弟が生まれたときのこと~幼少期②~
あれは暑い夏の日だった。
病院の廊下に置いてあるベンチで父親と待ちながら、ぺろぺろとバニラ味の棒アイスを食べていたことは不思議と覚えている。
そのとき、母親の身体からもう一人、弟になる人間が生まれてくることをぼくが理解していたかどうかはわからないが、大きな産声が聞こえてきても、きっと美味しそうにアイスクリームを食べ続けていたんだろうと思う。
弟は、いわゆる”低体重児””未熟児”として生まれてきた。
母親の身体から出てきてすぐ、まだこの世界の空気を少しだけ肺に吸い込み声を上げただけで、母親の手の体温も、病室の消毒液と人の汗が混ざったようななんとも言えない匂いも、疲れで目の下に出来ている医師のクマの微妙な色の違いもわからないまま、無機質なゆりかごの中へと弟は運び込まれていった。
直接母乳を与えることができないため、哺乳瓶に移したものを、看護師の人が弟に与える、確かそんな感じだったように思う。
衛生管理もしっかりしないといけないので、体が大きくなってくるまで抱くこともできないのは、親としてはどんな気持ちだったのだろうか。
生まれてからしばらくして、ようやく退院となり、弟は母親と一緒に帰ってきた。一緒に入院していたのかな、どうだったのだろう。
当時は、僕が生まれた頃の家からは既に引っ越していて、小さいながらも一軒家に住んでいた。
元の家は、なぜかバイク屋の二階にあった賃貸だったようで、きっと、昔つなぎを着てバイクで走り回っていた母親と関係しているのだろう。
母親曰く、ぼくは弟にせっせと哺乳瓶のミルクをあげる、とてもいい兄だったようだ。感触としてはぼくもなんとなく覚えている。
昔から優しくていい子だと有名だったようで、今でもこどもは大好きだし、本当に尊いなと思う反面、もしかするといい子の「呪い」は、この時から既に始まっていたのかもしれない。
ときは進み、3年後。7歳。
ぼくは小学1年生になった。
弟は3歳。