経験2
こんばんは、駆け出しエンジニアです。
前回に引き続き、経験から得られる価値について考えていきたいと思います。
前回はAI時代、何か経験して能力を習得しても無意味に思えちゃうよね、経験から得られる知識以外のものってなんだろう?ってことを書きました。
今回はでは何を得るのか?何を経験しように答えを出したいのですが、数日考えた結果、次のように結論づけられました。
生きたという時間そのものが尊い、だからすべての瞬間を必死に燃やそう
色々と考えた末、そもそも未来設計のために何かを習得しようとか、これはやっておこう、やらないでおこうというのは荒唐無稽だという結論に至りました。
人は人生ないしその一部を語る時に物語化してしまう習性がありますが、そんなものはいってしまえば人生の正当化であり辻褄合わせでしかないのです。
結局重要なのは次の瞬間の自分に興奮できるかと、振り返った時に辻褄を合わせずとも納得感を持てるかだと思いました。
となると、やることはシンプルで、瞬間瞬間で妥協のない判断をし続ければ自然とストーリーになるはず。将来のことや出口などは過去の積み重ねでしかなく、それが理想的であるかどうかという価値観も過去の体験により設定されるので、未来とか難しく考えずに目の前のことに本気になることが重要だと思いました。
で、今日から何する?
言うは易し行うは難し。
何を経験すればいいのかはわかったものの本気で向き合い続けるって一番難しいよね?と。
「目の前のことに本気で取り組む」を頼りに生きるのはめちゃハードルが高いので具体的なアクションに紐づくように要素分解しました。
全てのことは最短で終わらせることを意識する
ゴールを見直す時間を毎日と週に一回、月に一回それぞれつくる
やりたいことがいっぱいあります。ありがたいことにそれに挑戦する環境もてにすることができます。
でも、それに甘んじて"進めている"ことから満足感を得ていた部分も否めないと思います。
特に人が関わるプロジェクトにおいては、
「あの部分は〇〇さんの範囲だから」「これくらいのペースでやったほうがみんなついてきやすいし、自分の労力を他のことに割けて中長期的に見たアウトプット効率はいいよな」
とか思ってしまっていました。
でもよく考えたらそれは楽して効力感を得ようとする打算的な考えだったようにも思います。最適化という言葉を盾にしてしまっていた。
自分が関わることを選択したのだから、全てが自分の責任範囲。
とりたくない責任があるのならやめてしまえ、グッバイ中途半端な社会性。
現実世界は非効率だ
効率を考えて行動してしまいます。個人の細かな作業で言えばそれは重要かもしれませんが、気がつけばそれをチームやプロジェクトにも当てはめてしまっていました。
でも、ゴールがあるプロジェクトやビジョンを達成しようというチームに効率を追い求めて成功するのであれば、世界はもっと美しく理性的に動いてるはずじゃないですか。
それに、これだけ関連する要素が多いこの世界で何を誰のために、どの期間で最適化するのでしょうか?自分の認知の範囲での最適化に囚われて行動原理が歪んでいたのだと思いました。
今日からの自分、キャラメイク
とにかく速い人になる
とにかく速い人になります。
やりたいことはいっぱいある、日々増える。それらを達成する中で、今まではとりあえず飛び込むことで動いている実感を得ていました。それに満足しそうになる自分も僅かにはいました。
今日からはとにかく速い人になります。
Done is better than nothing
どんな形であれ、成して初めて、人に影響する形になって初めて意味をなす。
何よりも早く成す状態を作り出す、成すまでとにかく速く動く
今日からはこれで生きていきます。
また定期的に内省してキャラメイクします。
説明が下手と言われ続けて10年超。文章に自信なし、思考止まりで実行ハードルが高い人が毎日noteを書くことで修行しています(from 2024/01/13)。
X(Twitter): @yutoumetsu