孤高のサウナも良いけど、誰かと一緒に行くサウナも楽しい
サウナとは孤独である。
熱しられたサウナ室は90度を超え、出口は一つのみ。
私たちは独りでサウナ室に無防備な姿でただそこに"いる"だけ。
流れる汗と漏れる吐息だけが自身が自身であるという証であり、自分以外はまるでオブジェクトの様に干渉し合わず、認識もしない。
サウナ室では誰もが孤独にその場で熱気を受け、蒸され、己と対峙している。
サウナは孤独になれる場所。
しかし、そんなサウナも楽しみ方は「孤独」だけではない。
無限の可能性と選択肢に満ちたサウナの世界は奥深く、特殊な環境だからこそ生まれるコミュニケーションの新しい形がそこにある…というお話。
同じバイブスを共有するサウナの楽しさ
「サウナに誰かと行く=サウナ室で会話に花を咲かせる」ではありません。
もちろんサウナ室で誰かと一緒に行けば会話は生まれると思いますが、サウナに誰かと行くことによって得られる「楽しさ」の本質では無く、あくまで現象にすぎないと断言できます。
サウナに誰かと行くことの本質は「同じ熱さを共有することで生まれるバイブス」にあると私は考えています。
同じバイブスを共有することで生まれるコミュニケーションこそ誰かと一緒にサウナへ足を運ぶ醍醐味であり、楽しさの本質です。
バイブスとは「言葉を交わさなくとも伝わってくる""雰囲気""や""空気感""」で心の衝撃や場所や人から感じるフィーリングを指して「バイブスが良い」などと使います。
つまり、その場所で互いに共有した体験とはバイブスを共有することになり、同じバイブスを分かち合うことは「相手との関係性を一気に近づける」効果があります。
もちろん、サウナは人によって温度の感じ方などが異なるため全く同じ体験をしているとは限らないものですが、「同じ空間で熱気に耐え、汗を流し、空間の中に佇む」という共通のシチュエーションを共にし、互いに同じ空気を感じることができます。
そして、水風呂へ入り身体を冷やしたのち休憩をする…という一連の流れも同じです。
つまり、一連の共通のプロセスや感じ方は違えども「ととのう」という感覚によってバイブスを共有しているわけです。
同じバイブスを共有したものどうし、言葉を交わさなくとも互いに理解し合えるもの。
「同じバイブスを共有した友がいる」
孤独なはずのサウナに光が差し、いつもと違うととのいを感じることでしょう。
サウナ終わりの談笑は繋がりを強く感じれる
同じバイブスを共有した友とサウナ後に談笑をする時、きっと今までにないほど良い笑顔で語らってることだと思います。
誰かと入るサウナの魅力はここの「バイブスを共有したからこそ花開く談議」にあると思います。
実際に経営者の方がサウナで商談をするというのは「共通のバイブス」を得たことによる距離感の近さも理由の一つにあると思います。
私はサウナには独りで行くことがほとんどですが、時々知人を連れて一緒にサウナへ行くことがあります。
同じサウナ体験をすることで会話も弾み、一段と関係性に深みが出た様な感覚となり、一緒にサウナへ行く知人とは心なしか会う頻度も増え、会話量も増加したと感じます。
これは「同じバイブスの共有」によって生じる友情のサウナ術であると思います。
サウナを通じて人間関係が有効に動いていくのはあながち間違いでは無く、このバイブスを感じることこそが「サウナ体験の本質」なのではないかと私は考えています。
またサウナ施設までいく道中や、サウナ後に飲むドリンク、空腹を満たすサウナ飯…とサウナを通じて共有できることは多く、サウナを通じて共通点を互いに持つことでバイブスは生み出されていきます。
私たちは心地よい空気感をサウナによって作り出し、より良い人間関係の構築をすることができるのです。
サウナが幸福と平和の象徴なのも肯けます。
サウナが絆を深めてくれる
サウナに一緒に入ることは互いに裸の付き合いをするということに繋がります。
そして、私たちは通常では知り得ない様な空間の中で共通の目的を持ってサウナに挑み続けます。
それは例えるなら部活動と一緒で、共通の目的に対して互いに同じ時間を共有し、互いに苦しみも喜びも共有することで生まれる連帯感や仲間意識による心地よい空気感を醸し出す様になることで「バイブス」は生まれます。
居心地よいバイブスを生み出すことでサウナはより楽しくなり、気づけばサウナをめぐって旅に出たり、サウナ談義で朝まで会話したり…と日常の行動にも変化が生まれます。
この時、私たちはサウナを通じて互いの絆が強く結びつくことを感じるでしょう。
サウナによって生まれた友情は堅く、サウナ活動を通してバイブスは共鳴し合い、やがて大きな波を起こし、周りの人を巻き込む様な運動になることもあります。
実際に今のサウナ界はサウナを愛する人たちが共有したバイブスが膨れ上がって生まれたブームメントであると言えます。
私たちはサウナで共通のバイブスを共有し続けることで、更なるサウナ文化の発展へと貢献できるかもしれません。
サウナによって生まれた絆が新しい文化を生み出し、サウナが日本でもっと広く浸透する様になると私は考えています。
まとめ:バイブスを共有し、サウナライフを楽しもう
サウナに入ることで得られるのは「気持ちの良い」という状態だけではありません。「ととのう」には「整う」「調う」という二つの状態をかけて命名された様に「整理されて正しい姿であり、まとまった状態」は身体だけでなく、人と人との関係性にも言えます。
同じバイブスを共有することは「関係性をとととのえる」ことであると言えるでしょう。
確かにサウナは孤独を楽しむ側面がありますし、私もサウナでは「独りである事」を重視しているところも少なからずあります。
ただ、孤独が存在するからこそ「誰かと一緒にサウナへ行く」という共鳴するサウナ体験の深みがましていくのです。
素晴らしきサウナライフは奥深く、どんな時でも楽しめるもの…それがサウナの道である…
素敵なサウナライフをお過ごしください。