孫子に学ぶ、生きる、闘うということ
最近、アラフィフになった。それでも東京という都には頻繁に足が向き、文化や芸術の中心だろう。500マイル離れていそうな関西に住んでいても。
文芸というわけではないが、虎ノ門の書店にはビジネス書というか、思想というか、どういうわけか考え方まで売っている。考えなくてもいいと言っては言い過ぎだが、こう考えればいい、そういう本にあふれていた。
ちょうど、シンガーソングライターのカフェライブでの待ち時間だったので、芸術の鑑賞にはカネは出すが口は出さないとか、もっぱら耳の痛い話もあった。そう、そのとおりであろう。そうありすぎる、といったところか。
そこで見つけた本、孫子。私はなぜか春先この本を買いこの本をずっと持ち続けた一年であった。そして、斜め読みしてつぎのようなフレーズに目が留まった。
孫子曰く、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり
いうまでもなく、ロシアとウクライナの戦争は泥沼化しているか、国の大事をわきまえてないのは民衆の嘆きか。いまの日本の指導者にもわかってもらえているか、心配なところはあるが、戦争にならないでほしいのはいつも、平和がいい。
次にこの本を読み進めてはいなかったが、偶然にも古本屋でこの言葉に出会いまた、孫子を読み返すことになった
戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝(あ)げて窮むべからざるなり。
戦術にはいろいろ、正とか奇かに分類されるが、それは組み合わせは無限に存在している。たしかに、基本と応用いろいろうみだされるか。
上に雨ふりて水沫(すいまつ)至らば、渉(わた)らんと欲する者は、其の定まるを待つなり。
待つこと、これがいかに重要か。単にスピードや勢いのままやってしまうのではなく、上流からの洪水が収まるのを待って、無事に無理なくというのも率いる方法か。
高きに登りてその梯を去るがごとし
このフレーズには本を持つ手が少し震えた。詳しくはネットで検索して自分なりの解釈を持ってほしいが、はしごを外す、これほど無慈悲なことはなかろう。戦の勝利のために退路は断たねばならない。
算多きは勝ち、算少なきは敗る
これは特に解説も及ぶものでもないと思うが見当というものがつかない場合、たたかいには負けるということだろう。勝ち目を図ることこそ勝利への道か。
塗(みち)に由らざる所あり。軍に撃たざる所あり。
城に攻めざる所あり。地に争わざる所あり。君命に受けざる所あり
ネットでググっていて少し笑えた。君命に受けざるところあり、つまり、上司や指導者にも間違っていることはあるということか。まあ稀ではあるがそういえば、昔の上司はいつも同じ口癖のように自分を正当化で身を交わしていることもあったなあ。
最後次のことも学んだ。
昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ。 勝つべからざるは己にあり、勝つべきは敵に在り
孫子の兵法では、戦いに長けた者は、まず敵が攻撃しても勝てないように守りを固め、敵が弱点を露呈したときに攻撃して勝利する、という戦法を説いています。
攻撃されても負けない状況を作るのは自分たち次第だが、勝つかどうかは敵次第の面がある。
おわり
#今年学んだこと