札バン研究所「月光グリーン『蛮勇根性』全曲解析」②
こちら、札バン研究所
札幌を拠点とするバンド、略して札バン。
その音楽を研究する今回は、2003年結成、月光グリーン。
デビュー・アルバム『蛮勇根性』に収録された全12曲の内、4~8曲目を解析する。
#4 笑おうよ
メデビューシングルの「人間なんだ」に通じる、フォーク調楽曲。もともとアコギの弾き語りで出発したテツヤのルーツが窺える。
しかも、音階はファとシを使わない「ヨナ抜き5音階」。これは日本の音階なので、月光グリーンの音楽が持つ「和」の要素が、ここではメロディーにはっきり現れている。キィーはG。あっけらかんとした明るい長調である。
歌い方はコブシが回っているが、素朴で、ぶっきらぼうとも言える。
しかし、「人間なんだ」とは異なり、リズムが8ビートのフォークロックではない。16ビートのハネたリズムで、特にハナのベースはスラップ奏法も使ったファンキーなもの。チュウのドラムもそれに呼応するように、タイトに決める。恐らくドラムとベースだけのトラックを聴いたら、かなりエッジの利いたファンクロックだと思うのではないか。実際、間奏部はまずベースソロ、次にドラムソロだが、どちらもぐいぐい攻めてくるカッコよさ。
ところが、その後に来るギターソロが……
この、何と言うか、植木等調の、のほほんとしたフレーズで、むしろユーモラス。
つまり、上物である歌やギターソロはコミカルでさえあり、それをファンキーなリズムが支えている。このミックス感覚が面白い曲だ。
この感じは、ちょっとキング・サニー・アデとかの、アフリカンミュージックを思わせる。間奏には、カリブ音楽の匂いもある。裏声の巻き舌が入っているせいか。
しかし、ギターの音はしっかりロックに歪んでいるから、北の大地が生んだトロピカルミュージックが狙いではなく、あくまで歌詞にあるユーモア感覚を、サウンドにも反映させたアレンジなんだろう。
「笑おうよ」というタイトルからわかる通り、いやなことがあったら、とにかく笑って、踊ろうよ、と呼び掛ける。ただ、いわゆるメッセージに終始すると、上から目線で説教臭くなりがち。そこを、自分自身の体験を交えた私小説的アプローチで、同じ地平に立って歌っているため、共感性が高い。
♪ 腹が立つことばかりで 楽しくもねぇ
クラクション鳴らす車を 怒鳴りつけた
身長190センチのテツヤに怒鳴られたら、ちょっと怖いだろーなー。金髪だったり、赤毛だったりするし。
♪ 円山公園散歩してて それでも心は晴れません
子どもがオレ見て笑ってる ちきしょうオレも笑ってやる
具体的な地名が出てくるのも、私小説感を増して、いい。
他人に笑われるという歌詞が、他の曲でも時折顔を出し、自意識の高さが窺われる。しかし、ここでユニークなのは、子どもに笑われた主人公のリアクションだ。笑われて怒るのではなく、こっちも笑ってやる、という、この変なポジティブさ。ここにユーモアがあり、コンコンと入るカウベルが、おかしみを助長する。
そう、ユーモアは大事だ。しかし、「涙はかならず必要さ」とも歌われる。この辺の複眼的な思考がテツヤの歌詞の深さだと思う。ちなみに、
♪ 心はあとから顔は今
とあるが、これは科学的に正しいそうだ。実験によると、人はおかしくて笑うのではなく、笑うとおかしくなってくる。人が笑う瞬間、その表情の変化と脳の様子を観察すると、まず表情が動いて笑顔になり、コンマ何秒の世界だが、少し遅れて脳の、笑いを感じる部位が活性化するのだ。
まず笑う。すると楽しくなってくる。理に適ったメッセージソングである。
#5 七転八倒
これはメロディーも、リズムも、全力でファンキー。右手残像ベースのハナと、撲殺ドラムのチュウ、二人の面目躍如たるダンスチューン。
キィーはC#m。コードもほぼC#m一発で、ハーモニーやメロディーで聴かせる曲ではない。あくまでリズム重視、特にこの曲の面白さは、歌詞をリズムに乗せる強引さにある。
もともと日本語は子音のみの音がなく、まったりしているので、ロックの鋭角的なリズムには乗りにくい。それで70年代には、「日本語でロックは可能か」が真面目に議論されていたくらいだ。しかし、グルーブへの理解が深まり、言葉の選び方が自由になって、さらに歌唱法も進化した結果、いまでは日本語ロックは当たり前になっている。
それでも、やはり工夫が必要なことには変わりがない。特にこの曲のように、メロディーの美しさよりリズムのかっこよさで聴かせるタイプの曲では、いかに言葉をグルーブに乗せるかが勝負になる。
冒頭の歌詞は、
♪ 右往左往 お天道様 七転八倒 散々だ
