TRPG雑談/10 理想・正義・自由・忠義・革新・妄執(前)
今日も今日とておはようございます。
どうも、Vasakramaです。
こっちの名前が好きだから最近はこっちを名乗る機会が多いですね。
作業はしなければいけないけれど、作業し続けられるほど身体が丈夫ではないという欠点がある。
過去にかなり黒に近いグレーの工場で働いていた影響で、心身に癒えないダメージを受けている。
たかが2年の休養ではどうにかなるものでもなかった。
僕のこの先の未来は真っ暗である。
今回の話題は「シノビガミの流派」の関係性についてのお話。
それぞれの掲げる理念やあり方、なぜ仇敵と理解し合えないのかについて話していこう。
斜歯忍軍
今回、斜歯忍軍には理想の二文字を割り当てた。
斜歯忍軍は全ての忍者が全ての忍法を使えるようになった時、さらに上の階層(ステージ)に到達できるという思想で忍法を蒐集、再現している集団である。
理想の忍者を生み出すこと、忍者たちを自分たちの掲げる理想のステージへ押し上げる、理論上最も強い忍者……即ち理想へと到達する、など彼らの理念には理想が大きく関わっているのだ。
彼らにとってハグレモノは独自忍法の宝庫である。
多様な発展を遂げたハグレモノたちは彼らの研究に欠かせない存在なのだ。
彼らの主張としては「忍者全体が強くなるためにハグレモノにも忍法のデータを提供してほしい。他の流派からは既に多くを学んだが、ハグレモノは秘密主義で排他的過ぎる。もっと大局的に考えて欲しい。」と言ったところだろう。
しかし彼らにも天敵は居る。
それが鞍馬神流だ。
鞍馬神流は危険な忍法や妖魔、異界遺産を封印することで人々を守る流派である。
そのため、安全か危険かを問わずより多くのデータを必要とする斜歯忍軍としては鞍馬神流の忍者を煙たがる傾向にある。
彼らに言わせてみれば「危険な忍法や悪い忍法だって原理を解明しておかないといつか大きな災害に繋がるかもしれないでしょ!」と言ったところか。
鞍馬神流、バグの部分を丁寧にコメントアウトだけしていくタイプのプログラマなのである。意外と碌でもないんですよ、鞍馬も。
鞍馬神流
鞍馬神流に宛てた二文字は正義だ。
強きを挫いて弱きを助けるのが鞍馬神流の正義である。
その相手は妖魔であったり危険な忍法であったり、古くから生きる強大な忍者だったり。
その悉くを封印し、他の忍者や常人の過ごしやすい安全な世界を生み出すのが目的だろう。
彼らにとって斜歯忍軍は、危険な忍法を蒐集する危険集団である。もっとも両者の目的が相反するタイミングが危険忍法に関することだからでもあるだろうが……。
彼らの意見としては「ハグレモノの里を焼くような手段を取る連中が危険忍法を独占して襲撃かけない保証はないだろ。」です。
ンンン、まさに正論。
そして鞍馬神流の仇敵は隠忍の血統だ。
隠忍の血統はいわばテロ組織、現体制をひっくり返そうとしているところまでは別に鞍馬的にはどうだっていいのだが、手段が手荒すぎる。
それと自分がやったわけでもない先祖とのいざこざで一方的に恨まれるのも困る。
彼らとしては「お前らの復讐に民間人を巻き込まないでくれ。」とかだろうか。
というかなんなら鞍馬も隠忍への復讐に回っていたりするので真っ当に通る主張はこの辺だろう。
ハグレモノ
ハグレモノに相応しい二文字はやはり自由だろう。
流派という大きな鎖に縛られることを嫌い、独立の道を歩んだハグレモノたちは自由を追い求めて戦う。
誰かに決められた道や運命に強制された道ではなく己の選んだ道を進むことこそが自分が自分であるための手段だと考えているからだ。
やるからには後悔はしたくない。自分の選択以外に責任を負いたくないとも言い換えられるだろう。
彼らにとって私立御斎学園はうざったくて胡散臭い存在だ。
いわば訪問販売のように押し掛けてきては入学を勧められる。
ハグレモノになると心に決めた同志たちは後ろ盾を欲しているわけではない。縛られない環境が欲しいのだ。
しかし彼らはそれを分かってくれない。彼らは自分たちは自由だと言うが、私立御斎学園に入学しないという自由をこうして侵害しているではないか。
ハグレモノから見た私立御斎学園は「生徒を食い物にして手足のように扱うような流派が自由を語るな」と言っているようにも見える。
まぁ実際私立御斎学園って児童労働ですからね。意外にもかなり悪。
彼らハグレモノの天敵は斜歯忍軍だろう。
当人たちは「大人しく投降すれば里を焼く必要は無い」とか「我々だって里は焼きたくない」とか言っているから勘違いしてしまう者もいるだろうが、別に大人しく着いて行ったところで最終的にマウスやモルモットのように殺される個体も出る。
自分たちはケージの中のモルモットではない、一人一人の忍者なのだ。
だからハグレモノは斜歯忍軍には従わない。
奴らにだって理想はあるだろうが、自分たちにだって自由に生きる権利があるのだ。
彼らにとっての斜歯忍軍は「やらなくても世界は回るようなお遊びのために平気で人を犠牲にするサイコパス集団」だろう。
あとがき
というわけで六大流派前半の仇敵事情について語ってみた。勿論これは大枠の、組織全体としての意見を想定したものなので個人の意見は大きく異なることもあるだろう。
逆に信念が忠の人間はもしかしたらこう思っているのかもしれない。
よく斜歯忍軍と隠忍の血統のことを絶対悪として描写する人を見掛ける。実際にはこうして仇敵という概念とそれぞれの視点を絡めてみると、本当はどの流派も悪意で動いているわけではない。
ただそれぞれ仇敵とは価値観が合わないだけなのだ。
斜歯忍軍も鞍馬神流もよりよい世界を求めているのは一緒だし、ハグレモノも斜歯忍軍も多様性を肯定する流派だ。
鞍馬神流も隠忍の血統も傷つけられた同胞たちへ捧げる義憤が戦いの動機で、ハグレモノも私立御斎学園も今の世の中を変えようと努力している。
仇敵は価値観の問題で衝突する相手ではあるが、常日頃から衝突しているわけではない。
戦いの中で相互理解を深めることだってあるだろう。
みなさんも一度仇敵への想いについて立ち止まって考えてみて欲しい。
今回はここまで。
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