サウナに行く頻度が減ったことで気づいたこと
2月に入ってからサウナに行く頻度が極端に減った。
週6ぐらいのペースで通ってたのに今は週2程度まで落ち着き、「サウナに行かなきゃ」という思いが消え、前よりもサウナという存在が近く感じるようになった。
いく頻度が減ったのに、距離が近くなったというのも変な話だ。
普通、距離感ができて、身近だったものが特別になるのであれば道理がつくのだが、サウナは少し距離ができることで「日常」さが滲み出てくる。
おそらく「サウナに行かなきゃ」という強迫概念が薄れ、サウナに入ることが本当の意味で特別なことではなくなったのではなかろうかと私は推測している。
何はともあれ私はサウナに行く頻度が減った。
理由は色々とあるが、環境と心境の変化であるとここでは述べておく。
特段、大した理由では無いのだ。
本当に急に何も理由もなく「行かなきゃ」という概念がスーッと蒸発して消えたのである。
サウナに行く頻度が減ると新たに見えてくるものもある。
私は結局のところサウナが自分の生活の一部にはなっていなかったということに気づいたのだ。
私自身もサウナに行くことで何か特別さを追い求める1人だったのだろうと気づき、少しばかり自分が恥ずかしくなったが、きっと誰もが通る道なのだろう。
サウナに行くのが「行かなきゃ」ではなくなる時。フラッと何も考えずにサウナ室に自分がいる時。その瞬間に日常の中の非日常だったサウナが、日常の中の日常へと溶け込んでいく。
サウナ室の熱も、水風呂の冷たさも、外気浴の風も、全て日常の中の一コマへと溶け込んだ時に、初めてサウナが本当の意味で生活の一部へと転換される。
私は今その瀬戸際にいるのかもしれない。
離れて気づくサウナの魔力
サウナにいく頻度は減ったが、それでも週2回は必ずサウナ室に自分はいる。
側から見ればまだまだサウナに頻繁に通うというイメージは変わらないようだが、私と同じサウナ愛好家の方から見れば「随分と落ち着いたね」と言っていただけることだろう。
頻繁に通っていたことで得た気づきは数知れず、サウナを知る上で大変良い時間を過ごさせてもらったが、いざ行く頻度が減ると、減ったことによって新しい新鮮さに出会える。
不思議なものでサウナ室にいる自分に「違和感」が一切感じないのだ。
サウナに「行っている」のではなく、サウナに「居る」状態。
特別な体験を求めるためにサウナへ通っているのではなく、そういう理由も抜きにただサウナに行こうとしている、自然体な状態であることに気づいた。
もちろん側から見れば私に変化は無いだろう。
おそらく誰も気づけない心情の変化。
でもそれが私に新しいサウナの魅力と底知れぬ魔力を再度教えてくれた。
サウナの持つ魔力は「気づけばサウナにいることが自然」だと身体が順応する魔性にあると私は考える。
副次的に「ととのう」といったサウナ体験が現れるが、それはあくまで副次的なもので、私にとっては本質では無い。
サウナは入ることが自然であり、サウナに入ることに対して「特別な理由」は不必要であると思わさせてくれるパワーがサウナの持つ魔力なのだと気づいた。
離れたことで「非日常」へとサウナが戻るのかと思っていた私にとって、離れたことで「日常」へと近づくとは思いもせず、サウナへの近さが大きく変化したことで私の中で「サウナ」という言葉の特別さが薄れていく。
まだ完全に溶けきっていないが、やがてサウナはもっと私の中に溶け込み、完全に日常と化すだろう。
おそらく行く回数や頻度とかそういうものも関係なく、サウナ自体が生活の一部となる。
その時に初めて真の意味で「サウナ体験」をすることができるのだと思う。