これも、諺・熟語・成句系の発想だ。「七転八倒」という言葉には、日本語の中でもグルーブをつくりやすい「ん」と「っ」の両方が含まれているので、速い8ビートによく乗る。対してどちらも含まない「右往左往」は「うーおさーお」、「お天道様」は「てんとさま」と無理やり乗せている。
やはり、「七転八倒」がばっちり決まっている。
「散々だ」はハナとチュウによる追っかけ。
続いて、
♪ 失敗じゃねぇ 経験だって 向いてねぇって 発見だ
「しっぱい」には「っ」があるので、うまく乗っているが、後半の「じゃねぇ」は「じゃーね」に。「けいけん」には「ん」、「だって」には「っ」があるが、次は「むいてねって」になっている。うまく乗る言葉を中心に巧みにつくられているが、それでも難しいところはボーカルがねじ伏せる。この辺りのテツヤのリズム感は素晴らしい。アクセントのつけ方が絶妙で、なかなかこのノリは真似できない。
チュウのドラムは、ところどころスネアの位置を裏拍にズラし、つんのめるニュアンスを出している。まさに七転八倒にふさわしいドラミングだ。
ハナのベースはもちろんスラップも多様しているが、後半、「有明月明かりが消えて お天道様が見えてきた 夕月が見えるころまでに オレは七回転んでやる」というサビを繰り返すところで、フレットを縦横無尽に駆使し、ドライブ感満載のプレイを聴かせる。
それにしてもこのサビの歌詞、ちょっとおかしいよね。「七転八倒」と「七転八起」を混同しているようだ。
「オレは七回転んでやる」は、「七転八倒」だと、この後さらに八回倒れるわけで、そのまま終了って感じだし、そもそもこれ、苦しむ様子の表現。「七転八起」なら、この後立ち上がってやる、という前向きな意味になるんだが……これは、敢えての混同か?
#6 摩天楼に咲いた花
アコギのアルペジオで始まる、フォーキーなバラード。ちょっと面白いのは、Em/Bという分数コードで始まるところだ。最初だし、主音を提示するという意味でもベースはEが普通だが、ここではBを弾いている。コード進行がEm/B→C→D→Gなので、ベースがシ→ド→レとひとつずつ上がっていくようにしたかったのだろう。
またメロディーも、冒頭いきなり、6度の跳躍がある。「虹の彼方に」の冒頭1オクターブの跳躍ほどではないが、ソからミまで、そこそこのジャンプ。その分声が少し苦しそうだが、それが楽曲のもの悲しいトーンに合っている。
Bメロでは、テツヤの裏声が聴ける。地声の声質がしゃがれている分、きれいな裏声との交錯が効果的だ。この部分、音程はシ、ファ#、ソなので、地声で充分出る範囲なのはずだが、敢えてファルセットにしている。そのため裏声ではむしろ出にくく、ピッチが微妙に不安定だ。しかし、地声では強い発声になるし、ピッチの揺れも心情の揺れに重なる。楽曲の狙いをきちんと踏まえた裏声の選択である。
そう、この曲の歌詞では、「摩天楼に咲いた小さな花」に喩えられた、恋人とのささやかな暮らしを守っていきたい、という心情がテーマ。しかし、そんな願いも虚しくなりそうな、予感に震えている。
だからメロディーの最後も、レという中途半端な音で終わっている。そのため、この曲のキィーは、Gという長調なのか、Emという短調なのか、しごく曖昧だ。もし前者ならソ、後者ならミで終わるのが普通で、いずれにしてもレで終わることはあり得ない。
しかも、その時のコードは、冒頭に帰ってEm/Bなのだ。この和音の中にレは含まれていないので、もし歌も合わせて考えれば、ここの和音はEm7/Bとなり、いわゆる不協和音である。
こうした調性感の曖昧さは、やはり歌詞に由来するのだろう。
摩天楼が象徴する、都会の冷酷さ。その中で、二人寄り沿って生きる恋人たちの生活は決して楽なものではない。ともすると、くじけそうになる二人が、互いの命の温もりだけを頼りに必死で生きて行こうとする。その結果、彼らがどうなったのか、曲は明確に語らず、聴き手の想いに委ねられる。だから、曖昧なレで終わっているのだ。
その歌詞も、日本語が壊れている。これは、曲がスローテンポであり、ロックのノリでもないことから、グルーブを優先したせいではない。ある意味、文学的に壊れている。
風が吹けば儚いまぼろし、であるべきところを、「儚くまぼろし」と副詞に。
「交わした手を離しそう」は、「かわす」と読むべきだが、「まじわす」と歌っていて、これは日本語にはない。
「照らし隠し一日が過ぎてく くらいに小さいこと 日常を彩りまだ伸びてく」も謎めいている。
日が照らし、雲に隠れ、という意味なのか? それに続く「くらいに小さいこと」も、やはり日本語として座りが悪いし、これが「伸びてく」の主語のようだが、小さいことが伸びてく、というのも意味不明。
