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【放課後日本語クラスから】初めまして!海外ルーツの高校1年生

 はじめまして。公立高校で日本語指導員の仕事をしている、くすのきと申します。

 日本語指導員。
 日本語教師の方でも、少し耳慣れない職名ではないでしょうか? 私自身、自分が関わるまではほとんど耳にしたことがなく、契約書に職名がそのように記されているのを見て、自分が携わることになった仕事がそう呼ばれているのを、初めて知ったぐらいです。

 日本語指導員とは、ごく簡単にいえば、日本語力が不足している海外ルーツの児童生徒に、日本語初期指導を行う人のこと。学校内に該当する児童生徒がいて、学校が「日本語指導が必要」と判断したときに初めてお呼びがかかる仕事です。「日本語講師」など、自治体によって呼び名が異なることもありますが、基本的な役割は同じと考えていいと思います。

 この春。昨冬からのコロナ禍が収まらず、私が関わっている高校では4月にクラスの新年度を迎えることはありませんでした。初めて生徒たちと顔を合わせたのは、1学期が終わる直前の7月下旬。そしてクラスがスタートしたのが、この9月も半ばからでした。

 このレポートでは、来春3月までの放課後クラスで、私が日本語指導員として何を考え、どんなことに取り組み、悩んだり腹を立てたり、何に喜びを見出したのか。私と海外ルーツの高校1年生のクラスでの様子をお伝えしていきたいと思います。

「放課後クラス」とは?

  さて、上記までの説明や目次の中に出てくる単語に、もやもやとわからなさを感じている方も多いのではないかと思います。「読んでください!」と言っているわりに不親切😠 と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
 そこで少しだけ(知っている方にもうっとうしくない程度に😅)上述の説明を補足したいと思います。

 まず、JSLとは「Japanese as a Second Language」(第二言語としての日本語)のこと。母語以外に学ぶ言語を指し、この記事のなかで「JSL高校生」といった場合には、親と暮らすために海外から日本にやってきて、日本の教育システムの中で、教科や日本語を学ぶ高校生を指すものとお考えください。

 「放課後クラス」は、そのJSL高校生が日本語力を補強したり教科学習の補習をするために放課後に設けられたクラスのこと。教員免許をもつ教員の方たちが正規の時間に行う授業とは別枠の活動であり、単位に換算されることはなく、評価(成績)があるわけでもありません。あくまでも生徒たちが自主的に参加する補習クラスという位置づけです。
 これも、私たちの場合には放課後日本語補習クラス、通称「放課後クラス」と呼んでいるだけで、各校や各自治体ごとに呼び方は異なるものと思われます。

 以上からわかるように、JSL高校生への日本語指導は、よく言えば高校の裁量や生徒の判断に任されている部分が大きく、一歩引いて考えれば、たとえ校内であっても、教員ごとの認識や位置づけ、生徒の意識に左右されやすい活動ということでもあります。
 自分たちが取り組んでいる指導内容が果たして本当にこれでよいのか。教員の人たちとの連携はこのままでよいのか。日本語指導員の悩みが生まれやすい部分を抱えた取り組みともいえるでしょう。

JSL高校生の立っている場所

 先日、ある集まり(Zoom上の)で、ひとりの参加者から「日本語ができることと、その人が幸せであるかどうかは別のことでは?」という問いかけがありました。みなさんは、どのようにお考えになりますか?

 その意見を聞いた直後、生活者としての海外滞在経験がない私は、心の中で「それは、そうかもしれない」とすぐさま答えを出してしまいました。
 その後、メンバーからポツリポツリと自分の体験談が出始めました。 

 「生活してみると、あまり幸せではなかったかな」「どんなにがんばって話しても、中学生ぐらいの人格にしか見えなかっただろうと思う」「自分はもっとユーモアがあり語彙も豊富な人間。それがどうしても伝えられずに気持ちがふさいだ」「言葉のスキルが上がりコミュニティが現地の人に広がってからは、疎外感を感じるようになった」……。

 出てきた意見はどれも、「とてもいい体験で、幸せな日々でした」とお気楽なまとめ方をしたものではなく、その当時の自分の心の中を覗き込んでの発言であり、私は目を開かれたような驚きを感じ、自分が安直な感想をいだいたことを、心中、恥じたのです。

 これは何を物語っているのでしょうか? 
 端的に言えば、「言葉を奪われた自分は、自分ではない。母語が奪われたら自分らしく生きられないのだ」ということなのではないでしょうか。
 だとすれば、それをJSL高校生に置き換えてみたらどうでしょうか?

 生徒たちの多くは、親の呼び寄せで中学生の頃に日本にやってきます。高校が始まる半年ほど前に来日し、ひらがな、カタカナを学んだ程度で入学してくる生徒も珍しくありません。在留日数の少ない生徒は、友だち同士の会話は推測力を働かせてなんとかできるようになっても、日々行われる高校の教科学習にはとうていついていけません。
 それでも毎日高校に通い、授業を聞き、黒板や教科書を眺めながら、生徒たちは何を思い、考えているのでしょうか。

 「自分の言葉で、自分を表現できない」ことが、彼らから人間らしい豊かな感情表現や、自尊心、自己肯定感を奪っているであろうことは、上述した知人たちのエピソードとも重なるものといえるのでしょう。

 JSL高校生がどこに立ち、どのような目で周りを見回しているのか。
 そのことへの想像力が欠如していたのではないか。日本語を教える立場にある者として、私は彼らが立っている場所の近くに立つことの意味を、改めて考えています。

8つの個性

 じつは、緊急事態宣言の相次ぐ延長で、7月、9月と1回ずつ顔を合わせて以降、次に生徒たちと教室で会うのは10月に入ってからと決まりました(またまた延期😥)
 
 そんなわけで、残念ながら具体的なクラスの様子を書くことができないのですが、次につなげるために、私が担当することになった生徒たちについて簡単にご紹介したいと思います。

 上述まで、「生徒たち」と大雑把に書いてきましたが、私が関わっている高校には外国人特別枠があり、その制度を利用して毎年数十名の生徒が入学してきます。ルーツは全体の3分の1から4分の1が漢字圏。逆に言えば3分の2から4分の3が非漢字圏の生徒たちです。

 入学したJSL高校1年生が1クラス分ほどもいる大所帯ですが、その生徒たちを5~6名の指導員で担当し、生徒たちの日本語力を観察しながら授業を進めます。

 私が今年担当することになった生徒のルーツもおおむね上記の傾向の通りで、先日の顔合わせの教室では、8名の生徒の間では母語と英語と日本語が控えめに飛び交い、私と生徒たちの間では日本語、どうしても通じないときは英単語を持ち出しての対話となりました(英語が苦手な生徒もいるので英語を持ち出すことには注意が必要です。そもそも私自身が英語ができるわけではありませんし…😅)。

 さて、これからこのクラスでどのような日々が始まるのか。
 いま「楽しみ💖」にしているのは、生徒ではなく指導員の私であることは間違いないでしょう!
 次回以降はクラスの様子をレポートしていけたらと思っています。少し間が空きますが、続けてお読みいただければ嬉しいです。

 (以上の記事の地域、高校、生徒については事実を一部改変しています)



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