習志野の"究極のギャンブル"を行動経済学で考える

はじめまして、じーやまと申します!

今回初めてnoteを書かせていただきます。
拙文&超長文ですが、最後まで読んでいただけると嬉しいです!

それでは本題に移ります〜


はじめに

本日の第3試合である習志野-沖縄尚学の一戦は本当に面白かったですね!

習志野に流れが傾きそうな局面でことごとく光った、沖縄尚学の二遊間の攻守
苦しい雰囲気を吹き飛ばす習志野・飯塚投手の快投。

本当に見応えのある攻防で、終始鳥肌が立ちっぱなしでした!

そんな中でも、僕が考えるこの試合の勝敗を分けたポイントは、9回表の習志野の攻撃にありました。

3-4と1点ビハインドで迎えた習志野の最終回の攻撃。
この試合の先発投手・山内君が右安で出塁し、1死1塁という場面で奇遇にも打席に立ったのは、習志野の大黒柱であるエースの飯塚君
犠打か、ヒッティングか、それとも-。
様々な選択肢がある中で、習志野・小林監督が出したサインは盗塁でした。

成功したら天国、失敗したら地獄-。

"究極のギャンブル"とも言えるこのプレーに関して、今回は行動経済学の「プロスペクト理論」を用いて考察してみたいと思います。


プロスペクト理論とは?

プロスペクト理論を一言で表すと、

「人は利益獲得局面ではリスク回避的に、損失局面ではリスク追求的になる」

という理論です。具体例で考えてみましょう!


①A、B2つの選択肢のうち、どちらを選ぶか。A→確実に9万円もらえるB→コインを投げて表が出れば20万円もらえるが、裏が出たら1円も貰えない
②C、D2つの選択肢のうち、どちらを選ぶか。C→確実に9万円没収されるD→コインを投げて表が出れば20万没収されるが、裏が出たら1円も没収されない


期待値を計算すると①はB、②はCの方が大きいですが、現実では①はA、②はDを選ぶ人が多い。

つまり、人は得したい思いよりも損したくない想いの方が強いということです。

それを踏まえて、あの場面での両チームの行動と思考を考察します。


①習志野サイド

まずは習志野から。

結論から言うと、あの場面での習志野は「損失局面」にあったと僕は思います。

犠打を選択しても2死に追い込まれる。
打者が9番の飯塚君であること、もしダブルプレーなら即試合終了という状況を考えても、ヒッティングも難しい。

「何もしない」=「敗北という損失を被る」と考えると、習志野はリスク追求的な行動をすると考えられます。


②沖縄尚学サイド

続いて沖縄尚学。

あくまで僕の想像ですが、彼らは観戦者である我々と同様、

「向こうも盗塁したいだろうけど、失敗したら絶望的である以上はさすがに走らないだろう」

と考えたのではないでしょうか。

それは何故か。

沖縄尚学自体が4-3で1点リードしており、何もしなければ勝利という利得が得られる「利益獲得局面」であったためです。

相手の意図を読み取る際に、自らが直面している状況を完全に切り離すのは難しい。
沖縄尚学も自身が「利益獲得局面」であった以上、相手の盗塁を想定するのは難しかったでしょう。


結論

つまり僕が言いたいのは、

「行動経済学の視点から見ると、このような"究極のギャンブル"は高確率で成功する」

ということです。

しかし、何故人々は同様な場面でリスクから目を背けてしまうのか-。

理由は単純。
そもそも「何もしない」=「負ける」という状況を受け止めることが難しいからです。

犠打をすると、ひょっとしたら次の打者が打つかもしれない。
自由に打たせると、ひょっとしたら長打でチャンス拡大につながるかもしれない

そう考えて、自らが「損失局面」であることを認識できないのです。

その点、習志野の小林監督は素晴らしかった。チームが崖っぷちの状況であることを認識していたからこそ、リスク追求的な選択ができた。

本当に称賛に値する采配だったと私は思います。

試合は延長10回表に習志野が1点を勝ち越し、そのまま5-4で勝利。

小林監督の勝負師としての大胆かつ緻密な采配、そして捨て身のチャンスをモノにして勝ち切った習志野の真の強さを実感した、本当に素晴らしい試合でした。



P.S.ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました!
気まぐれで書いてるのでこれが最初で最後のnoteになるかもですが、また気が向いたら書きますので、その時はよろしくお願いします!

それではまた!

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