ヒム子のメッセージソングが年末からずっと鳴り響いている
2020年12月29日の年末に放送されたゴッドタン 芸人マジ歌選手権でバナナマン日村が扮するヒム子が披露した「ヒム子のメッセージソング」にこの様な歌詞があります。
炎上 炎上 大炎上
頭悪すぎ 大炎上
Enjoy Enjoy 大熱唱
頭悪くて 大丈夫だぁ
〜〜〜〜中略〜〜〜〜
誹謗中傷 魑魅魍魎
悩み多き 俗世間
ちょっと考え あと適当
バカでいこう バカでいこうよ
頭悪くて 大丈夫だぁ
大丈夫だぁ 大丈夫だぁ だっふんだ
脱糞 脱糞 脱糞だ
うんこぶりぶり ソーセージ
ちんちんぶらぶら ソーセージ
明るく行こう! 大丈夫だぁ
ゴッドタンマジ歌2020のヒム子の歌・ヒム子のメッセージソングより
「炎上 炎上 大炎上 頭悪すぎ 大炎上」と現代の社会問題であるSNSによる炎上から始まります。
そしてヒム子は自身の行動によって燃えてしまった炎上に対して
「頭悪くて 大丈夫だぁ」
と日本の喜劇界のスター「志村けん」さんの言葉を借りて宣言します。
魑魅魍魎の様に溢れる誹謗中傷、自身の行動が一人歩きをして大炎上する悩ましく生きにくい世間の中で「バカで行こう バカで行こうよ 頭悪くて 大丈夫だぁ」と手を差し伸ばします。
「笑い」を「芸」とする人を笑わせる芸者である「日村勇紀」からの強烈なメッセージソング。
世界的に未曾有の危機である現代だからこそ「くだらないことで笑おうぜ」と呼びかけるこの曲は私の心に深く突き刺さりました。
今の時代に必要なのは「笑い」だと。
現代社会は多様性豊かな「真実」に支配されている
インターネットの発展により「一つの思想が行動の基盤になる」ことは無くなりました。
多くの人の思想に触れることで「自身にとって揺るぎない真実」が出来上がっていきます。
多くの「事実」に対して多種多様な真実が存在し、それを簡単に発信できる現代社会では「客観的な事柄」である事実そのものが見えにくくなってきていると思います。
あらゆる真実が存在するからこそ、個人の正義は暴走していく。
「ジョークも受け取り方によって刃物になる」
ぐうの音も出ない正論です。
でも、全てのジョークを咎めたら何が残るのでしょうか?
「嘘を嘘として楽しめない」
これは現代社会に根付く深刻な問題です。
頭悪くて 大丈夫だぁ
大丈夫だぁ 大丈夫だぁ だっふんだ
脱糞 脱糞 脱糞だ
うんこぶりぶり ソーセージ
ちんちんぶらぶら ソーセージ
明るく行こう! 大丈夫だぁ
閉鎖的な世界に向けて「明るく行こう!大丈夫だぁ」と宣言しよう。
こんな時代だからこそ楽しんだ方が良い。
明るく笑おう。
攻撃する先に「相手」がいると想像することの難しさ
私もSNSで自分の主観的視点で見たときに「間違っている」と感じたことに対して「これは違うのではないか」と意見を述べたくなることがあります。
現に私も過去自身の主張を相手に一方的に罵る様な形で意見を飛ばした経験があります。
最近は意見を書いて送信する前に「これは攻撃的な人と同じだ」と我に返り、意見を飛ばさずに済んでいることが多いのですが、そのうち攻撃する側になりそうな恐怖は消えません。
なぜ意見を書きたくなるのかと言うと「絶対に間違っている!」と思い込んでしまい否定したくなるからで、正論による攻撃をしたいと言う気持ちが湧いてくるからです。
インターネットでは「匿名性」があり、攻撃をしても自身にはダメージがありません。そして攻撃をする相手に対して「匿名」故に実態のない蜃気楼に対して攻撃をしている感覚になるため「相手」と言うダメージを受ける存在が薄れていきます。
そして「自分の言葉は届かないだろう」と謎の安心感もあり、気軽に攻撃してしまうのです。
そして「攻撃」した後の爽快感は何よりも気持ち良く、「自分は世界に対して物申してやった」と言う達成感すら得られるほどです。
攻撃には依存性があります。
それも強烈なほどの精神依存。
麻薬のように蝕みます。
「笑い」のネタに対して外部から攻撃する状況を何度も見てきました。
「不謹慎だ」「気に入らない」「間違っている」「敬意がない」
なぜそう言い切れるのか?
もっと気楽に考えた方が良い。
自分から暗くなる必要なんてないよ。
うんこぶりぶり ソーセージ