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アフターストーリーの車のナンバー「もし数字にも意味があったら」という語呂合わせと、結婚観への私見#ytv未成年
アフターストーリーで蛭川が乗っている大きな車
その大きな車で水無瀬を迎えに行くし、結婚祝いの場にも海にも行ける
大人になったなと一目でわかる重要なアイテムだと思う
後編でその車のナンバーが、意味ありげに一瞬アップされる
配信開始後、そのナンバープレートの地名が世田谷で、世田谷区はいち早くパートナーシップ制度を導入した区であり、二人がそこに住んでいるということではという考察を拝見して目から鱗が落ちまくった(見識が広い…絶対自分じゃ気づけなかった…尊敬です)
なるほどすぎたので、ぜひXで検索してみてください
現状結婚は出来なくてもパートナーシップは結べる環境にいるんだと希望を生み出してくれたんだと思う("結婚出来なくても"問題は思うところありすぎるけど)
細かいところまで手を抜かないのがこのドラマなんだよね
前置き
なので、今から話すのはただのこじつけで語呂合わせ(ともいえない代物)です
前述の考察を否定する意図は全くないことを先にお伝えしておきます
それどころか私も、それだよ絶対それだ!と思ってます
もしも数字にも意味を持たせてるとしたらというひねりにひねった無理やりの解釈です
そして二人の結婚感と結婚制度についても自分の解釈で話していますのでご容赦ください
逆に二番煎じ三番煎じの解釈もあるかもしれませんが、合わせてご容赦ください(いやそれは…ってところがあったら教えてください、よろしくお願いします)
前置きが長くなりました
『373』ではなく『399』
このドラマで出てくる数字で印象的なのは、宿泊学習のときの37.3度、バスのナンバー373、つまり373=水無瀬なんじゃないだろうか
セオリー通りにいくならここも373でよかったはず
なんなら「蛭川希望ナンバーみなせにしたの?」と、ちょっと盛り上がるくらい(私が)
でも今回は『39-9』これは『399』と取っていいと思うんだけど
もし数字にも意味を持たせるとするなら
『幸せ=4合わせ(400)』に1足りないから『399』
になるんじゃないかって思った
…語呂合わせなのか親父ギャグなのかって感じになってしまったけれど
でもこの作品が細部までこだわられて作られてるのは事実
適当につけた数字じゃないんだろうなとは思ってる(とか言って違ったら恥ずかしいね)
幸せ(400)になるには1足りなくて(399)それはラストシーンに向かうまでの二人の心境でもあり、法律が変わらないままの社会の不平等を表しているのかなと思った
水無瀬の社会
車に乗ってるときの二人、というか水無瀬は会社の帰りも結婚祝いの帰りも幸せな気持ちではない
長い間離れてて寂しくて焦燥感がある会社帰りと、はっきりと結婚について羨ましいし、周りに話すことを「俺は無理」って言ってる結婚祝いの後
お見合いを勧める母親と、当たり前のように彼女は?結婚は?と聞く先輩(上司)のいる会社が水無瀬の生きる社会
水無瀬にとって社会って、小さい頃から期待に応えることで居場所を確保してきたものだと思う
それに応えられるだけの能力を身に着けてきた結果が今の水無瀬だと思ってるんだけど
今回のこと、つまり現状結婚に関しては人生で初めて周りの期待(圧力)に応えられないことになる
水無瀬の"いい大学に入っていい会社に入る人生"へのイメージを考えると、周囲の人間と違うことをするってその足元がぐらつくようなものなんだろう
人に評価されることで社会での立場を作ってきたなら、社会的な人格の根本に関わることだと思う
蛭川への感情を一度置いておくとしてもそりゃ怖いよ
自分のことを打ち明けた時に相手にどんな反応をされるかはその時にならないとわからなくて、わからないことってとても怖い
母親は言わずもがな難敵すぎるし
親の育て方って根深い…("母の思う正解"だけを褒めて育ててきたんでしょう良くないね)
「頭が痛くなることが多すぎるよ」は、周りのことだけじゃなく、自分のことも言ってるんだろうな
周りなんか関係ないと言い切れない自分を、どこか俯瞰して悲しんでいるように見える
蛭川の社会
かたや結婚の質問には出来るようになったらする、で通してて周りもそれで流してくれる環境の蛭川
嘘じゃないし開きすぎてないし、上手い答え方だなあと思う
そのフォーマットが出来上がってることに、聞かれることはそこそこあるんだなと思うけれど
クリエイティブな仕事環境だからなのか、それとも元々周りからのプレッシャーが気にならないタイプなのか、蛭川は水無瀬ほど結婚に悩まされていないように見える
蛭川母も水無瀬母のように見合いだなんだとせっついては来なさそうだし(良くも悪くも放任だなあと思う)
「全部打ち明けて結婚する?」って車でも言っているように、同性婚が法整備されていない現状、蛭川にとっては『結婚=公表し周りに認めてもらうこと』なんだと思う(認めて"もらう"ってのも何だろうと思うけど)
元々ずっと一緒にいることは決まってるんだから出来るようになったらすればいい、だから「それまでは俺たちがわかってればいいよ」だったんだろう
結婚はあくまで自分たちの選択であり(後述します)、周りから押し付けられるものではない
