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サウナと熱の考察|サウナ室には熱さで思惑を蒸発させる力がある

サウナ室内の温度は90度を超える。

ムワッとした熱気に体は包まれ、呼吸することも苦しいほど。

サウナ室は明らかに通常時に生活するどの空間とも異質であり、明らかに人体にとって適した環境ではない。

しかし、熱に包まれたその空間は異質で異常でありながらも、非常に居心地よく迎えてくれる。


「思考」と「熱」

サウナ室では「思考がまとまる」と述べるサウナーも多くいるが、その理由を尋ねると「サウナ室では熱さによって余計なことが考えられない。サウナ室内で何か考え事が浮かぶのであれば、それは数多くある考えなければいけない事柄の中でも優先して解決すべきことだ。だからサウナ室は思考するのには打ってつけである」と返答が返ってくる。

つまりサウナ室内は「あまりにも熱いから余計なことは考える余裕が生まれない」ため考えるのにはちょうど良い場所ということらしい。


サウナ室では「瞑想が捗る」と述べるサウナーも多くいるが、その理由を尋ねると「サウナ室内は余計な考え事をせずに心を空っぽにしやすいので精神統一ができ、瞑想することができる」とのこと。

つまりサウナ室内は「熱さによって余計なことを考える余裕が生まれないことで強制的に瞑想できる環境にある」という場所であるらしい。


サウナ室では「談笑が捗る」と述べるサウナーも多くいるが、その理由を尋ねると「サウナ室では相手と自分の距離が近い。インターネットもない空間は会話を遮るノイズが存在しないため本心で会話ができる。また、熱さによって会話も必要最低限な言葉を選ぶようになる。長文は話す方にも聞く方にも負担がかかるからだ」とのこと。

つまりサウナ室では「熱さゆえに余計な言葉が削ぎ落とされ、本質的な会話がしやすくなる」という場所であるらしい。


サウナ室を巡る様々な現象の多くは「熱」によって物理的にも心理的にも最小限のことしか持ち込めない事によって発生する。

熱さで「余計な事」が失われる。
熱さで「外部との繋がり」が失われる。
熱さで「個人の文脈による肩書き」が失われる。

熱さによって消えてく思惑が自身の行動を遮り、行動を妨げる枷であった時、サウナ室では大胆な決断やアイデアが生まれるのかもしれない。


「雑念」と「熱

サウナに入ると血流の流れが良くなり、全身に血が巡る。

この時、脳にも血が循環するので視界がくらっとする。高揚感に包まれボーッとしやすい。

熱さに気を取られ、熱さから逃れたい体は外気へ行こうとシグナルを送る。あまりに頻繁に送るので時間の流れがゆっくりに感じるほど。サウナ室での30秒は現実世界の3分のように感じたことがある人も多いのではないだろうか?

サウナ室にいると「熱さ」について無意識のうちに考えてしまうから集中力は続かない

余程優先順位が高い物事でない限りサウナ室では「考える」ことは難しい。集中力は持続せず、熱に思考の視線が移る。

ある日、サウナ室で湧き上がる「雑念」は脳内を通り過ぎる傾向にある事に気づいた。サウナ室から出た後に雑念の内容を覚えていないことがほとんどで、サウナ室内での記憶は「熱い」以外多くは残っていない

残っているとしたら「余程のストレス」か「余程の重要なアイデア

それもすぐにメモしないと意外にも直ぐ忘れてしまう。

「熱」の前では「雑念」も蒸発して消えてしまうのだ。

サウナ室は確かに「瞑想」に向いているかもしれない。

この場合、もしかすると「座禅」の方が近いかもしれないが、サウナは過酷な環境でありながらも心を落ち着かせる場所として最適だと言える。


「神事」と「熱」

日本には古来より温浴文化があるが、ルーツを辿ると「石風呂」「から風呂」「蒸し風呂」と呼ばれる蒸気浴・熱気浴に行き着く。

これらは仏教の渡来とともに伝わったとされるが、縄文土器や弥生土器の発掘場所には温泉地域周辺にも見られることからはるか古より温浴文化は継承されており、蒸気や熱気による「古代日本式サウナ」もまた存在していたと考えられる。

日本人のみならず人は「自然」を信仰の対象として崇め「水」「火」「岩」「木」「風」など自然を神の恩恵とし、大切に扱ってきた。

「蒸気浴」とは仕組みでいえば湿式サウナに近い。中には薪で火を起こし、その熱気を浴びる熱気浴を行っている地域もあったと見られているが、文献には「蒸気」と記されていることが多いため湿式サウナに近い入浴を行っていた人が太古からいたのだろう。

何にせよ蒸気を起こす際に必要になる「熱」もまた神聖なものであり、古来より伝承される芸能には、釜で湯を煮えたぎらせ、その湯を用いて神事を執り行う「湯神楽」や、火を取り扱い、松明の周りを舞う神楽などが残っており「熱」は遥か古より変わらずに私たちのそばにあることが伺える。

サウナにおける「ととのう」状態は古来にも存在したと考えられ、高揚感によりトリップする感覚は神の仕業、神との交信を感じた可能性がある。

サウナ室で私たちが熱により余計な思惑が蒸発して消えていく感覚は、ある種の神事的現象であり、精神に大きな影響を与える。

サウナ室に神聖さを感じるサウナーもいるが、おそらくこの「思惑の蒸発」という効果が無意識のうちに働き、心を落ち着かせることも影響していると思われる。

サウナとはシンプルな構造ではあるが、奥深く底知れない魅力がある。

日本人の中にある古の記憶とも結びつき、様々な視点から新しい一面を覗かせてくれるサウナへの探究はまだ終わりそうにない。



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S.Uto
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