備忘録としてのネットラップ史 (1)移民と二世、ヤンキーとオタク

本記事シリーズは筆者の青春、「ネットラップ」についての記憶を書き留めておくメモ書きです。前回の記事は以下リンクから。


ラップ音源投稿サイトがもたらしたもの

さて、ラップ音源投稿サイトの出現により、日本語ラップヘッズにはいくつかの恩恵がもたらされました。

①音源が無料で聴ける場所

ラップが今ほどメジャーでない当時、CDとして流通する日本語ラップ音源には限りがありました。TSUTAYAの日本語ラップコーナーを借り尽くしてしまい、ラップ音源に飢えていたヘッズは全国にいたでしょう。筆者もその一人です。そんな中、ラップ音源を無料でダウンロードできる投稿サイトはまさに天国でした。

最初期のネットラップ文化を支えたのは既に現場で活動していたアーティスト達[1]です。彼らはラップのスキルに加え、録音やミックスなど音源製作の知識も多少あり、当初からレベルの高い音源を供給してくれました。アーティスト側から見ても、地元のイベント以外にリスナーに曲を届ける場所として、音源投稿サイトは価値があったのだと思います。

②自作音源の公開先

アーティストが音源を公開するサイトは他にもMuziemyspace、Nextmusicなどがありました。これらのサイトとラップ音源投稿サイトとの違いとして、(1)公開される音楽のジャンルがラップに絞られていること、(2)掲示板にアップロード機能が付いている形であったことが挙げられます。

(1) 音源がラップに絞られているということは、新しい無料のラップ音源が欲しければここを見ていればいいわけです。そうしてヘッズが定着したものと思います。
 なお、同時期にはWebラジオJapanese Street Beat (JSB) があります。JSBはカリフォルニア在住のDJ TRIKが日本語ラップ音源をかけるラジオで、コンピレーションのラップアルバム[2]を3回、インストアルバムを1回配布しています (2004~2005)。

(2) 他の人がラップをする様子を見ることで、それまでリスナーだった日本語ラップヘッズ達にとっても、自分で音源を作成することが現実味を帯びました。現場からのネットに流入したアーティストを移民とするなら、ネットラップから始めたアーティストは二世と呼べるでしょう。

③コミュニケーションの場

上述の通り、ラップ音源投稿サイトはその特徴 (ジャンルが絞られている+掲示板の形) からコミュニケーションの場ともなりました。リスナーからの感想に加えてアーティストからもやりとりができることで、交流からコラボレーションが生まれ、時にはbeefもありました。

特に箱が少ない、関連イベントがないような地方の救済にもなっていたと思います。学生であればラップ好きなんか同じクラスに1人居れば多いくらいの時代に、ラップを語る相手が見つかる場所でした。たとえば以下のセリフが象徴するように、地方にとっては現場より身近だったのでしょう。

"北海道がやたら層が厚い"

文献[3]

次回予告

次回は2004~2006年のネットラップの主戦場だったUnderground Theaterzを中心に、当時の各音源投稿サイトの空気について振り返りたいと思います。

参考文献・注釈

[1] ネットラップはリスナーとアーティスト、アマチュアとプロの境界が曖昧であるため、この記事シリーズでは投稿する側の人をまとめてアーティストと呼びます。
[2] アングラシーンをレペゼンしクラブ系音源に反対を唱える、DJ TRIKが送る「お前の大切な薬」。全国から送られてきたラップ音源を纏めたコンピレーションアルバム。Mic Jack Production、SMRYTRPS、DMR (ダメレコ)、SEEDA、Ice Bahn、Medulla、刃頭、El Ninoなど各地方のインディーズのラップスター達も音源を提供していました。似た活動として、おならBOOのBOOSTCOMPIシリーズ (2012~2015) があります。
[3] ill.bell, 私立ネットラップ高校3年2組, 「教育現場」, (2015). ※outro部分のスキットより。なお、当該のセリフはill.bellではなく抹。


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