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#47 世界遺産訪問記(マカオの歴史地区)(2023/11/7)(2)

(承前)

9.聖オーガスティン教会

1591年にスペインの聖オーガスティン修道会によって創建された教会です
昔、大雨の際に椰子の葉を使って屋根の補強をしており、その葉が遠くから見ると風に揺れる龍の髭のように見えたことから「龍髭廟」の呼称もあります
中央の主祭壇には「受難のイエス」像が祀られています

10.ロバート・ホートン図書館

香港の豪商、ロバート・ホートンの旧宅であった建物ですが、彼の死後に故人の遺志により建物と25,000HKDがマカオに寄付され、図書館として整備されたものです

11.レアル・セナド・ビル(現「市政署」)

1784年建設の新古典様式による建造物で、壁、レイアウト、裏庭なども当時のまま残されています(中は見てないですが)
「レアル・セナド(忠誠なる評議会)」の名称は、ポルトガル王ドン・ジョン4世がマカオを褒め称えた言葉「神の名の街マカオ、他に忠誠なるものなき」に由来するそうです

12.セナド広場

市政署や三街会館などの構成資産に囲まれた広場で、マカオの街の中心です
新古典様式のパステルカラーに囲まれており、石畳もキレイです
この日も多くの観光客や市民でいっぱいでした

13.仁慈堂

1569年に初代マカオ司教によって設立された施設で、祖国ポルトガルで最も著名かつ古い慈善団体の建物をモデルに建立されました
建物は新古典様式ですが、マヌエル様式の影響もうかがえます

14.三街会館(関帝廟)

18世紀に建造された建物で、営地大街、関前街、草堆街の3つの通りに面していることからこの名前がつけられました
建設当初は商人が集まる楷書として遣われていましたが、現在は関羽や招財爺が祀られています

15.大堂(カテドラル)、大堂(カテドラル)広場

カトリックのマカオ司教座が置かれている教会とその前の広場も構成資産となっています
当初は1622年頃に石灰、土、藁を混ぜた「タイパ」と呼ばれる建材で建てられましたが、台風により損壊したため、1850年にマカオ出身の建築家により再建されました

16.蘆家屋敷

1889年頃建てられた、マカオ商人盧華紹の旧宅です
中国式の灰色レンガの建物で広東中部の民間住宅の典型例とされ、内部装飾には洋式のものや満州様のものなどが混在しています

17.聖ドミニコ教会、聖ドミニコ広場

1587年、3人のスペイン人のドミニコ会修道士によって建てられた教会で、ロザリオの聖母が祀られています
1822年、中国初のポルトガル語の新聞が発刊された場所でもあります

18.聖ポール天主堂跡

こちらはあまり見ない聖ポール天主堂跡のファサードの裏側

聖ポール天主堂跡は、1602年から1640年にかけて建設され、1835年に火事で崩壊した聖母教会と教会の隣に建てられた聖ポール大学跡の総称です
当時の聖母教会、聖ポール大学およびモンテの砦は全てイエズス会による建築物であり、マカオの「アクロポリス」のような存在だったと考えられています
こちらの前の広場「イエズス会記念広場」も構成資産になっているのですが、あまりに人が多かったので写真については掲載していません

19.モンテの砦

1617年から1626年にかけてイエズス会の協力のもとに築かれたマカオの防御施設です
砦には大砲、軍部宿舎、井戸のほか、2年間の攻撃に耐えうるよう兵器工場や貯蔵庫もありました

20.ナーチャ廟

1888年に建てられた、1901年に改築された建物で、神話に登場する托塔天王・李靖の三男ナーチャが祀られています
民間信仰の一つで、地元色が色濃く見られます
聖ポール天主堂跡のごく近くにあり、マカオが様々なアイデンティティーや信教の自由を受け入れていた象徴とも言える建築物です

21.旧城壁

1569年には築かれていた防御壁の残存部分で、ポルトガル人がアフリカやインドでも行った彼らの居住エリアを守るための城壁の遺跡です
マカオでは、特に土砂、ワラ、牡蠣の貝殻を混ぜ、木製の枠に流し込んで押し固めた「シュウナンボー」という地元の技術および材料を使用する事で、何層にも重ねて城壁が作られました

続きます

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