
評論とは物事の見方を通訳すること
評論とは物事の見方の通訳である
感想:物事のよしあし・優劣・価値などについて論ずること。また、その文章。
Oxford Languagesの定義
評論家とは評論を述べる専門家である。
「専門家」ということは評論する対象に対して専門性が高く、誰でも気軽に名乗れるような職業ではないということであり、評論対象に対する質の高い造詣と、評論する言葉選びや言葉使い、客観性と主観性を切り分けることができる視野の広さが求められる。
「評論」は物事を一般人に分かりやすく「通訳」することで初めて価値生まれるものである。
通訳:互いに言語が異なって話が通じない人々の間に立って、双方の言うことを翻訳して話を通じさせること。また、その役目の人。
Oxford Languagesの定義
「通訳」とは異なる言語の双方に対して話を通じさせる役割のことで、評論における通訳は「物事」に対して一般人へ専門家が「見方」を評することを指す。
評論は言語の翻訳と異なり「主観」というフィルターが入るため「個性」が生まれるため、一つの物事に対して複数の評論があり、様々な切り口で「見方の通訳」が生まれる。
評論は「知識のある人」が物事に対して「この作者は〇〇と言う背景があり、今までのインタビューからも××なような作品である」とか「この作品は□□□という要素があり、♢♢としても楽しめる」のように通訳することに価値があり、物事を普通に「観る」「聴く」「触れる」「得る」「考える」「嗅ぐ」「使う」「食す」だけでは気づけない事柄を様々な視点で咀嚼し、言語化する専門家の技術である。
似非評論家の条件
感想:ある物事に対して心に生じた、まとまりのある感じや考え。所感。
Oxford Languagesの定義
①主観的な感情のみを語る
人は物事に対して「感想」の述べる。特にSNSではありとあらゆる物事に対して多くの「感想」で溢れかえっている。
彼らは「観た」「聴いた」「触れた」「嗅いだ」「食した」モノに対して自分の中にある過去の経験や知識を参照に思ったことを言う。「面白い」「つまらない」「センスがある」「センスがない」と個人の言葉で感想を述べ、物事に対する様々な見方を提示する。
自身の主観的視点だけで語る言葉は「感想」であり、評論ではない。
評論家は「主観」というフィルターを通して個性を出すが、主観だけで評論することはしない。必ず客観的な事実やコンテキストを元に思考し、最後に個人の経験したことや知識と「主観的事柄」を練り混ぜて「評論」とする。
主観的な感情のみで語るだけでは「評論家」とは言えない。
②コンテキストを無視したマイナス評価をする
コンテキスト:文章などの前後の脈絡。文脈。コンテクスト。
Oxford Languagesの定義
質の高い評論をするには「コンテキスト」を踏まえることが重要になる。何故なら文脈を理解していない評論は土台が間違っている可能性が高いからだ。
評論は「プラス面」も「マイナス面」も平等に扱う。それには質の高い知識が必要となり、しっかりとコンテキストを組んで論じる必要があり、主観的なフィルターだけでなく客観的に俯瞰して物事をみなければいけない。
評論をするには「コンテキスト」を理解した上で論じなければ「感想」と変わりがない。
文脈を読み取った上でする「マイナス部分の評価」と知識を組み合わせた結果生まれた「マイナス部分の評価」は同じマイナス評価でも価値が異なる。
③ただ否定しかしない
否定:(述語とそれに係る要素とで表される意味内容を)そうではないと判断し斥(しりぞ)けること。打消し。
Oxford Languagesの定義
否定とは「打ち消す」ことであり、前後のコンテキストを無視し、事柄そのもの自体を「無かったもの」とすることである。
「否定すること」も確かに価値を評する際には必要な要素ではあるが、「コンテキストを踏まえ、様々な知識や経験を組み合わせてマイナス要素を評する」場合「酷評」として価値の発展には必要となる。
だが、SNSで多く見られる「酷評」は「否定」であり、自身の主観的価値や思想から「ぶった切る」ものである。
また、評論は文化を前進させるために必要なことであり、「通訳」である。ただ単に否定するだけでは前進させることができない。
評論はプロフェッショナルな専門性の高いスキル
評論とは物事の見方を通訳することである。
知識のある専門家が一般人に物事の見方を通訳することで物事の楽しみ方や面白さを言語化し、広めることで文化を前進させることができる。
SNSに多くいる評論家を名乗る知識のある個人と、プロフェッショナルとしての評論家は違う。価値のある評論をするならば「事実」「コンテキスト」を理解し、対象に対する質の高い造詣と多くの体験や経験が必要になる。
また、評論には「主観」によるフィルターが必ず入る。
そのためプロフェッショナルの評論家同士でも評価が分かれる。
あくまで評論も個人の「感想」の一部であることを理解することで「評論を受ける側」も評論に振り回されなくなり、物事を本質的に楽しむことができる。
評論は難しく専門的でありながらも主観的である。
だからこそ、正しくフラットに物事を楽しむために自身も知識と体験をし、評論を読み解く力を蓄えることが重要になってくるのだ。
いいなと思ったら応援しよう!
