【スイクラ】11:第3版(深愛バッド)感想

やっぱり真相グッドもとい真相深愛グッドを他の歪愛バッドと深愛バッドの間に置くとなかなかに効くんですけど深愛グッドとは……?

とまぁファンブックの話はさておき。

極端な行動を取らなければだいたいが深愛バッドに行き着くので私の中では一番“ロールプレイ”しやすい版でした。比較的善意に基づいた行動が取れるので何とはなしに雰囲気も明るくほっとする感じ。

だからこそ橿野柘榴の思考力・判断力が冒頭から蝕まれ続けていると気づきにくく、要所要所で柘榴ちゃんの言動に理解ができず苛立ちを覚え、たどり着いた結末に頭を抱えたり苦虫を噛み潰す顔で見届けたり泣き伏せたりと、なかなか疲れました。Vita版をやった時は一番居心地の良い版だったのにな……人って変わるものですね……。

ほとんどは真相深愛グッドと同じく相手の幸せ(not仕合わせ)を願った自己犠牲話であり、5年前に柘榴ちゃんが受けた“呪い”を繰り返す話でした。呪われるのは密原編と古橋編はオフレンダ、久瀬編は柘榴ちゃん自身。

日之世編は独特で、オフレンダとの信頼関係≒愛を育みきれなかったがために悪魔に打ち勝つまでの力を得られなかったという話になっていましたが、密原編や久瀬編でも「(互いに)もっと信じて頼ってくれ」と繰り返されてたし全編そういうことなのかも。

しかしそれは攻略対象にとって都合の良い言動を繰り返せということか? それは本当に“仕合わせ”なのか? 結局柘榴ちゃんの人間性を犠牲にした見せかけのハッピーエンドでは? と悩みながら読み進めていたのですが。

たぶんそうじゃなくて、悪魔が嫌がる振る舞いを演じなければ悪魔に勝てないってことなんだろうな。というのが今の所の仮説です。具体的には状況と相手をよく見据えて信頼を構築できる言動を繰り返し、悪意も善意でくるんで飲み込んでしまえ、かな。

それは密原の振る舞いに近いのでは、と思ったんですけどそれもそのはず、日之世編では「救いある物語を作るのは人の力」と語られていました。招待客の中で唯一まともな人間である密原の振る舞いこそが最も人間らしくて当たり前で、それこそが悪魔に対抗しうる力であると。まさかここで密原が輝いてくるとは私は嬉しい。

物語の“改悪”についての問答の時に推理小説が話題に出たのも「悪魔の嫌がることを推理しろ」という暗示だったのかもなーなどと考えながら、密原を参考に城にはびこる悪意をねじ伏せる戦いに挑んできます。というわけでいよいよ深愛グッドだ。

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