水無瀬が嫌がるなら言わないし、言っていいなら言う
出来るようになったらする、水無瀬と
フラットなんだよね
結婚観の違い
結婚したいことも法律が変わったら結婚するのも、二人の共通認識で間違いないと思う
でも実は二人の間でも結婚に対しての認識(や周りに打ち明けることへの難易度)が違うんじゃ?と思ったのがここの蛭川の「俺らも結婚する?」「俺は別にいいけどね」だった
不思議なんだけど、家族仲が良かった時間があった蛭川のほうが結婚に対する希望が薄くて(薄いというか切迫感がないというか)
おそらく親子三人揃って暮らした時間がほとんどないであろう水無瀬のほうが結婚に対する思いが強いんだよね
二人とも親が離婚したというところは同じなのに結構真逆だなと
仲良いときを知っているから壊れるのが怖いのか、それとも知らないから希望を見たいのか、みたいな違いなのかな、どうなんだろう
それとも愛情を知ってるからこそ目に見えないものを信じられる蛭川と、愛情を知らないから不確かなものを信じられない水無瀬の差なのかな
自分たちが一緒にいることが大事で周りからの承認が必須ではない蛭川と、感情以外に社会からの保証や目に見える関係値がほしい水無瀬
この少しのズレがマイナス1に含まれてたりしないかな
社会のマイナス1
自分は決して詳しい人間では無いし、これを話すことで誰かを傷付けるのは本意ではないのでサララッと読んでいただきたいのだけど
さっき"選択"という言葉を使ったけど、やっぱり選択肢すらないっていうのは不平等としか言いようがないと思う
結婚したい二人に「結婚なんか出来なくても」と言わせることの惨さ
自分が今生きてるこの社会がそれを言わせてるんだと思って胸が重く苦しかった
以下2.20追記
普段柔らかい言葉を使う蛭川が、「結婚」という水無瀬が提示してくれた未来を「なんか」って言うのが少し腑に落ちなかったんだけど(そう言わせる社会への投げかけという意味を除く)一つ可能性が見えた気がする
多分水無瀬にとって社会的な意味を持つ「結婚」って、大きすぎるんだと思う
社会的な意味と自分の気持ちと二つの意味が乗ってしまって大きすぎて、自分が潰れそうなくらい重すぎる
人それぞれ結婚に対する価値観は違うだろうけど、本来のそれよりも大きく見えてるというか、実態より重く捉えすぎてるというか(今さらだけど全て主観です)
だから蛭川はあえて「なんか」という言葉を使うことで「その程度のものだよ」と伝えてるのかもしれない
出来ても出来なくても水無瀬自身が変わるものでもなければ、出来ても出来なくても自分の気持ちが変わるものでもない
それくらいのもの
だから「なんか」になって、その後の言葉に続いたのかな、と思った
以上、追記でした
偏見や差別や周りの目、ハードルが理不尽に多いこともそうだけど、そもそもスタートラインにすら立たせてもらえないってなんなんだろう
気持ちで解決するものじゃないもんね、法律が壁になるって
だから本来届一枚出せば出来る結婚が、皆から大々的に祝ってもらえるはずの結婚が、自分たちには当たり前ではないのだと思わされてしまう
認めて"もらう"なんてことになる
誰かといることを誰かに認めてもらう必要なんてないのに
最初から選択肢すら与えられてないのに
今の状態って保証がない分感情で埋めてる構図だと思う
だから水無瀬はあんなに怖がっていたんだろう
気持ちが通じてればいいというのは一見美しく見えるけど、この社会で当たり前にある"幸せになる権利"を奪われてることへの答えにしたくない
そしてこれが現状二人の幸せのアンサーになるのも悔しくてたまらない
やっぱり1足りないんだと思う、この社会は
足りない車で向かう未来
相手の気持ちを本当に理解したり共感したりすることは育ってきた環境や今いる環境に依存するところが大きい
きっと分かり合うには限界がある
でも同じ時間を過ごしてきた二人は、この隙間を埋める方法を知っていた
そのための海に向かうのが1足りないナンバーの車
海で蛭川は水無瀬に自分の気持ちを伝える
朝日に光る海を見て水無瀬を思い出したこと、愛しているということ
「結婚なんか出来なくても、ずっとそばにいる」「だから不安になることないよ」
ここで不安にならなくていい、とはっきり伝えてくれるのが蛭川らしい
水無瀬の不安をちゃんと受け取って、それは必要じゃないとちゃんと否定する
水無瀬の感情で補填しきれなかった隙間を、蛭川は言葉と感情で埋めた
水無瀬は蛭川の暗い海に光を差し込んでいた
二人の補い合う関係性が印象的な場面だと思う
足りない1は海に行っても拾えるわけではないけれど、水無瀬は海で蛭川の気持ちを聞けて今までより不安になる瞬間が減り、幸せだけを思える瞬間が増えただろう
蛭川も水無瀬の結婚への本音を聞けたことで、今まで以上に「法律が変わったら」と言う水無瀬が抱える重い荷物を、一緒に抱えて生きていくんだろうなと思った
それでもやっぱり二人の感情以外のところで足りない1があることは事実で
その1が足りることは近い将来あるんだろうか
いや、ないと困るんだけど
二人が心から幸せだと言える社会や環境になるには時間が必要かもしれないけど、そんな悠長なこと言って二人をここで留めたくないな
蛭川の車のナンバーが『400』になる日は、きっとすぐそこだと信じたい