切なことは、常に新しい自分とより良い自分を探し求める探究者の心だと思う。
今の自分を捨てれる勇気と新しい何かを掴み取る自信を手に入れることなのではないか?
ほんとに変われるだろうか?
いや、変わるんじゃない、生まれ変わるんだ。
だから、死んで蘇る。
I live,I die,I live again
もちろん傷つくこともある。怖いだろうし、苦しいこともある。
ただ私には祈る場所がある、だから祈ることができる。120分の記憶の中に、映画館のスクリーンと家の棚に。
弱気になるとすぐに奥に引っ込んでしまうけど、いつでも私のMADは息を潜めて、蘇るのを待っている。
Toast:To who??
(誰に祈ってるの?)
The Dag:Anyone who's listening.
(聞いてくれる人によ。)
祈る場所、それは私にとってMAD MAXなのだ。
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(原題:「MAD MAX : Fury Road」)
監督・脚本 ジョージ・ミラー
出演 トム・ハーディ
シャーリーズ・セロン
ニコラス・ホルト
ヒュー・キース・バーン