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「本当に助けが必要な人は、助けたくなるような見た目をしていない」#ytv未成年
「本当に助けが必要な人は、助けたくなるような見た目をしていない」
という言葉を見たことがある
医療や福祉の分野でよく使われる言葉だという
"真の弱者は助けたくなるような姿をしていない"
元はロシアの小説家で思想家のレフ・トルストイのこの言葉からきているらしい(調べたけど正確な出典先が見つからなかったのでらしい、にさせてください)
蛭川と水無瀬
この言葉を見たときに、蛭川と水無瀬だなと思った
蛭川はそう(=弱者)見られないよう擬態している
一番は父親から暴力を受けていることを母親に気付かせたくないから
でも大人へ絶望した経験もあるんだと思う
「親が離婚して可哀想」そんな目線を向けられながらも、誰も暴力から救ってくれなかった
不良っぽく振る舞うことで簡単に騙される
怪我をしても学校を休んでも、心配されることより侮蔑されるような目で見られる事が増える
所詮他人事なんだ。大人は助けてくれない。そんな絶望を抱えてる気がする
(でも離婚するまで怪我するようなことはなかっただろうに、離婚してから怪我するようになったことを母親どう思ってたの…お気楽すぎない?)
(でも父親にされてるかもと思わないところに、離婚以前の父親の姿が見えて辛い)
水無瀬も表面だけ見て一人で問題ないと決めつけられてる
「この子は大丈夫、一人でも問題ない。しっかりしてて、優秀で…」
どんなに褒める言葉を並べても、未成年を何の保護下にも置かず、一人で生活させていいわけはない
それなのに周りの人間は「水無瀬だから」大丈夫だろうと手を差し伸べることも心配することもない
心配するどころか、より良い生徒になることを求められる
水無瀬本人も幼い頃から一人で生きていく環境と状況に慣れてしまっていただろうから、それが特殊な状態であることの認識が薄い気がする
親にすら甘えることを知らずに成長した子どもが、他人に甘える(頼る)ことを出来るわけもない
必要ともしていなかったんだろうけど
二人は真逆なようで助けの手が差し伸べられないことが共通している
二人とも積極的に助けを求めていたわけではないことも似ている
でも、今現在大人の立場の自分から見ると、助けが必要な状況だったと思う。二人がそう望んでいなくても
繋がる「可哀想」
そんな中で率直に可哀想と言われることは人生で初めてのことだったんじゃないか
「可哀想にね」と大人が助けるつもりもなく言ってきた中で、「可哀想」なんて言われたことはなかった中で、ただお互いの立場を透明なガラスを通して見ているような、同情ではない「可哀想」
二人が2話で「可哀想」と言い合うことは関係と気持ちが動くのにとても大切な場面だと思うのに、いくら考えてもこれだという答えが出ない
でも、おそらく今まで言われてきた可哀想も、例えば言われたかもしれない可哀想も、二人とも反発があったと思う
相手が水無瀬であり、蛭川であったから、同じ言葉でも素直に受け止められたんだと思う
何でだろう、同じ匂いがしたからとしか言えないんだけど…(引き続き悩み…)
可哀想と言い合うことで二人は救いを得た
蛭川は居場所を、水無瀬は温かさを
でもこれは本当は親が、大人が社会が、二人に差し伸べなければいけない手だったんだと思う
未成年の不安定な立場で、不安定な相手を救おうとするのは、現実問題厳しい(大人にだってとても難しい)
現に水無瀬の母が家に帰れば蛭川は居場所がなくなる、なぜなら水無瀬の家は母の所有だから
水無瀬もまた、母親が帰ってくれば蛭川と一緒にいられなくなる
何より自分たちではどうにも出来ない事情で離れるしかなかった
二人は救いも居場所も一度得たと思ったのに、また失くした
助けたくなる姿って?
二人がどんな姿をしていたら、救われたんだろうか
もっと頼りなくて、脆弱で、一人が怖いと泣いているような子どもだったら二人は孤独にならないですんだのだろうか
蛭川の母は父親の暴力を知り引き取ったんだろうか
水無瀬の両親は家族三人で暮らしていたんだろうか
でもそれって、本当に蛭川と水無瀬なんだろうか
一人で海を見張ってた蛭川も、生活感のない部屋で一人で暮らしてた水無瀬も、それもまた二人のプライドだったんだと思う
そしてそんな誰にも伝えられない(伝えたくない)孤独を共有できた二人だったから、お互いが大切な存在になれたんじゃないか
そう思うと親や周りの大人に怒りは覚えるけど(もうそれはそう)二人が今(アフターストーリーで)一緒にいられることが、お互いが揺るぎなく救いになれたんだと思えてほっとする
大人になった二人は、もう誰にも救いたいと思われない未成年ではない
自分で自分のことを救い、また相手のことも救いながら一緒にいるんだろう
もうそれが誰の手でも奪われないように、願う他ない