22歳。結婚はしない。
いや、誕生日すぎてもう1か月以上たつやないかい。もうメリクリ過ぎて年末やないかい。
去年の今頃何をしてたかって言うと、社畜だった。実はカフェをつくってました。飲食店の立ち上げって全く何もわからなくて、ただひたすら朝から朝まで働いて、だけどそこに自分が絶対に良いと言えるほどの信念はなくて、ただひたすらにやるべきことに没頭するそんな時間を過ごしていた。正直いい物ができたとは思っていないし、結局会社と揉めてやめた。今でもたまに夢に出てくるあの社長の顔が憎くてたまらない。弁護士にも相談したけどとにかく関わりたくなくて未だに給料は未払いのままだ。
いろんな大人に振り回されて、嘘とホントが見抜けなくて、誰を信じていいのかわからなかったあの地獄から、一切の関係を切ろうと努力してきた今年。
あれからちょうど1年経って、今心も身体もすごく健康だなと思う。
あのときに比べてお金も全然ない、けど時間はある。自分に向き合う時間があるし、心は疲弊してないし。自分少しはがんばったな。よく乗り越えた。
去年仕事してたクソ会社とバトって、次のインターン始めるもそこも潰れて、就活して、、。
就活もぜんっぜん好きじゃなくて、毎日自分と向き合わなきゃいけない、それを見知らぬ人間に伝えなきゃいけない地獄の連続で、かなり疲弊していたけど、それからもやっと抜け出して。
自分がやりたいって心の底の方で思ってたことを言語化して行動している人に出会って、そんな人に憧れながら今はひたすら卒論を書いている。(提出完了12月18日)
でも就活も卒論も日常のTwitterも、自分が思うところは一つで、この社会が自分らしくいていい、安全なスペースであればいいなっていうことだけで。
フェミニストといえばそうなのかもしれないけど、ちゃんとした(?)フェミニストには怒られるかもしれない、そんな程度の思想である。
22歳になったからどうってことはもはやなにもない。お酒ももう飲めるし結婚だってできるしなんの変化もない。
でもまだ祝ってくれる人がいるのは幸せものだな、私。
今年一年の変化といえば、自分がちゃんとジェンダーを学んできたこと。自分らしいのはどんな姿かわかるようになったこと。
明確なことといえば、夫婦別姓が成立するまで結婚はしたくないっていう意思を持つようになったこと。
卒論では、事実婚について書いた。人生において結婚か独身かという選択肢しかない世の中に疑問を覚えたから。
結婚は、したいかしたくないかと言われれば、したい。子どももほしい。だけど自分の苗字はかなり好きだ。好きというかこれは自分のアイデンティティーだし。
「え?結婚したら『しょうじ』じゃなくなるの?」
いつのまにかそう思うようになってた。いや絶対に嫌。結婚すると自分の苗字がはく奪されるって思うとなんだか結婚という選択がネガティブなものに思えてくる。
だから、今のところは、夫婦別姓制が取り入れられるまで結婚しないと決めている。
今年になって初めて、結婚についてのもやもやが少し晴れた気がしている。夫婦別姓なら私に向いているかもしれないと。夫婦別姓が認められるまでは事実婚っていう選択肢もあるっていうことを知ることができたのは大きい。
事実婚はやめたほうがいいよとかいう意見は全然求めてない。今現在、自分はこうしたいと思っているだけだし、否定したいだけの心配のフリした意見は求めてない。
夫婦同姓を強制するのは人権の侵害だ。
人権という言葉を嫌う政治家がいるらしい。人権を侵害しまくってる自覚があるからだろうと刺したくなるが。
自分の名前を選ぶこと。自分が一緒に生きていくパートナーを選ぶこと。自分の労働に正当な対価をもらうこと。どれも私達の権利だろう。
国民の義務を果たしているんだから権利はちゃんとくれよ。
たとえ同性のパートナーと結婚しても、結婚して苗字を二人とも変えなくても、それがだめな理由がわたしには本当にわからない。
何がだめだからだめって言ってるんだろう。
なんでそこの権利を法律で縛るんだろう。世の中は変わってきているんだから、その変容に合わせて法も変わっていかないと。
やってらんねえな、日本。って国外に人が出ていってもおかしくない世の中。
少しでもの反発心と世の中の変革に向けた自分の意思表示として自分の結婚に対する意識はもっておこう。そう決めた2019年。22さいになりました。
良いお年を。
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