こうした乱れた言葉は、そのまま主人公の心の混乱を反映して、独特な悲しみを感じさせる。
#7 三日月
もう1曲、フォーキーなバラードが続く。始まりは同じくアコギのアルペジオで、こちらはキィーも、はっきりとD。音楽的にはシンプルだ。
うまく行かない人生に、涙する夜の歌。それでも明日には少し笑えるだろう、と自分を慰める。そんな自分の友が三日月だ。
三日月はやせ細って弱々しい。自信なげに夜空にかかる。光も少なく、すぐ雲に隠れてしまう。まるで自分と同じだ。
しかし、三日月はこれから満月に向かって成長していくのだ。少しずつ大きくなって、やがて夜空の女王になる。
松任谷由実は「14番目の月」で、満月になったら後は欠けるだけだから、その手前の14番目の月が一番好き、と歌ったが、三日月ともなればもっともっと未来がある。だからいまは、泣きたければ泣けばいい。
しかし、フォーク調でしっとりした前半は、突然がらっと雰囲気を変える。
8ビートが、突然3連になり、アコギも歪んだエレキに。ドラムとベースが激しくリズムを刻み、ボーカルもそれまでの優しい歌い口から一転、激情シャウトに変貌する。
♪ オレは弱いからさ だから吠えるんだ
の言葉通り、三日月に激しく吠えるのだ。
♪ あぁ三日月 泣くのならば そこで見てろ オレが笑う
嘘でもいい 憂えるときも 不器用な顔で オレが笑う
だからもう少し そこで泣いてろよ
三日月に慰められていたようで、最後は自分が三日月を慰めている。
月光グリーンの中で、3連は珍しい。しかし、このパターンになって、Aメロに戻った時、途中で聴かれるチュウのフィルインは実に気持ちいい。もっと3連が聴きたいとさえ思ってしまうほどだ。
間奏で8ビートに戻り、そしてまた3連へ。リズムチェンジがダイナミズムを生んで、最後のシャウトになだれ込む。するとそれまで、D,G,Aのメジャーコードしか使われていなかったのに、突然Bmが現れる。この曲唯一のマイナーがとても印象的だ。
#8 大きな鳥
これも月光グリーンには珍しい3拍子。テンポが速いのでニュアンスは8分の6、いわゆるハチロクで、3連とも通じ合う。「三日月」からの流れとしてぴったりの置き場だろう。キィーはE。これも非常にドラマチックなナンバーである。
イントロはなく、歌から入る構成だが、曲が始まる直前に、息を吸う音が一瞬入っている。このブレスがイントロと言ってもいいくらい、始まりを予告する。
そして現れるのは、「大きな鳥」だ。
♪ 道の両側残る 泥だらけの雪
大きな影は突然そこからやってきた
雪国札幌らしい情景だ。白い雪に不意に差す黒い影。それは空を舞う、巨大な鳥の落とす影だった。
巨鳥という幻想的なモチーフ。それに乗って空を飛びたいと願う主人公の想い。ファンタジー性という意味でも、前の「三日月」と対を成す曲だろう。
それにしても、この「大きな鳥」は、やはり何かの象徴なのか?
これから人生を託そうとする、月光グリーンというバンドなのかも知れない。
いや、ひょっとしてオフィスキューかも。
Aメロは跳躍の多いきれいな旋律で、これまでの曲にはなかったタイプだ。ピアノ曲を思わせるクラシカルな雰囲気は、旋法よりも和声を重視して、いわばアルペジオをメロディー化したようなつくりだからだろう。それが固有のロマンチシズムを曲に与えている。
リズムアレンジは、やはり凝っている。特に、いま引いた「大きな影は突然そこからやってきた」の後、2回目のAメロに入る前にブレイクするのだが、よくある小節頭ではなく、なんと3拍目の裏という中途半端なタイミングなのだ。そしてギターの単音の引っ掛けがあって、無音のまま「自由に」と歌い出し、次の小節の2拍目からドラムとベースが入るというややこしさ。
かつて日光グリーンという、月光の完コピバンドがあったそうだが、まさにコピーバンド泣かせ。こんな面倒くさいアレンジしやがって、と八つ当たりするやつだ。
また、全体に言葉数が多いテツヤの曲だが、「ららら」と歌詞のない部分がサビの後についているのも珍しい。これも、この曲固有のロマンチシズムを加速している。
後半盛り上がるところでの、ベースの符割りの細かさ、ドラムの手数の多さはまさに劇的だが、アウトロでは一転してギターのみになる。しかも、メロディーとしてのキィーはEなのに、最後に弾かれるコードはC#m。余韻にはもの悲しさが漂う。
to be continued……
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