【スイクラ】05:好感度と欲望度、深愛と歪愛、グッドとバッド
■好感度と欲望度
好感度と欲望度については公式サイトでこのように説明されています。
・好感度……主人公と攻略対象の間に育まれる感情。理性。
・欲望度……主人公が攻略対象に抱く感情。欲望。
理性と欲望(本能)はともかく、片方は両者間の感情、片方は個人の感情というのが何となくしっくり来ず、実はずっと考えていたのですが。
要はTAKUYO(井上ゲー?)構文における「大人」の振舞いをすれば好感度が、「子供」の振舞いをすれば欲望度がアップするということなのかな。
具体的に言うとこんな感じ。
大人↔子供
社会性↔我欲
俯瞰↔近視眼
尊重↔支配
愛↔恋
||
好感度↔欲望度
↓
深愛↔歪愛
■深愛ルートと歪愛ルート
柘榴ちゃんは現世であれば周りから浮かないよう大人の“振り”ができたでしょうが、本質的にはまともに躾をされておらず、12歳の時点で精神的に止まってしまっており、女≒大人の役割を厭うている「子供」です。道化師の“誘惑”に乗って素直に行動すれば欲望度まっしぐらのはずで、なるほど歪愛ルートが「旧版」でありプレイヤーが「改変」した結果が深愛ルートと言われればうなずくしかない。
『スイクラ』の優しいところは、どちらの振舞いを選んでも是非を断じず“居場所”を与えてくれるところです。とは言えその選択の“報い”は無言で突きつけてくるから容赦ないなぁとも思う。はい、真相編ですね。
“子供”の振舞いをし続けた“報い”が真相編なら、“大人”の振舞いをし続けた“報い”としての話はなぜ用意されていないのか。『スイクラ』は悪魔の城での物語なので、常にそこを出続けられる「大人」が報いを受ける場所でのことは描き得ないってことなんですかね。
あるいは大団円たる古橋深愛グッドが“報い”の物語でもあったか。
■グッドエンドとバッドエンド
悪魔と人間どちらの道を選ぼうと是非を断じない一方、結末の良否は明言されてます。グッドエンドとバッドエンドです。歪愛ルートなら欲望度、深愛ルートなら好感度を突き詰めればグッドエンドになる仕組みから少し考えてみたところ。
深愛/歪愛が攻略対象との関係性に基づく違いなら、
グッド/バッドは道化師との関係性に基づく違いなのでは。
愛だろうと恋だろうと「欲」には変わりなく。突き詰めれば道化師に打ち勝ち好きな人と共にいられるグッドエンド。それができなければ道化師の思惑が実現し好きな人と何らかの形で断絶するバッドエンド。
ということなのかな……? この考えを念頭にもう少し『スイクラ』を眺めてみます。今は第2版(歪愛バッド→真相グッド)中。遅い。