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#7 世界遺産について考える(1) 顕著な普遍的価値

2020年から世界遺産アカデミーの認定講師として活動しています
地元の公民館などでの生涯学習講座(主に高齢者の皆さん対象)でお話させていただくことが多いのですが、世界遺産について改めて思うところをつれづれと書いてみようと思います
ユネスコやWHAの考えとはかなり違ってるところもありますので、検定の参考にはなりません、あしからず

■1,199件の「顕著」

顕著ってどの程度のものなんでしょうね
「すごい」ことを指す言葉って色々ありますけど、世界で1,199件(2024年1月現在)も認められてる「顕著」って割と普通な感じに思えませんか?
それに割と聞く感想で、「思ったほどじゃない」とか「よく分からない」とかでも、「顕著」について考えさせられます
唯一無二のものもいくつもあるんですけど、逆に沢山ある建造物とか遺跡とかの「代表例」って難しいです
世界遺産検定マイスター、認定講師だからこそ、「顕著」な存在であることをしっかり説明したいです

■普遍的?

普遍的って、国家や民族、宗教といった区分を超えて、「等しくすべての人類にとって」ってことですよね
でも実際はその遺産を保護している人たちや我々のように世界遺産が好きで勉強してる人たちでないとなかなかその遺産に価値を見出すことって難しいです
普遍的な価値を持っていることをほとんどの人が知らなくて、そのための教育を相当に施さないといけない「普遍」ってなんなんでしょうかね

真に「普遍的価値」を持っているのであれば、それを破壊したり損傷させたりっていう人はいないはずなのですが、実際は紛争や開発行為で危機的な状況に陥る遺産があります
世界遺産に登録されているにも関わらず破壊の危険にさらされているということは、「普遍的価値を持っている」というよりは「普遍的価値を持ちうるものとして皆にその価値を広めていきたい」存在が世界遺産なんでしょうね

■普遍は不変ではない

普遍とは前段でも書いたように「等しくすべての人類にとって」「共通の」といった意味です
公式テキストの世界遺産大事典では「現在だけでなく将来世代にも共通」する価値であることが書かれていますが、それって無理に「不変」であることを強いることになる気がします
すべての世界遺産に言えると思うのですが、これまでの長い歴史の中でそれぞれの時代の人類が、その必要性や合理性を考えながら形を変えつつ継承されてきたものが世界遺産だと思うんですよね
それを、世界遺産に登録されたある一つの時点の形態にのみ価値を認めて、その改変を一切認めないという「不変」のスタンスは、逆に世界遺産の価値を貶めるようなことになる気がします

奈良文書で拡大された真正性の考え方とも少し異なるような感覚なのですが、世界遺産のOUVの真正性はそれに関わる人間の価値観によるところが大きいのかなと思ってます
不動産としての遺産本体に価値を認めないという訳ではなく、その価値を価値たらしめる人間との関連の部分において価値が認められて、それを守る・維持する形で真正性の確保がなされるべきなのかなと・・・
なんか、書いててよく分からなくなって来てますが、こういう感覚って理解されますかね
いずれにしろ、どこまで行っても結論の出ない問題のような気もしますが

今後もたまにこういう訳の分からない文章書きます(多分)
間違っても、世界遺産検定のマイスター論文ではこんなこと書かないようにお気をつけください


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