コミュニケーション不全

 「普段から余り喋ることはなかったのですけどね。」と、その男は喋った。いや喋ったというのは正確ではなく、正しくはそう言っているように聞こえた、ということになるのだろうか。
こういった状況には最近よく出会う。おそらくは例の流行病が少しは関係しているのではないかと想像しているが、本当のところはよくわからない。
「いやー本当に驚きましたよ。」と、その男は喋った、ように聞こえたが、しかし本当に驚いていたのは私の方である。なぜその男の言葉が理解できたのだろうか、と。
試しに私は「最近は多いみたいですね。」と返事をしてみたのだが、その男には聞こえていないようで、なにやら一人でぶつぶつとつぶやきを続けている。
 このような状況には本当によく出会うのだ。先日も切符を取り忘れているご老人が居られたので「忘れてますよ」と声をかけたのだが、聞こえなかったのかそのまま行こうとされ、あわてて肩を叩いて引き止めたので無事に切符はご老人の手に渡ったのだが、今となっては分からないが、あの時ご老人には私の声が届いていたのだろうかと。そしてご老人は本当に「ありがとう」と喋られたのか。
 そして今日もまた同じように、今度はフロアの受付のお姉さんに挨拶をしたのだが、どうやらお姉さんには私の声が届いていないようで、不思議そうに首を傾げている。おかしいなと思い、もう一度挨拶をしてみたが、やはり声は届いていないようで、受付のお姉さんはあたりを見回している。フロアにいる他の人の声は聞こえているようだが、なにが起きているのだろうか。

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